第266話 夕日

 エーシュタルの西門に辿り着いたカリオス達は、馬車に押し寄せる住民の姿を目の当たりにした。


 我先に逃げ出そうとしている住民たちの悲鳴と、その場を鎮めようとする兵士たちの怒号が入り混じっている。


 こんな混乱している状況を、潜伏しているであろうエストランド兵が狙わないことに大きな疑問を抱きつつ、彼は馬車に乗ることを諦めた。


 そうこうしていると、閉ざされていた門がゆっくりと開き始め、馬車が進行を始める。


 大勢の人々の間に紛れ込んだカリオス達は、そのままエーシュタルを後にしたのである。


 巨大な西門を抜け、特別居住区を通り過ぎる。


 完全にもぬけの殻になってしまっている特別居住区は、ただでさえ暗い印象が強かったのだが、今となっては荒廃してしまっている。


 恐らく、特別居住区の住人たちは既に逃げ去った後なのだろう。


 半開きの扉や中途半端に片付けられた店の様子が、それを物語っている。


 長い行列を作って歩きながらそんなことを考えていたカリオスは、背後の騒ぎを聞きつけ、咄嗟に後ろを振り返った。


 既に遠くになってしまった西門の辺りで、大きな砂ぼこりが上がっている。


 しかし、雑踏の中に居る彼が得られた情報はそれだけだった。


 特に悲鳴が上がるようなことも無いため、襲撃されたというわけでもないのだろう。


 皆がそう考えたのか、気が付けば、全員が前を向いて歩き始めている。


「何だったんでしょうね? さっきの……」


 そろそろ特別居住区を出るという所で、ミノーラがカリオスを見上げながら告げた。


 その問い掛けに、軽く首を傾げて答えた彼は、再び後ろを振り返ってみる。


『ノルディスかイルミナだったら、何か知ってるんだろうな……』


 新たな発見などある訳もなく、漠然と、姿の見えない二人の事を思い描いた。


 今頃、ノルディスもイルミナも、恐らくはこの行列の先頭に居るのだろう。


 この行列の進路決定や休憩のタイミングなど、最前線での役割を果たしているはずなのだ。


 そんな二人に思いを馳せたカリオスは、ふと、疑問を抱いた。


『これからどうすれば良い……?』


 それは、彼が久しく考えていなかった疑問だった。


 正確には、考える必要のなかった疑問。


 初めは、サーナに言われるがまま、クロムを追いかけていた。


 しかし、考えれば考える程にサーナへの不信が募ってゆき、気づけばサーナに従う理由が薄れていった。


 そんな時、クロムの計画を知ったのだ。


 そのおぞましい計画を知った時、彼は何としても止めなければいけないと思った。


 正義感や義務感ではない。


 あくまでも、自身の後ろめたさを晴らすため。


 ところが、そう簡単に事が進むわけもない。


 むしろ、彼自身の力が足りなかったせいで、クラリスが攫われてしまう。


 そうやって、目の前の目的を追いかけているうちに、カリオスは今ここを歩いている。


 ではこの先、彼がするべきことは何なのだろう。


 この長い行列に従ってボルン・テールに辿り着き、カリオスは何をすれば良いのだろうか。


『まずは、クリスのことだな……』


 背中の温もりを思い浮かべながら、独白する。


 同時に、自嘲した。


 何度繰り返せば克服できるのだろうか。


 確かに、クリスの状態を何とか回復させることも重要ではある。


 しかし、それは本当にカリオスがするべきことなのだろうか。


『いい加減、自覚が必要だよな……』


「カリオスさん、どうかしたんですか?」


 考え込んでいるカリオスの様子に気が付いたのか、ミノーラが不安げな表情で見上げて来る。


 その声に釣られるように、タシェルやオルタ、そして、ミノーラの背中に乗っているクラリスが視線を投げ掛けてきた。


 その視線に多少なりとも居心地の悪さを覚えたカリオスは、ゆっくりと首を振る。


 ミノーラ達は、少し怪訝な表情をしながらも、黙々と歩くことを再開した。


 すっかり明るくなってきた平原のど真ん中で、カリオスはミスルトゥを見上げながら人知れず思う。


『はぁ……ホットミルクを飲みたいなぁ』


 いつしか口にしたことがあるようなセリフを、彼が頭の中で告げた時、聞き覚えのある声がミノーラの名を読んだ。


「あんたたち! 無事だったんだね!」


 声のした方を見たカリオスは、恰幅の良い女性が歩み寄ってきているのを目にした。


「ターニャさん! それにハサクさんも!」


『笑う子犬亭』を切り盛りしていた夫婦との再会に驚いたのか、ミノーラが声を上げる。


 全力で振り回されている尻尾を見るに、かなり嬉しいようだ。


「あんたたちが出て行った後、色々大変だったんだよ? 一晩でミスルトゥが巨大になってたり、エストランドが戦争をおっぱじめやがったり……そういえば、あんたたちはあの後どこに行ってたんだい?」


「あはは……まぁ、色々と」


 流石に件のエストランドに乗り込んでいたとは言えず、苦笑いをしながら応えるタシェル。


 そんなタシェルの笑みをみて、ターニャは怪しむような表情を浮かべた。


「ちょっと用事があって、氷壁の山脈に登ってたぜ! 猫人族の村にも行ってきたしよ!」


 咄嗟にフォローをするように、オルタがそんなことを言う。


 オルタの言葉に驚いたのだろう、ターニャは目を見開いたかと思うと、ゲラゲラと笑い始めた。


「あの山を登ったのかい!? それはまた、大層な冒険をしてるねぇ」


「ターニャさんは登ったことあるんですか?」


 先程までの重たい空気が嘘のように、ミノーラ達の話が盛り上がり始める。


 若干、周囲からの視線を痛く感じたカリオスだったが、止めることはしない。


 かといって、話に入って行けるわけもなく、一歩皆の後ろを歩き始めると、再び思考を巡らせた。


『考える時間はいくらでもあるからな……』


 平原を歩きながら、カリオスはひたすらに考え続けた。


 これからするべきこと、今起きていることの整理、クリスを助ける方法。


 ほぼ一日中、物思いに耽ったおかげだろうか、彼の中に一つの結論と呼べるものが構築されてゆく。


 しかし、一つだけ、彼は考えることを放棄していた。


 その結論を知った時、ミノーラ達が何を思うのか。


『そんなこと、考えても仕方がないよな……』


 それもまた、一つの結論なのだと自信を納得させたカリオスは、荒野と平原の境目に立つ。


 西の空にはミスルトゥが輝き、その奥に夕日が沈んでゆく。


 地面に生えていた草花の数がめっきり減り、周囲は荒れ果てた岩の世界へと変わってゆく。


 この荒野の真ん中に、ボルン・テールがあるはずだ。


 まだまだ続く行列の先に目を向けたカリオスは、今一度落ちて行く夕日を眺めたのだった。

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