第265話 退却
誰かに体を揺さぶられて、カリオスは目を醒ました。
固い地面の上で寝ていたせいだろう、腰や肩に痛みを感じながらも、上半身を起こした彼は、傍にいるタシェルを見る。
なにやら血相を変えた表情の彼女を見て、彼はすぐさま頭を切り替えると、取り敢えず立ち上がる。
そのまま、何も言わずに歩き始めたタシェルについて行ったカリオスは、近くに出来ている人だかりをかき分けて、その中心に足を踏み入れた。
人だかりの中には、オルタとミノーラとクラリス、そしてノルディスにイルミナも混ざっている。
そんな大勢に見守られるような形で、中央に一人の若い少年が横たわっていた。
彼の姿が視界に入った途端、強烈な焦りで目を見開いたカリオスは、微かに動く胸元を見て、生きていることへの安堵を抱いた。
しかし、安堵を抱きしめている余裕は寸分も残されていない。
抱いたそれを放り投げるように、カリオスはその場で呆けてしまう。
『何があったんだ……?』
カリオスが疲労のあまり、意識を失うようにして眠りこけていた間に、クリスの身に何かが起きたのだろう。
クリスは人間とは思えないような姿に変貌を遂げてしまっていた。
ほっそりとしていたはずの肉体は、限界まで鍛え上げたかのように筋肉で膨れている。
まだ柔らかさの残っていた筈の皮膚は、分厚い鱗に覆われている。
黒くて風になびいていた頭髪は、全て高質化してしまったのか、オールバックの状態で固まっている。
指先には、鋭い爪が生えている。
そして何よりも、寝ころんだ状態でも見える程の翼と、長い尻尾が、その異様さを物語っていた。
カリオスと同じようにクリスを囲んでいるミノーラ達は、何も言葉を発さない。
恐らく、状況を理解できていないのだろう。
同じく理解できていないカリオスだったが、ふと、ザーランドで見た巨大な根の事を思いだした。
もしかしたら、クリスも例の根の攻撃に倒れてしまったのかもしれない。
そんな嫌な想像をしたカリオスは、クリスの左腕が赤く輝いていることに気が付いた。
そして、もう一つの可能性を見出す。
『これが、クリスの付けてた籠手の力って事か? どういう力なんだ?』
予想だにしなかった状況に混乱しながらも、カリオスはペンとメモを取り出すと、聞きたいことを書きなぐり、タシェルに手渡した。
「『誰か、状況を説明してくれ。クリスはどうしてこうなった? それと、エストランドの攻撃はどうなってる?』……サラさん、さっきの話をもう一度してもらって良いですか?」
メモを読み上げたタシェルが、クリスを挟んで対面に立っていたサラに語り掛ける。
軽く何度も頷いて見せたサラは、重たい口を開くと、語り始めた。
「クリスがドラゴンを……アイオーンだっけ? アイオーンを助けに行ったっきり戻って来ないから、様子を見に行ったんだ。そうしたら、倒れてたはずのドラゴンの姿が無くて、彼が一人だけ、倒れてた。クリスがノルディス長官から指令を受けたって言ってたから、この塔に連れてくれば、あんたたちに会えると思って……」
『つまり、クリスはアイオーンを助けようとしてたってことか……? ってことは、クリスがこの姿になったのも、アイオーンが関係している?』
何とか考察をしてみようとしたカリオスだったが、圧倒的に情報が足りない。
とても考えるだけでは答えが見つかりそうにないと考えたカリオスは、じっと見つめてきているタシェルに向かって頷いて見せた。
「私たちも、サラさんに聞かされたその話しか知りません。だから、詳しくはクリス君が起きてからにしようって、さっき話してました。なので、話を進めますね」
カリオスの頷きを見たタシェルが、話をまとめ上げた。
そうして、次の話を始める。
「東からエストランド兵と思しき軍勢が、ここに攻め込んできています。ノルディス長官、イルミナさん、これからどうしますか?」
「……」
タシェルの呼びかけで、その場の全員がイルミナへと視線を注いだ。
恐らく、こういった時の指揮などは、基本彼女が行っていたのだろう。
かく言うカリオスも、ノルディスではなくイルミナへと視線を向けてみたが、彼女は口をきつく閉ざしたまま、何も言うことは無かった。
そこでようやく、ノルディスが口を開く。
「ここで粘るのは流石に限界だ。一旦、ボルン・テールまで退く。今のところ、街の西側はそれほど大きな被害を受けていないはずだ。西門では避難した住民と護衛の兵士が待機している。あらかじめ馬車も用意させてるぜ。急げば、明日の朝にはボルン・テール付近に着くだろう」
ノルディスがそう告げた後、しばらくの間沈黙が続いた。
事実上の敗走。
兵士たちの間に、深く重たい空気が漂い始める。
その空気をひしひしと感じたのだろう、ノルディスはゆっくりと兵士たちの顔を見回すと、場違いな笑みを浮かべながら告げたのである。
「テメェら、なに弱気になってんだ? 一旦って言ってんだろ? 絶対に取り返しに来る。そのために、今は撤退するんだ。分かったら、さっさと出発の準備を始めろ!」
かなり乱暴に聞こえてしまう言葉ではあったが、そんなことを気にするものはその場にいなかった。
兵士たちが慌ただしく動き始める。
その様子を横目で見ていたカリオスは、ふと、ミノーラ達の視線が自身に集まっていることに気が付いた。
「カリオスさん、もう体調は大丈夫ですか?」
心配そうに見上げて来るミノーラに頷いて見せたカリオスは、何も考えずに、クリスを背負った。
背後から聞こえて来る寝息を聞きながら、西門へと歩き出す。
同じように西門に向かい始めたミノーラ達を見たカリオスは、ふと、空を見上げる。
いつの間にか日が昇りかけている空を、まるで支えているかのような大木。
その壮大さと不気味さに、カリオスは思わず背筋を震わせたのだった。
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