第263話 嗚咽

 ミノーラは背中にクラリスを乗せたまま、混乱の中を駆け抜けていた。


 混乱の原因を説明するには、少し前に遡る必要がある。


 ジェリック達を捕らえることに成功したミノーラ達が、一息吐こうとした時、空に巨大な氷の花が出現したのである。


 その花を見るや否や、ミノーラはオルタやカリオス、そしてクラリスを影の中に引き入れると、事の成り行きを見守った。


 足元に映る路地に、一陣の風が吹き込んだかと思うと、キラキラとした何かが舞い込んでくる。


 それらの微かな煌めきは、取り残されていたジェリック達を、瞬く間に凍らせた。


 完全に氷漬けになってしまった彼らは、既に助けることは出来ないだろう。


 そんなことを考えたミノーラは、それ以上そのことを考えることなく、次にするべきことを考え始める。


 何が起きたのか詳細が分からない以上、まずは情報を取得するべきだと判断した彼女は、仲間たちに身振りでついて来るように示すと、駆け出す。


 目指すは、氷の花が出現している城壁付近。


 恐らくそのあたりに、イルミナが居る筈なのだ。


『あの花はイルミナさんの攻撃なのかな……』


 走りながら足元に映っている光景を見たミノーラは、大きな違和感を抱いていた。


 殺さない選択などという話をミノーラにしたイルミナが、無差別に氷漬けにするような攻撃をするとは、到底考えられなかったからだ。


 そんなことを考えながら走っていた彼女は、建物の中で凍結を免れているエーシュタル兵を見つけるたびに、影の中へと引きずり込んでいく。


 当然、驚きと焦りを見せる兵士達への説明はカリオスに任せ、走り続ける。


 そうして、全部で20名ほどの兵士を助け出した頃、彼女たちは城壁のふもとに辿り着いた。


 一旦影から出て、カリオス達と相談をしたいと思ったミノーラだったが、未だに冷気が立ち込めている中、影から出るわけにはいかない。


 かといって、全員で塔に登ることもできそうになかった。


 ミノーラ達がいる場所目掛けて、影の中をエストランド兵が大勢押し寄せてきていたのだ。


 影の中であると言うのに、ぼんやりと光を放っている彼らの姿は非常に目立つ。


 その姿を目の当たりにしたミノーラが、一瞬躊躇いを見せた時、それを見越したようにカリオスがメモを差し出してくる。


『ミノーラ、俺とオルタで、あいつらの足止めをする、その間にイルミナかノルディス長官を探して来てくれ。この辺りのどこかにいるはずだ。それと、タシェル達もこの辺りにいると思う。確証は無いが』


 メモを読み終えたミノーラがカリオスの顔を見上げると、カリオスは一つ頷いてオルタに目配せをする。


 視線を受けたオルタは既に理解しているかのように頷き、大切に抱えていたクラリスをミノーラの背中に乗せた。


 それだけ見れば、ミノーラがするべきことは決まっている。


 迷うわけもなく駆け出したミノーラは、首にしがみついて来るクラリスの温もりを感じながらも、塔の屋上へと駆けあがった。


 登りながら、城壁の内部の様子も探る。


 幸い、冷気の影響で灯りの消えてしまっている城壁の内部は、彼女にとって、妨げの無い環境と言える。


 そうして、縦横無尽に駆けた彼女は、ついに塔の屋上で探し求めていた姿を見つけ出す。


 しかし、状況が好転することは無かった。


 イルミナは重傷を負い、アイオーンの無事も定かではなく、東から敵の軍勢が攻めてきているかもしれない。


 要約するだけでも頭を抱えたくなるような問題が、新たに湧き上がっていたのだ。


 そして、現在に至る。


 影の中に入ったノルディスと共に、城壁の壁を駆け下りているミノーラは、遥か下で繰り広げられている戦いを見ていた。


 20名の兵士たちと共に乱戦を繰り広げているカリオスとオルタ。


 そして、相対するエストランドの兵士達。


 そこに殴り込んで行ったノルディスは、圧倒的な威力の拳を振り回し、エストランド兵を次々に屠ったのだった。


 彼の雄姿に鼓舞されたのか、エーシュタルの兵達も光の無い剣で敵を切り裂き、槍で貫き、斧で叩き割ってゆく。


 負けじと抵抗するエストランド兵たちによって、多くのエーシュタル兵も同じように命を落としていった。


 すぐ目の前で繰り広げられているその光景を、思わず立ち止まって見入ってしまったミノーラは、一つため息を吐く。


 有体に言えば、彼女は躊躇っていた。


 切羽詰まっているこの状況で、悩んだり躊躇ったりしている場合では無いのだろう。


 それを理解していたからこそ、彼女は躊躇いながらも駆け出した。


 背中に乗っているクラリスを庇いながら、着実にエストランド兵の息の根を止めて行く。


 そうしているうちに小さな心の声が薄れて行くのを感じた彼女は、無心で戦い続けた。


 足元に映っていた巨大な氷の花が崩壊し、猛烈な衝撃波で冷気が吹き飛んでゆくのを視界の端で確認する。


 それを機に、エストランド兵達は影の外へと飛び出していった。


 彼らとしては戦い方に制限が掛かる影の中は不利と判断したのだろう。


 それはミノーラ達も同じであり、追随するように元の世界へと飛び出した。


 空へ飛びあがってゆくエストランド兵たちに向けて、カリオスやエーシュタル兵達が遠距離攻撃を行う。


 白兵戦を挑んでくる者達には、オルタとノルディスのペアが立ち向かう。


 その状況を見て、ミノーラも戦闘に加わろうとした時、彼女はそこで初めて、小さな声を耳にした。


 嗚咽と共に背中から聞こえて来るその声を聞いた時、彼女は一瞬、自身の中から薄れていった小さな声かと錯覚する。


「……なんで? なんで、殺し合うん? ウチ、もう嫌や……」


 泣きながらミノーラの背中をギュッと握り締めたクラリスが、小さく呟いた。


 背中に感じた小さな痛みを受け、ミノーラは自信の腹の辺りがキュッと締め付けられた感覚に陥る。


 先程、薄れていったはずの小さな心の声が、再び頭の片隅に現れ、何かを訴えかけようとしているようだ。


 とは言え、今のミノーラにはその声を聞き入れる余裕は無かった。


「クラリスちゃん、ごめんね」


 小さく呟いたミノーラは、迫りくる敵の喉元へと食らいつくと、苦みを味わいながら、肉を引き裂いたのだった。

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