第253話 変局

「イルミナさん!」


 塔の上にいるイルミナに向けて声を掛けたタシェルは、体勢を整えながら屋上に降り立った。


 事情を知らないであろう複数の兵士たちに囲まれ、一瞬緊張したタシェルだったが、すぐにイルミナの声が響き渡る。


「止めなさい! 彼女は私の知り合いです。ここは良いので、変質した者の様子を見て来てください」


 毅然とした態度で指令を出しているイルミナは、険しい表情のままタシェルの傍へと歩み寄って来た。


「タシェルさん。なぜこんな場所に? 申し訳ないのですが、今はそれほど時間がありません……」


「あそこにいるドラゴンが、私達の味方だとしてもですか?」


「……それはどういう事ですか?」


「今は話している余裕は無いと思いますので、取り敢えずは、味方だと理解してください。現に、私達はあのドラゴン……アイオーンに乗って、ザーランドからここまで来ました」


「アイオーン……」


 タシェルの言葉を聞いたイルミナは、一瞬、空を旋回しているアイオーンへと目を向けたかと思うと、身を翻して声を張り上げた。


「伝令! 全員へ伝えなさい。空にいるドラゴンへの迎撃態勢は解除! 直ちに兵を再編し、エストランド兵の襲撃と、変質した者の確保に専念するように! ドラゴンは味方です!」


 張り上げられたイルミナの声は、澄んだ空気を突き抜けるように響き渡った。


 指示を受けた伝令兵は、屋上から降りる階段付近で敬礼をした後、猛烈な速度で駆け下りていった。


「イルミナさん、ありがとうございます。アイオーンに、この近くに降りるように伝えても良いですか?」


「はい、構いません」


「ありがとうございます。シルフィ、今から私の声を飛ばしてくれる?」


「おっけー! いつでもいいよ!」


「えーっと、アイオーン、聞こえてるかな? 聞こえてたら、旋回を止めて、私の居る付近まで降りて来てくれる?」


 夜空を見上げながらタシェルがそう口にすると、指示通りに旋回を止めたアイオーンが、ゆっくりと高度を下げ始めた。


 少しづつ大きくなってくる羽ばたきの音を耳にしながら、タシェルは同じく空を見上げているイルミナに問いかける。


「イルミナさん。今、この街はどうなってるんですか?」


「正確なところは分かりません。例の衣服を着たエストランド兵は、気が付いたら街の中に入り込んでいました。恐らく、トリーヌとレイガスを取り逃がした時と、同じ類でしょう」


 そこで一旦口を止めたイルミナは、一つため息を吐くと、話を再開する。


「彼らは基本、3人1組で行動しています。そのうちの一人が、影に潜り込めるようです。それに、武器も特殊なものを使用しているみたいで、油断していれば狙撃されてしまいます。正直な話、私達に勝ち目は無いと思っていました。対策と言っても、灯りを確保して立てこもるくらいでしたので。まさかこれほど早くに侵攻を始めて来るとは、考えもしませんでした。ただ、それは、敵も同じだったようです。それほど万全の準備が整っている訳では無いようで、人数自体はこちらが優勢です。そんな矢先におきた地震の直後、異変が起きました」


「根っこ……ですか?」


「タシェルさん達も見たのですか?」


 イルミナの言葉に割り込むように、タシェルは問いかける。


 そんな問い掛けを聞いたイルミナが、驚きを顕わにしたとき、アイオーンが城壁の上に降り立つと、塔の屋上に向けて首を伸ばしてくる。


 伸ばされた首の上を、クリスが危なげなく駆けて来た。


 両腕で大きな袋を構えている彼は、大勢の兵士をかき分けながら、タシェルの傍に並び立った。


「持ってきたばい! で、こればどうするん?」


「クリス君、ありがとう」


「……それにしても、ドラゴンですか……まさか実在していたなんて……」


「ドラゴン? 違うよ、僕の名前はアイオーン。よろしくね。それにしても、お姉さんの髪の毛綺麗だね。これが銀髪ってやつなのかな?」


 アイオーンの言葉を聞いたイルミナが、唖然としている様子を見て、タシェルは思わず苦笑いを浮かべた。


 しかし、すぐにそんな状況では無いことを思い出し、イルミナの肩を叩く。


「イルミナさん。ここに、エストランド兵が着ている服と同じものがあります。リキッドもあるので、迎撃に使えないでしょうか? それと、根っこについてなんですけど、何かご存じだったりしませんか?」


「根っこについては、申し訳ないですが、あまり詳しい事は……地震の直後に現れただけで、その後は姿を見ていません。十名以上が犠牲になったのちに、異常な変化を見せたので、拘束して、今は牢に閉じ込めています。服については、ありがとうございます。非常に助かります。」


 我に返ったようにタシェルの言葉を聞いたイルミナは、何度も頭を下げると、袋を手に取った。


 そうして、中に入っている物を確認し、一つ頷いて見せる。


「で、俺たちはなんばすれば良いと?」


 その場を立ち去ろうとしたイルミナに向けて、クリスが声を掛けた。


 タシェルとイルミナが視線を交わしたのを見て、クリスは待ちきれなくなったのか、重ねて言う。


「隠れとけとか、そんなんは無しばい! 俺だった戦えるけん! それに、今はアイオーンもおる! みんなでこの街を守るんやろ?」


「えっと、クリス君……」


 タシェルがクリスに対して声を掛けようとした時、アイオーンが声を上げた。


「街の中で集まってた人間達が、一斉に動き出したよ! それと、まだ遠いけど、東の方から大量の人間が近づいて来てる!」


「東から!?」


 イルミナは焦りを滲ませた声を上げると、塔から身を乗り出して東に広がるを睨み始めた。


 タシェルも同じように、塔の東の端に駆け寄ると、平原の先を睨みつける。


 夜の闇が横たわっている平原を、どれだけ眺めてみたところで、彼女の目ではその様子を確認することは出来なかった。


 しかし、アイオーンが言っているのならば、間違いでは無いのだろう。


 彼女がそんなことを考えた時、頭上を飛んでいるシルフィが、大きな声で告げた。


「タシェル! タシェル! 気を付けて! 街の中! 敵が近づいて来てるよ!」


 言葉に釣られるように振り返ったタシェルは、街の様子を見降ろすことが出来る場所に移動すると、眼下に目を向けた。


 建ち並んでいる屋根の上を、黄色い光が飛び交う。


 それらは、少しずつ東の城壁との距離を詰め始めているように見えた。


「イルミナさん! 街から敵が!」


「ノルディス長官はどこ行ったん!? なんでここにおらんと?」


 タシェルとクリスの言葉が飛び交う中、イルミナは街の方へと目を落とすと、口を噤んだ。


 そして、ゆっくりと話し出す。


「ノルディス長官は西の城壁にいます。住人が西に避難しているので、そちらの防護と街の中の殲滅が目的です。取り敢えず、二人とも私から少し離れてください」


 イルミナの言葉を聞くと同時に、タシェルは周囲の温度が急激に下がり始めたことを確認する。


 恐らく、クリスも何が起きるのか察したのだろう。


 二人は他の兵士たちと一緒にイルミナから距離を取ったのだった。

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