第254話 弾痕
つんざくような冷気が、周囲の全てを支配した。
足元には、冷気によって発生したのだろう、白い霧のようなものが広がり始め、塔からエーシュタルの街の方へと流れ落ちている。
幻想的なその光景の中心にいるイルミナが、両腕を広げると、パリパリという微かな音とキラキラとした何かが、その白い霧の中を走り抜けて行く。
と、次の瞬間、タシェルは自身の立っている塔から5本の氷柱が飛び出してゆく様を目の当たりにした。
アイオーンの首と同じくらいの太さのそれらの氷柱は、まるで蛇のようにうねりながら、街の上空を伸びて行く。
そうして伸びた氷の柱は、ある一定の距離を伸びると、標的を見つけたかのように、地面に衝突を始めた。
躊躇することなく建物や道を壊している影響で、所々に砂埃が上がっている。
『でもこれじゃあ、敵に道を作るだけなんじゃ?』
伸ばされた氷柱を目にし、タシェルがそう考えた時、そんな彼女の思考を読んだかのように、大勢のエストランド兵が、空高く飛び上がった。
黄色い光を纏っている彼らは、屋根の上から飛び上がったのか、ザーランドでアイオーンに襲い掛かった時のように、空を滑空し始める。
「イルミナさん!」
思わず声を上げたタシェルは、しかし、焦りの無いイルミナの表情を目にし、様子を伺うことにした。
滑空を続けているエストランド兵達に向けて放たれる大量の矢が、敵の侵攻を妨げている。
かといって、彼らは誰一人として地面に降りる者はおらず、氷柱の上に着地する者もいなかった。
『どうして影の中に逃げないの?』
タシェルはふと抱いた疑問の答えを知るために、氷柱を見下ろし、街の様子を確認した。
当然ながら、夜の闇のせいで真っ暗闇になっている街。
そんな上空を巨大な氷の柱が通っているのだ、より一層、濃い影が出来ているのは間違いない。
だとするならば、城壁の近くまで影の中を通ってきた方が、はるかに有利に動けるはずなのだ。
疑問を抱いているタシェルの様子に気が付いたのか、イルミナがゆっくりと話し始める。
「先ほども言いましたが、彼らも準備が万全というわけでは無いみたいです。なので、全員が影の中に潜れる訳では無いのでしょう。そして、その力も回数か時間に限りがあるように思われます。さっきよりも飛んでいる人数が多いので、間違いないかと。それだけ分かれば、後は影の中から炙り出すだけです……いえ、この場合は炙るのとは真逆ですね。何しろ、あの氷の下にいる生物は、全員氷漬けになってしまいますから、彼らもそれを知っていて、上に出てくるしかないのでしょう」
氷の下にいると、氷漬けになる。
何を言っているのか分からなかったタシェルは、改めて氷柱の様子を観察した。
表面は鋭利な凹凸に覆われており、迂闊に触れようものなら、切り傷が出来てしまいそうだ。
そんな氷柱から、薄っすらと白い霧のような物が立ち込めている。
「冷気……」
「そうです。なので、あまり私に近づかないでくださいね。無いとは思いますが、セーラが間違えて、氷漬けにしてしまうかもしれないので」
薄っすらと微笑みを浮かべているイルミナの顔を見たタシェルは、今一度後ずさりをした。
恐らく、セーラと言うのは氷の精霊の事なのだろう。
イルミナの説明を受けて、改めて現在の街の様子を見たタシェルは、感嘆した。
デタラメに伸ばされたように見える5本の氷柱は、敵の行動範囲を効果的に狭めるように計算されている。
影の中に入るには、身体が影に触れている必要があるため、地上の行動範囲を狭めることは、そのまま敵を空中におびき寄せることにつながる。
もし仮に影の中に逃げて氷漬けになる事を避けることが出来たとしても、城壁付近は灯されているため、最終的には出てくる必要がある。
そして、空へと逃げた敵を、城壁に配置した兵士が、遠距離で迎撃する。
こうなってしまえば、敵としては空に逃げるか、エーシュタルの南北の城壁から外に逃げる他に選択肢は無いだろう。
デタラメに時間だけを潰して、リキッドを消費することは、敵としても望んでいないはずだ。
「イルミナさん、私たちも手伝います。飛んでいる敵を落とせば良いんですよね?」
「良いのですか? 正直、シルフィさんのお力を借りることが出来るのなら、すごく助かります」
「俺も! 俺も手伝うばい! あいつらを打ち落とせば良いんやろ?」
今まで黙って話を聞いていたクリスが、嬉しそうにそう告げる。
その様子を見たタシェルは、一瞬考えた後に、クリスに言った。
「絶対に私たちの傍から離れないでね。良い?」
「分かっとるばい! やっとこの籠手を使う時が来た! アイオーン! 見とけよ! 俺、活躍するけん!」
「クリスはその籠手を使いたいだけでしょ? ところでタシェル? 僕は何をすればいい?」
問いかけられたタシェルは、アイオーンを見上げ、一瞬考える。
良く良く考えなくとも、アイオーンが敵を全員氷漬けにしてしまえば、済む話ではあるのだ。
しかし、それはアイオーン自身が望まないだろう。
「ザーランドと同じように、敵の腕と足を氷漬けにすることって出来る? 飛んでるから、少し難しいかもだけど……」
「うーん、やってみるよ! ところで、今近づいて来ている敵達の後ろ、高い建物に、一人動かない敵がいるんだけど、そいつはどうする?」
動かない?
タシェルが小さな疑問を抱いた時、彼女は短い悲鳴を耳にした。
視界の端で、イルミナが後ろ向きに倒れ込んでゆく。
「イルミナさん!?」
思わず声を張り上げた次の瞬間、タシェルは何かが弾かれる音を耳にする。
「シルフィ!」
「弾いたよ! でもゴメン! 一発は弾けなかった!」
シルフィの言葉を聞きながらイルミナに駆け寄ったタシェルは、彼女の左肩からあふれ出す血液を止めるために、袖で傷口を抑え込んだ。
「全員! 物陰に隠れなさい!」
痛みに表情を歪めながらも、イルミナが叫ぶ。
その次の瞬間、イルミナは目を見開いて、もがき始めた。
「イルミナさん!? 大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
肩を銃撃された傷は、確かに深い。
あふれ出す血液を止めるのは、非常に難しく思えた。
しかし、そんな傷が浅く思えてしまう程の苦しみ様に、タシェルは困惑する。
どう考えても、ただの傷ではない。
そう考えたのと同時に、タシェルの耳がアイオーンの言葉を拾った。
「タシェル! イルミナの命が! どんどん小さくなっていくよ!? 何が起きてるの!?」
命が、どんどん小さくなっていく。
その言葉が、タシェルの頭の中をグルグルと回り始める。
このまま命が消えてしまえば、どうなるのだろう。
そんな事例をタシェルは一つ知っている。
「アイオーン! 彼女の生命エネルギーを元に戻して! じゃないと、セーラが暴走しちゃう!」
声を張り上げながら、タシェルは既に遅すぎる事を理解していた。
イルミナに打ち込まれた弾は、エストランドの兵士が撃ったものに違いない。
そして、エストランドはクロムの技術を利用している。
だとするならば、ボルン・テールでクロムが持っていたという“小瓶に入った薬”でさえ、使用してくる可能性は充分にあるのだ。
今の今まで、その薬の効果を知らなかったタシェルだったが、目の前の情況を見れば、その目的を理解することが出来た。
視界の端で、アイオーンが翼を大きく広げる。
その様子を見ながら、彼女は全身が凍てつきそうな冷気を感じ、自身の両手を見下ろす。
徐々に凍り付いて行く自身の手を、タシェルは見つめることしかできないのだった。
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