第235話 工場(幕間)

 ザーランドで最も大きな建物である工場に、ジェリックと言う男が居た。


 彼は未だに痛む右足を引きずりながら、事務所へと続く階段を登っている。


 そうして、突き当りに見えた扉を乱暴に開け放つと、気怠そうなため息を吐きながら事務所へと足を踏み入れた。


「おう、ジェリック、何の話だったんだ? “お客様”から“お呼出し”を受けたんだろ? それにしても笑えるぜ、あの野郎、人質取ったくらいで、何を今更怒ってんだって話だぜ」


「ギル、少し黙ってろ。俺は今、機嫌が悪い」


 気安く話しかけて来るギルに向かって、そう告げたジェリックは近くにあったソファへと勢いよく腰を下ろした。


 その勢いで、彼の隣に座っている人物が吹っ飛びそうになるも、ジェリックは意にも介さない。


 ギルと呼ばれた男はと言うと、短いため息の跡に舌を打ちながら、腰のナイフを抜き取り、手入れを始めた。


 ようやく一息つけると、ジェリックがソファの背もたれに頭を乗せた時、耳障りな声を上げながら、女が入って来る。


「ジェリック! 戻っとるなら早う言うてくれん? ウチはさっさと仕事を終わらせて寝たいんよ」


「……」


 ゆっくりと入口に目を向けたジェリックは、睨みつけているにも関わらず、女が全く動じていないことを見て取った。


 少なくとも、ギルよりも女の方が胆が据わっているらしい。


「アリエラ、お前はもう少し大人しく出来ないのか? 煩くて敵わん」


「大人しゅうするんはアンタの方やないとね? タイマンはったくせに、負けちょるんやけ、それこそ怠慢や。情けない情けない。ウチは失望したんよ?」


 アリエラは一瞬たりとも躊躇うことなく言ってのける。


 その言葉を聞いたジェリックは、頭に血が上りそうになっていることを自覚しながら、大きなため息を吐いた。


 アリエラの言っていることは正しい。


 マリルタと言う小さな漁村で、ジェリックは敗北したのだ。


 それはアリエラもギルも、そしてジェリックでさえも予想していなかった敗北。


 その敗北のせいで、計画がご破算になってしまった事は、言うまでも無い。


 ミノーラとその仲間を捕らえ、情報を引き出したのち、ザーランドに運ぶためには影の能力を使う予定だったのだ。


 それなのに、ジェリックだけが敗北してしまい、挙句の果てに文字通りのお荷物になってしまった。


 情けない。


 彼自身が強く抱いている感情であり、怒りの次に強い感情だ。


「絶対に殺す」


 そんなことを呟いたジェリックは、隣に座っている人物が小さく呻いたのを耳にし、ゆっくりと視線をそちらに向ける。


 両手両足を縛られ、猿轡を噛まされているその人物は、涙を流しながらジェリックを見つめている。


 完全に怯え切っている少女の姿を見た彼は、どこか胸がスッとしたように感じた。


 しかし、次の瞬間には嫌な記憶を思い出し、拳を握り締める。


「で? そのガキはどうするん? ウチは要らんよ? いっそのこと、ボロ雑巾になるまで壊したらどうなん?」


 まるで遊び飽きた玩具でも見るような視線を投げたアリエラは、少女を見下ろしながら告げる。


 少女はと言うと、恐怖のあまり目を強く閉じながらも、涙を溢れさせている。


「それ良いかもな! そして、オルタの野郎がガキを助けに来た時に、ボロボロになったガキを見せれば、面白そうじゃねぇか! やろうぜ! ぜってぇ面白れぇぞ!」


 アリエラの提案に乗り気になったのか、ギルが興奮気味に声を上げながら少女の元へと歩み寄った。


 そんな二人の様子を横目で見ていたジェリックは、一つため息を吐くと、告げる。


「ダメだ。このガキには手を出すな」


「は? なんだよジェリック、お前、まさかそのガキに惚れちまったのか!? ぶはははははっ! マジかよ! 笑えるぜ!」


 ジェリックの言葉を聞いた途端、ギルが腹を抱えて笑い始める。


 アリエラに関しては、気持ち悪い物でも見るように、ジェリックを見下している。


 そんな二人の視線を受けながらも、ジェリックは深い深呼吸をすると、もう一度告げた。


「客の要望だ。さもないと、全部返してもらうだとよ。支援も断ち切るそうだ。なぁ、ギル。これの意味が分かるか? 俺達は用済みになるってことだ。分かるよなぁ?」


 徐々に声音を上げていったジェリックの声が、部屋中に響き渡る。


 明らかに怒りのこもっているその声を聞いたギルは、先ほどとは打って変わって黙り込んだ。


 対するアリエラが、不思議そうな顔で疑問を口にする。


「どうしてあの男が、このガキを庇うんやろうか? 実は知り合いだったとか?」


「さぁな。そんなこと、俺達にとってはどうでも良い事だろ。それよりも、また予定が狂った。アリエラ、ここの責任者を読んで来い」


「はぁ? なんでウチが……」


「呼んで来い!」


 怒りに任せたかのように叫んだジェリックの声を聞いて、アリエラは信じられないとでも言うような表情をしながら部屋から出て行った。


 そして、部屋に沈黙が訪れる。


 生ぬるい空気の中でジェリックの視線を一身に受けていたギルが、耐えかねたのかゆっくりと口を開いた。


「よ、予定が狂ったってのは、どういう意味だ?」


「……早めるんだそうだ」


「は?」


 ジェリックの短い返答を聞いたギルが、呆けたような声を上げる。


 ギルの素っ頓狂な様子を見て苛立ちを覚えたジェリックは、怒りを噛み締めるように説明を始める。


「あの野郎……今が格好のチャンスだとか言いやがって、ザンブルグ王のところに向かいやがった。つまり、納期が短くなったってことだ。意味わかるか? もっと大量にこいつを作らなくちゃならねぇんだよ」


 そう言いながら、ジェリックは自身が着ている服をつまんでみせる。


 それだけ言えば、流石のギルでも内容を把握したのだろう、徐々に表情に怒りを顕わにしながら、文句を言い始めた。


「なんで早めるんだ!? まだまだ時間はたっぷりあるって言ってたじゃねぇか!」


「ミスルトゥの様子がおかしいってことぐらい、お前も知ってるだろ? あれが原因だそうだ。『なぜミスルトゥがミスルトゥと呼ばれているか、君は分かるか?』とか言いやがって、完全に俺たちのことをバカにしてやがる」


 悪態を吐けば吐くほどに込み上げて来る怒りに震えていると、アリエラが一人の男を連れて戻って来た。


 不貞腐れたような表情のアリエラと対照的に、挙動不審な男は、ジェリックと視線を交わすと、すぐにうつむいてしまう。


 その仕草に苛つきを覚えながら、ジェリックは男に告げる。


「倍だ。今までの倍、作れ」


「倍!? そんな!? できるわけが……」


「作れって言っているのが聞こえないのか? それとも何か? 家族とはオサラバしても良いってのか? お前は何も考えずにゴミどもをこき使ってればいいんだよ!」


「……」


 彼の言葉を聞いた男は、何も言葉を発することなく、一つ頷いて見せた。


 そうして、慌てたように部屋から出て行く。


 乾いた音と共に扉が閉まったのを確認したのだろうか、アリエラが面倒くさそうに口を開いた。


「倍って、何に使うんだい?」


「何って、戦争に決まってんだろ」


 ジェリックの短い答えを聞いたアリエラは、少し楽しそうに笑みを浮かべたのだった。

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