第221話 最悪(追憶)

「まさか、精霊を喰ってしまうとは。全く、面倒なことをしおってからに」


「ごめんなさい……」


 日が暮れる前に研究室に戻ったアイオーンは、見てきた全てを、グランとサーナに話したのだった。


 意気揚々と話し始めた彼だったが、話の途中でグランの顔色が悪くなっていることに気が付き、全てを察したのだった。


 呆れた様子のグランとは打って変わり、非常に楽しそうなサーナがケラケラと笑いながら話しかけてくる。


「まぁまぁ、これは一つ、勉強になったって事じゃないですか。面白いですねぇ。時にアイオーン。一つ聞きたいんだけどねぇ? どうして精霊を食べようと思ったのかな? あたしやグランなんかは、その場に精霊が居たとしても、決して食べようとは思わないんだけど。何が君にそうさせたのかな? おいしそうな見た目をしていたのかい? それとも、食べてくれって言われたのかい? ん? そもそも君は、精霊を見たり聞いたりすることが出来たのかい? だとするならば、ちょっと不思議な事なんだけれども……おや、ごめんね、一つじゃなくなっちゃったねぇ。全部応えてくれたら、嬉しいなぁ」


 捲くし立てるように問いかけて来るサーナの勢いに、半ば圧倒されながらも、アイオーンは応えることにした。


「見えたり聞こえたりはしなかったけど、なんか、良いニオイがしたから、思わず食べちゃった感じ……」


「匂いですかぁ! それはまた、なんというか、新しいですねぇ。ちなみにその匂いを嗅いだのは初めて? それと、どんな匂い? あたしも知ってる匂いかな? すごく気になりますねぇ。グランもそう思わない?」


「お前は……少しは状況を考えんか。確かに、気にならんかと言われれば気になるがの……」


 呆れながらもやはり気になるのか、グランまでもが考えながらアイオーンへと目を向けてくる。


 どこか期待の込められているその視線を感じたアイオーンは、あわよくばと言う淡い気持ちを込めて、二人に返事をした。


「精霊のニオイは初めて嗅いだよ。どんなニオイ……うーん、いつも食べてる氷と似てるかな。ちょっと違うけど……。ニオイ自体は、普段から嗅いでるんだけどね。グランも、サーナも……そうだ! ちょっとだけ、サーナのニオイに似てるかも!」


 そう告げたアイオーンは、二人が顔を見比べているのをみて、頭を傾げた。


 対する二人は、不思議そうな表情でお互いの顔を見比べると、再びアイオーンに目を向けながら問いかけてくる。


「グランのニオイは、まぁ、加齢臭として、あたしはどんな匂いがするんだい?」


「お主……いや、いい。アイオーン、その匂いとはどのようなものなのじゃ? 儂の弟子達も匂いがするのか?」


「どんなニオイ……うーん、よくわかんない。弟子の皆もニオイがあるよ。みんな違うニオイで、良いよね。それと、外に出て一番いいニオイだったのは、お日様かな。優しく包んでくれるような、良いニオイだった。他にも、草原の草とか、木とか、土の中にいる沢山の生き物とか。みんな独特なニオイだったよ」


 アイオーンの言葉を聞き、唖然とするグランと喜び始めるサーナ。


 そんな二人を見た彼は、込み上げて来る嬉しさを隠すことなく、二人に問いかけた。


「生まれた時からニオイのことは分かってたんだけど、もしかして、皆には分からないの?」


「あたし達が話してる匂いと、アイオーンの言ってるニオイには、大きな違いがあるみたいだね。ふむ、これは興味深いですね。他にもなにか、これが出来るんだよってものとかあったりしないのかい? そういうのがあれば、教えて欲しいんだけどなぁ」


「他に出来ること? そうだなぁ……あ、そうだ、精霊を食べた後に気づいたんだけど、翼を使わなくても飛べるようになったんだよ! 凄くない?」


「なんじゃと!?」


 彼の言葉を聞いたグランは、フラフラと後ずさると、近くにあった椅子に腰を落とした。


 よほど驚いたのか、目を見開いたままアイオーンのことを凝視している。


 そんな様子のグランとは打って変わって、やはりと言うべきなのだろう、サーナは喜びに満ち溢れた顔で飛び跳ねている。


「ほーーーー! それはなんとも! 想像が膨らみますねぇ! 何が出来るんでしょう! 何が出来たんでしょう! グラン、こればっかしは、あたしも負けを認めざるを得ないですよぉ! 素晴らしいじゃないですかぁ! 面白いじゃないですかぁ! そして、忙しくなりそうですよ!」


「そんなにすごい事なの? たしかに、空を飛べることは凄く気持ちよかったけど」


「そうですよ? さっそく報告しに行きましょう! ほら、グラン、大人しく椅子に座っている場合じゃないですよ?」


「いかん!」


 興奮気味のサーナがグランの腕を引っ張って立ち上がらせようとしたその時、グランは血相を変えた表情でサーナの両肩を掴んだ。


 今までに見たことの無いその表情を見たアイオーンは、息を呑みながら二人の様子を眺める。


「いかん! これは報告してはいかん!」


「なぜですか? と言うのは、まぁ、意地悪な質問ですねぇ。でも良いじゃないですか。あたしとしては、報告した先で何が起きるのか、非常に気になりますけど。特に、彼がどうするのか、すごく気になります」


 悪戯っぽい笑みを浮かべているサーナが、チラッと視線を投げ掛けてくる。


 その視線の意図を理解できなかったアイオーンは、ただ見返すしかできなかった。


「お主は! これが奴らに知れたら何を始めるかくらい想像できておるだろうに! そんなことをしてしまえば、何が起きるか分からん! 最悪の場合……!」


「その最悪の場合っていうのは、今、現時点でグランが想像しうる中での、最悪を言ったものですか? だとしたら、気になりませんか? もしかしたら、想像を絶するほどの結果になる可能性だって、あるわけですよ? そんな瞬間を見て、聞いて、知って、感じることが出来るのなら、あたしとしては本望なんだけどなぁ。あたしの手の届かないものが、あたしの測り知れないものが、あたしの知り得ない結果が、この世の中に存在するかもしれない。それを知ることが出来るのなら、あたしは命を失っても良いと思うんですけど。グランは違うのですか?」


「何をバカな事をっ!」


 両の肩を掴まれたまま捲くし立てるサーナ。


 そんなサーナの言葉を聞いたグランは、狼狽えながらも彼女を押し退けた。


 そして、サーナの傍らを通りながら部屋の扉へと歩き、ノブに手を掛けながら告げた。


「良いな! 絶対に言ってはならんぞ!」


「……まぁ、もう遅いんですけどね」


「なに!?」


 サーナが返答するや否や、グランの目の前で扉が開け放たれた。


 そうして部屋の中へと入って来た人物を見たグランは、驚愕と恐怖の綯い交ぜになった顔を見せている。


 そんな表情を真っ向から受け止めつつ、部屋へと入って来たその人物は、乱暴にグランを突き飛ばすと、しかめっ面のまま告げる。


「そいつを牢にぶち込んでおけ!」


 扉からぞろぞろと入って来た大勢の人間が、グランを拘束し、部屋の外へと連れ出してゆく。


 よんな様子を混乱しながら眺めて居たアイオーンは、咄嗟にグランを助けようと動こうとした時、しかめっ面の男と目が合った。


「動くな。動けばあの男の命は無いと思え」


 冷酷で冷淡なその言葉を前に、アイオーンは身動きを取ることが出来なかった。


 そして、思う。


 この人間は嫌いだ、と。

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