第186話 柔軟
「……この一晩で何があったんだ?」
サラがオルタを見て放った第一声はそんな言葉だった。
夜が明け、日が昇り切ってしまう前に闘技場に入ったオルタは、新たに割り振られた2番の門の前で待機していた。
そんなところに少し遅れてやって来た彼女が、オルタの姿を見て驚くのは仕方がない事だろう。
「……まぁ、色々、あってな」
喋るたびに頬の鱗がギチギチと音を上げ、顎の動きを制限してくる。
それは頬だけにとどまらず、体中の関節部分でも同じことが言えた。
まるで、鎧を着込みすぎてしまった騎士のようだ。
自身の変貌ぶりに辟易しながら、オルタはサラの様子を伺う。
しばらくオルタの様子に唖然としていたサラだったが、すぐに気を取り直し、壁に背中を預けて座り込んだ。
あまり詮索するつもりは無いのか、昨日と同じく何かを作り始めた彼女に、オルタは話しかける。
「……今日もよろしくな……」
「よろしくって……あんた、そんなんでちゃんと戦えるの?」
その言葉を受けたオルタは、一度自身の腕や掌を眺めた。
「……多分」
「まぁ良いけど。昨日はワザと変位しなかったってこと?」
「え? ……あぁ、そんなとこだ」
「そうなんだ」
あまり詳しい話を説明する気になれなかったオルタは、適当にごまかすように返事をした。
そんな彼の考えを読んだのか、サラは訝しむようにオルタの体を眺め、作業へと集中し始める。
なんとかごまかせたと安堵したオルタは、昨日と同じように係の人間がこちらに歩いてくる様子に気が付いた。
相変わらず袋を持っているその女性は二人に2番の札を手渡すと、簡単な説明を始める。
内容としては、昨日と同じようなもので、禁止事項と勝利条件、そして、この試合で勝ち残れば午後の試合でノルディスと対戦できることを告げた。
代り映えのしない説明を聞き流していたオルタは、不意に女性から呼び掛けられたことに気が付く。
「お二人にノルディス長官より伝言があります」
「……え? 伝言?」
問い返しながら、オルタは昨晩のことを思い出す。
自身の体に起きている現象が『変位』と呼ばれるもので、慣れれば自在に扱うことが出来るということ。
その方法を、今日の試合を勝ち上がれば、教えてくれるという話。
今までと異なり、確実に機動性は落ちている。
こんなことで戦えるか不安ではあるが、全く動けないわけでは無いため、やるしかないだろう。
「では、お伝えします。『オルタとサラ、お前達には期待している。全力を出して戦い、そして勝ち上がって見せろ。とはいえ、オルタ、お前はその状態では全力を出すことが難しいだろう。だから一つ、ヒントをやろう。俺達ウルハ族が最も得意とするものは、腕力じゃない。柔軟性だ』……とのことです。それでは、健闘を祈ります」
手紙を読み上げた女性は、その手紙をオルタへと手渡すと、足早に立ち去って行った。
その様子を見送ったオルタは、改めてノルディスの手紙を読み返してみる。
「柔軟性? どういう……事だ?」
ひとしきり考えてみたオルタだったが、何かを掴めはしなかった。
そもそも、全身が鱗のせいで硬質化している状態で柔軟性と言われても、全く参考になりそうにない。
「もともと、体が柔らかい、訳じゃないしな」
頭を抱えていたオルタは、すぐ隣にサラが歩み寄ってきていることに気が付いた。
なにやら真剣な表情でオルタの顔を覗き込んでくる。
「あんたはノルディス長官と面識があるのか?」
「あぁ、昨日ちょっとな……」
反射的に答えたオルタは、思わず口を滑らせたことに気が付く。
口を噤むオルタの様子を見たサラも、何かを察したのか小さく頷きながら呟いた。
「昨日……ね。そういうこと」
彼女が何を理解したのか分からないオルタは、そのままサラの様子を伺う。
互いに腹の探り合いが始まった状態で、先に口を開いたのはサラだった。
「あんた、昨晩の光の柱と何か関わりがあるんだろう?」
核心を突く質問に戸惑いを隠せなかったオルタは、せめて何も言うまいと、再び口を噤む。
しかし、そんなオルタの様子を見たサラは、珍しく薄い笑みを溢した。
「私、昨日見てたんだ」
「なっ!? どうやって……!?」
「やっぱり関わってる感じか。あのイルミナまで出張ってたんだ、何をしていた?」
そこまでバレているということは隠しても仕方がない。
そう考えたオルタは、簡単に事情を説明することにした。
仲間が人身売買組織に誘拐された事。仲間を見つけるために、隠れ家を探していた事。光の柱は目印として仲間が上げていた事。
そして、助けるために戦っていた途中で、このような身体になってしまった事。
話しが進むにつれ、サラの表情は曇って行った。
その様子を見ていたオルタは、自身の話し方や内容が気に食わないのかと不安を抱いたが、どうやらそうでは無いらしいことに気が付く。
オルタの持っていた疑問は、サラの質問によって確信に変わった。
「そこに捕まっていた中に……私と同じ猫人族の女はいなかった?」
「……いたような、気がする」
オルタは朧げな記憶を思い出しながら答えた。
全身の疲労感や痛みに耐えていた状態だったため、明確に覚えてはいない。
ただ、一人、猫のような耳を持った女性が居たような記憶は、確かにあった。
そして、そこまで聞けば、流石のオルタでも察することが出来る。
そんなオルタの推測を裏付けるように、サラは俯きながら呟いたのだった。
「ハル……」
彼女が呟くと同時に、門が音を立てて開き始める。
門とサラを見比べたオルタは、しおらしくなってしまったサラの背中を軽く叩いた。
見たことがないほどに不安そうなサラが、彼を見上げてくる。
そんな彼女に向けて、オルタは告げた。
「今日の試合が全部終わったら、会いに行ってみようぜ。俺が掛け合ってみるからよ。ん? あれ、ちょっと話しやすくなってるな」
先程よりも少し、口を動かしやすくなっている気がする。
オルタが顎を摩りながら口をパクパクと動かしていると、隣でサラが笑った。
彼の様子を見て思わず零れた笑顔なのか、不安が晴れたことで零れた笑顔なのか。
当の本人ではないオルタには分からない。
分からないが、笑顔であることには変わらない。
「よしっ。やるぜ」
「……あぁ、よろしく頼む」
薄っすらと目に浮かんだ雫を拭ったサラは、一つ決心したような表情でオルタの掛け声に応えたのだった。
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