第171話 眼光
暗闇。
腹部に圧迫感を覚えたクリスは、目の前が真っ暗闇であることと、口を塞がれていること、そして何者かによって運ばれているということに気が付いた。
手足も自由が利かないため、縛られているのだろう。
そんなことを確認するために体を動かしたからだろうか、クリスに向かって、声が掛けられる。
「おい、動くんじゃねぇ。殺すぞ。」
端的なその言葉を聞いたクリスは、声はもちろん、体から鳴り響く音を消すことに尽力した。
彼の思惑とは裏腹に、クリスの心臓は、けたたましく鳴り響いている。
そんな状態でしばらく何もせずにいると、何やら金属音が聞こえ、唐突な浮遊感に包まれた。
途端、右半身に衝撃を感じ、そこで初めて放り投げられたのだと気が付く。
痛みを感じる場所を摩ることもできずに、クリスはただ唸ることしかできなかった。
唸る声を聞いたのか、何者かが近付いて来る足音がする。
その足音が近づくたびに、クリスは唸り声を弱めていった。
何物かはしばらくクリスの後頭部辺りをゴソゴソと漁ったかと思うと、次の瞬間、一気に視界が開ける。
「ぼうず、お目覚めだな。」
ガラガラ声で語り掛けてきたその男は、酷くみすぼらしい格好をしている以外に、特徴のない男だった。
そんな男は右手に持った布切れを放り捨てると、クリスの顔を掴んで顔を近づける。
あまりにもひどい臭いを感じたクリスが顔をしかめると、男はニタリと笑みを浮かべる。
「ぼうず、目が覚めたばかりで悪いけどな、静かにしておいた方が身の為だぜ。あんな風になりたくなければな。」
そう告げた男は無理矢理にクリスの顔を右に向かせ、その光景を見せようとする。
当然、クリスは抵抗できるわけもなく、されるがままに右を向いた。
暗い空間。
その時初めて、クリスは自身が大きな牢屋の中にいることに気が付いた。
壁を構成しているのは鉄格子と、岩壁。
もしかしたら、どこかの洞窟の中かもしれない。
そんなことを悠長に考えていたクリスは、自身と同じ牢屋内に、数人の人が倒れていることに気が付いた。
ほぼ裸同然の男が二人と、同じく女が一人。
力なく横たわっているその姿は、まるで、こと切れているようにも見える。
全身に恐怖が駆け巡るのを感じたクリスは、先ほどとは違う嗚咽を漏らし始めてしまう。
「ひっひっひっひひひ。安心しな、まだ死んじゃいない。まぁ、変な真似をすれば、死ぬけどな。」
涙を流しているクリスを満足げに見た男は、ようやく彼の顔から手を離し、立ち上がった。
「おい!速く持って来い!」
男がそんなことを叫ぶと、牢屋の外に続いている洞窟から、何やらガタガタと言う音が響いてきた。
何か怖いものが近付いて来るのか、そう思っていたクリスは、思惑が外れたことに安堵した後、絶望した。
『ミノーラ!』
小さな檻に入れられて、意識を失って横たわっているミノーラを、数人の男が抱えて持って来ている。
薄暗い中でミノーラの詳細な状態は分からないが、時折聞こえる鼻息で生きていることだけは確認できた。
そんなミノーラは、クリスの居る牢屋とは別の牢屋の中に入れられてしまう。
その様子を見ながら、クリスの頭の中では様々な思考が駆け巡っていた。
これからどうなるのか、そこに倒れている人たちと同じような目に合わされてしまうのか、どうすればここから逃げ出すことが出来るのか、もう助からない。
まさしく絶望を感じたクリスは、流れ続ける涙を止めることもできず、ただひたすらに目の前で繰り広げられる光景を眺めるしかなかった。
「よし、これで全部だな。今回は結構な収穫だな。良いか、お前ら。犬とガキには手を出すなよ。こいつらは高く売れる。」
先程の男が他の男たちに指示を出すと、全員が軽く返事をする。
これでどこかに行ってくれるのか。心のどこかでクリスがそう考えた時、それとは真逆のことが起き始めた。
その場にいた男たち全員が、クリスの居る牢屋の中へと入って来たのだ。
完全にパニックに陥ったクリスに、男たちは目をくれることも無く、牢屋の隅で横たわっている女を抱え上げ始めた。
一人が女を後ろから支え、他の全員が取り囲んでいる状態だ。
何が始まるのかと不安を抱いていたクリスは、唐突に鳴り響いた音に体をビクリと動かしてしまう。
男の一人が女の顔を引っ叩いたようで、叩かれた女が、薄っすらと目を開けている。
「起きたか、さぁ、続きをするぞ。」
そんなことを告げた男の一人を、気怠そうに見上げたその女は、ゆっくりと口を開いた。
「……殺してやる……。」
そう告げた女は、酷く憔悴しきっており、既に戦えるような体力があるようには見えない。
しかし、その鋭い眼光は、全く命を失っていなかった。
女のその様子を見た男たちは、ニヤニヤと笑いながらお互いの顔を見合わせている。
何が面白いのか、とクリスが考えた時、男の内の一人が思いも拠らない行動に出た。
「おらぁ!」
握られた拳が、力なく立っているだけの女性の鳩尾に叩き込まれる。
突然始まった暴挙を見たクリスは、思わず呼吸を止めてしまった。
痛みに悶える女は鳩尾を抑えながら倒れ込んだ。
倒れ込んだ拍子に距離が近付いたからだろうか、その時初めて、クリスは女の頭に、猫のような耳が付いていることに気が付いた。
荒い呼吸と女の身じろぎする音が響き渡る中、男たちがゲラゲラと笑い始める。
「いつまでも反抗するから、そうなるんだぜ?お、ぼうず、良ーく見とけよ。逆らったらどうなるか、嫌と言う程この女に教え込んでやるからな。お前は大人しくしてろよ。」
ゲラゲラと笑っている男達に恐怖を覚えたクリスが、ふと女に視線を移すと、その鋭い眼光がこちらに向けられていることに気が付く。
しかし、その眼光は先ほどの男たちに向けられていたような、殺気に満ちたものでは無かった。
どこか、切なさを感じるその瞳を見つめてしまったクリスが、話せないまでも怒りの叫びを上げようとした時。
カチャン。
と言う金属音とともに、聞き覚えのある声が周辺に響いた。
「……ん。ここは?あれ?どうなってるんですか?何で私、檻の中に?あれ?そこに人が……。……血の臭い?」
『ミノーラ!』
少し離れた位置にある牢屋の中で、ミノーラが目を覚ましている。
当然、それに気が付いたのはクリスだけでは無かった。
「お!本当に話してるぜ!?これは、マジで高く売れるな!おい、お前ら。少し中断だ。先に犬の調教を始めるぞ。」
クリスがその言葉を聞き、心配を込めてミノーラの方を見た時、彼女と視線が合った。
「……クリス君!?」
驚いた様子のミノーラを目にしたクリスが、大きく唸ろうとした、次の瞬間。
ミノーラの姿が牢屋の中から消えた。
瞬く間に姿を消した様子を見た男たちの間に動揺が広がる。
クリスもまた、動揺した人間の一人だった。
刹那、目の前を光る何かが駆け上って行ったかと思うと、男の野太い悲鳴が辺りに響きあたった。
何が起きたのか、全く状況を把握できなかったクリスが、唯一理解できたのは、一人の男の喉元が食いちぎられ、鮮血をまき散らしながら倒れた事だけ。
先程とは比べ物にならない動揺が周辺に広がった時、クリスは再び、鋭い光を目にする。
それは、床から飛び出して男の喉元に喰らいついたミノーラの、眼光だった。
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