第172話 始末

 あっという間の出来事。


 闇の中から飛び出したミノーラが、男の喉元を喰いちぎり、再び闇へと姿を消す。


 上下左右前後、あらゆる方向から飛び掛かるミノーラを、男たちが止めることなどできるわけもなく、一人、また一人と事切れて行く。


 時が経つにつれて増えて行く屍を見ながら呆然としていたクリスは、男が一人牢屋から抜け出したことに気が付く。


 慌てた様子で牢屋の入口から這い出しているその男は、他の男たちに指示を出していたあの男だ。


 恐怖のあまり腰が抜けたのか、地面を這う男の足取りは非常に遅い。


 しかし、助けを呼ぶ知恵だけは残っていたようで、大声で叫び始めた。


「誰か! 来てくれ! あの犬を止めろ!」


 その叫びを聞いたのだろう、大勢の足音が洞窟中に響き渡った。


『流石にやばい!』


 足音の数と勢いに焦りを感じたクリスは、ふと、牢屋の中へと視線を移す。


 彼は折り重なっている男たちの死体の中に、ミノーラの姿を探すが、彼女はどこにも見当たらなかった。


 確認できたのは、呆然と男たちの死体を眺めている女。


 そんな彼女と目が合ったクリスは、身じろぎで拘束を外すようにお願いをしてみた。


「……あ」


 クリスの様子をみた女は、我に返ったように短く呟くと、ボロボロの衣服で身体を隠しながら、クリスの傍にしゃがみ込む。


「……大丈夫か?」


 女はクリスの口に押し込められていた布切れを取り除きながら、尋ねてくる。


 手際よく体の拘束が外されていくのを確認したクリスは、勢いよく立ち上がり、周囲の様子を確認した。


「ミノーラ! どこに行ったと!?」


 叫んで呼び掛けてみるものの、やはり反応は無かった。


 すぐそこまで迫りつつある足音で増長された焦りに煽られるように、クリスが逃げる術を考え始めた時。


 近付く足音が、絶叫となって響いてきた。


 牢屋の外で這いつくばっている男も、牢屋の中で緊張している女も、そしてクリスも。


 その絶叫が何を意味しているのか、容易に想像することが出来た。


 程なくして絶叫が鳴り止むと、妙に軽快な足音が洞窟に響き渡る。


 薄闇の中、洞窟の奥から姿を現したミノーラが、軽快な足取りでクリス達の方へと歩み寄ってくる。


 時折鼻先を舐めながら歩く彼女の姿は、クリスの目には街中を散策していた時と遜色ない姿のように映った。


 その姿に得体の知れない恐怖を感じたクリスだったが、同時に頼もしくも思う。


 ミノーラのお陰であっという間に窮地を脱することが出来た。


 さきほど考えていた悪い想像が、まるでなかったかのように薄れていくのが分かる。


「クリス君! 無事ですか?」


 いつもの調子で語り掛けて来るミノーラに、クリスは細かく何度も頷いて見せる。


 ミノーラはクリスの様子を伺って問題ないと判断したのか、スッと視線を男へと落とした。


 男の目の前まで歩み寄っている彼女は、一つため息を吐くと、男に問いを投げ掛ける。


「あの、あなたは少し前に会ったことがありますよね? 荷車を襲ってきたときに、あなたのニオイを嗅いだ覚えがあります。教えてください。ここはどこですか? あなた達はここで何をしているんですか?」


「……」


 彼女の問いを聞いた男は、うつむいたまま沈黙を貫いた。


 クリスはその二人の様子を伺いながら、そーっと牢屋から抜け出し、ミノーラの傍に寄り添う。


 彼女の柔らかな毛並みをそっと撫でつけたクリスは、自身の膝が細かく震えていることに気が付く。


 鼓動も未だに激しく打ち付けており、妙に頭が鮮明になっている気がした。


 心が安心できたとはいえ、体はそう簡単に状況の変化を飲み込めるわけでは無いらしい。


 今すぐにでもここを離れたいと考えた彼は、ミノーラに提案する。


「ミノーラ。早くここから出よう」


 しかし、ミノーラはそれほど乗り気と言うわけでは無さそうだった。


「……クリス君。ちょっと待ってくださいね。私はこの男に聞きたいことがあるんです」


 そう告げた彼女は、男に視線を戻すと、今までよりも低い声で話しだした。


「命が惜しければ答えてください。これが最後ですよ? ここはどこで、あなた達は何をしていたのですか?」


 蹲って沈黙を守る男が言葉を発する様子はない。


 その様子を見て、ミノーラが半ば諦めたようなため息を吐いた時、牢屋の中から出てきた女が声を掛けてくる。


「こいつらは人身売買をしてる組織の人間だよ。この奥にも、大勢捕まってる」


 フラフラと歩み寄って来る女は、男の横に立つと、歩みを止めた。


 蹲っている男を見下ろして蔑みの視線を投げていた女は、ふと、クリスの方に視線を投げてくる。


「……どうしたん?」


 女の視線の意図を図りかねたクリスは、思わず問いかけた。


 その問い掛けに、女はため息一つで応えた。


 そうして、しゃがみ込むと、男に向かって告げる。


「その子に感謝しろ」


「ひっ」


 女は短く悲鳴を上げた男から目を離すと、ミノーラの傍に近寄り、しゃがみ込んだ。


「助けてくれてありがとう」


「いいえ、良いんですよ。どちらにしても、私も逃げなくちゃいけないので。それに、間に合わなかった人もいますよね?」


「……」


 ミノーラは女の言葉に返事をしながら洞窟の奥を見つめたかと思うと、そんなことを呟いた。


 それを聞いた女は黙り込んでいる。


 クリスには何のことか分からなかったが、恐らく、ミノーラは何かに気が付いているのだろう。


 少なくとも嘘をついているようには見えなかった。


 そう考えたクリスが再びミノーラの背中を撫でようとした時、ミノーラの耳がピクリと動く。


 慌てたように周囲を気にし始めたミノーラは、深く息を吸うと大声で遠吠えを始めたのだった。

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