第145話 猪肉

 5人で焚火を囲んで座り込んだまま、カリオスはクリスの鋭い視線を真っ向から受けていた。


 これでは食事を摂りづらい。


 猪肉をフォークで口元に運びながら、気まずさを味わった彼は、ため息を一つ溢す。


 日はとっくの昔に暮れてしまい、既にクリスを追い返すわけにはいかない。


 かと言って、明日の朝早くからクリスを連れてマリルタに戻るのは気が引ける。


 それはクリス自身も望まないだろうし、何より、クラリスの身の安全を考えても得策とは言えないだろう。


『厄介だな。ただ、他の大人に比べれば、クリスの方が根性だけはありそうだ。』


 全身に傷を負いながらも、たった一人でここまで歩いて来たクリス。そんな少年を改めて見たカリオスは、その健気な想いに感心しつつ、危うさを感じた。


『妹のため……か。』


 それだけでここまで出来るのだろうか。と考えたカリオスは、ふと思い出した。


 クリスにとって、クラリスは妹である以上に、たった一人残された家族なのだ。


「クリス君。味はどうかな?あんまり味付けは出来てないんだけど、おいしい?」


「……薄い。」


 ニッコリと笑いながら尋ねたタシェルの顔が、一瞬で引き攣る。そんな会話を聞いたのか、ミノーラが口を挟んだ。


「やっぱりお肉は生で食べるのが一番なんですよ。猪は肉厚で、歯ごたえがあって、おいしいですからね。クリス君。ちょっと食べてみますか?」


「……いらん。臭い。」


「そうですか……。」


 あからさまにシュンとするミノーラが寂し気に肉に食らいついた。そんな様子を見ていられなくなったカリオスは、フォークを置くと、ペンを取り、メモに言葉を書き始める。


 そんな彼の様子を睨んでいたクリスは、ようやく反応があったカリオスをまじまじと見つめている。


 書き終えたメモを一番近くに座っていたオルタに手渡すと、オルタはいつものように音読を始めた。


「『クリス。お前は何が出来る?』……。」


 音読したオルタは、顔を伏せながら口を閉ざした。


 同じように、タシェルとミノーラも表情を曇らせる。


 そんな彼らの気持ちを理解しているカリオスは、だからこそクリスに対して、この問いをした。


 そんなカリオスの問いを聞いたクリスは、一瞬で顔と目を輝かせると、料理とフォークを置いて立ち上がる。


「俺!魚を獲れるばい!あと、少しだけなら弓を使える!薪割りもしてたから、そこそこ力もあるけん!あと、それから、えっと……。」


 元気よく語りだしたクリスは、語りながらもカリオスを凝視していた。


 だからこそ、気づいたのだろう。


 他にもある、とばかりに言葉を並べようとしていた少年は、見る見るうちに語尾を弱め、次第には黙り込んでしまった。


 そして、問う。


「おい、なんで泣くんや。なんで……。」


 感情を抑えられなかったカリオスの様子を見て動揺したのか、辺りに目をやったクリスは他の3人までもが元気を失っていることに気が付き、動転し始める。


 そんなクリスに対して、カリオスは再びペンを取ると、書き終えたメモをオルタに渡した。


「『俺はな。このカリオスっていう馬鹿な男はな。何もできないんだ。何もできなかった。その結果、クラリスを攫われてしまった。すまない。本当にすまない。彼女は必ず、俺たちが助けて来る。だから、君は待つんだ。マリルタで、俺たちの帰りを待っててくれ。』……。」


 自分で言えないことが口惜しい。


 オルタが読み上げている間、カリオスはクリスと目を合わせることに耐え切れず、謝罪と罪悪感の意を込めて、頭を下げ続けた。


 オルタの声が次第に震え始めるのを聞きながら、思う。クリスはこんな自分たちを見てどう思うだろうか。


 情けなくて、信頼できるわけが無い。


 昨日決心した気持ちが、既に薄れ始めていることを感じたカリオスが、改めて自分に喝を入れる必要性を感じた時、クリスの声が聞こえた。


「……ふざけんな。」


 当然の、手厳しい言葉。


 そう考えたカリオスは、しかし、クリスが続けた言葉で動揺を隠せなかった。


「何も出来んかったのは俺の方たい!ふざけんなっ!父ちゃんと母ちゃんが島に行った時も!クラリスが島に送られそうになった時も!あいつらが襲ってきた時も!口だけ達者に動かして!!ふざけんな!二人は戦っとったのになに泣いとるんよ!泣くなよ!泣くなよぅ……。」


 焚火を飛び越え、カリオスの服に掴みかかってきたクリスは、大声で喚き散らし、最後にはうずくまってべそを掻き始めた。


 そんな少年の様子を呆然と見つめていたカリオスに、オルタが近寄り、肩にそっと手を置く。


「カリオス、連れて行こうぜ。俺たちが強くなればいい。クリスを守れるくらい、そして、クラリスを助けられるくらいに。とんでもねぇくらい難しい事は分かってっけどよ。それを俺たちはやってのけなくちゃならねぇんだろ?なぁ、皆はどう思う?」


 そんなオルタの問いかけを聞いたタシェルがクリスの傍にしゃがみ込んで、小さな背中を撫でながら告げる。


「私は少し反対だけど……、でも、この子の気持ちもわかるし。そうだね、私たちでしっかり守ってあげよう。マリルタにはエーシュタルについて手紙を書いておけば、一応の安否だけは連絡できるし。ミノーラはどう思う?」


 タシェルと一緒にクリスの横に寄り添って来ていたミノーラは、クリスの顔を覗き込んだ後、カリオスを見上げながら告げた。


「私もオルタさんに賛成です。それに、カリオスさんは初めから連れていくつもりだったんじゃないですか?」


 見上げられながら図星を付かれたカリオスは、少し居心地の悪さを覚えながらも、良い訳のようにペンを取った。


 いつもの流れのように、オルタがメモを音読する。


「『クリス。すまん。ただ、一緒に行くならせめて、俺たちと同じものを見てもらわなくちゃいけない。その覚悟があるのか、聞いてみたかったんだ。』……なるほどな。そういう意図があったのか。なんつー意地悪な質問するんだと思ったぜ。だけど、確かにそうだな。」


 カリオスの意図を理解してくれたのか、オルタが納得したように頷いている。


 クリスはいつの間にか全員に囲まれていることに動揺しながらも、袖で涙を拭いながら改めて口を開く。


「……断られても着いて行くけん。大丈夫。」


「良い覚悟じゃねぇか!」


 クリスの言葉を聞いたオルタは、ゲラゲラと笑いながら少年の頭を撫でまわし始めた。


 そんな彼の勢いに、他の皆も、小さく笑みを浮かべる。


 そんな彼を見ながら、カリオスは猪肉を口に放り込む。


 咀嚼するたびに苦みと臭みが染み出てくるが、それ以上に、仄かな甘みと旨味が体に染み渡って行くような気がした。

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