第146話 月下(幕間)

「……面倒くせぇなぁ。」


 そうぼやいた男は、左手で頭をボリボリと掻き毟りながら天井を見上げる。


 真っ暗闇の中、薄っすらと見えるその天井は、やけに高く見えた。


 そのまま視線を落とした男は、眼前の鉄格子に目をやると、舌を一つ打つ。


「……いつだ?なぁ、いつになったら出れるんだ?俺は早くここを出なくちゃならねぇんだぞ。早く出て!あの野郎を!ぶちのめさねぇと気が済まねぇ!おい!聞いてんのか!そこに居るんだろうが!クソ野郎!」


 初めはボソボソと言葉を溢していた男は、徐々に怒りを顕わにし始めると、ついには立ち上がり、左腕で鉄格子を強く殴りつけた。


 周囲に甲高い金属音が響く。


 しかし、男のその罵声に反応する者はおらず、ただ虚しさと静寂だけが広がってゆく。


 打ち付けた左腕をしばらく眺めた男は、だらりと垂れて動かない反対の腕に目をやると、再び舌を打つ。


 焼けただれ、動かすことが叶わなくなってしまった右腕。


 全てはあの男のせいだ。


「殺す殺す。絶対に殺す。あぁぁぁぁぁぁぁ!イラつくぜ。おい!マーカス!聞いてんだろ!ここから出せっつってんだ!おめぇはこの街を守るだけなんだろ?俺はこの街から出ていくからよぉ、そんでもって、カリオスをぶっ殺しに行くからよぉ。開けろ!出せ!」


 どれだけの大声で喚きたてても、誰かが反応することは無かった。その反応をみた男は、さらに怒りを増長させる。


 気が立ち、冷静さを欠き始めていたその男は、しかし、異常に研ぎ澄まされた感覚で何者かが近付いていることを感知する。


「あぁ?なんだ?誰かいんのか?おい!早く開けやがれ!」


 掴んだ鉄格子を全力で前後に動かそうとした男は、動かない鉄格子と、返事をしない訪問者にイラつく。


 再び声を荒げようとした男が口を開きかけた時、ようやく、彼の欲しがっていた答えが返ってきた。


「ここを開けて欲しいのか?」


 聞き覚えの無い声に、一瞬身構えた男だったが、すぐさま言葉の意味を理解し、ニタァっと笑みを浮かべる。


「へっ。話しが分かるじゃねぇか。早く開けろ。」


 そう告げた男の言葉を聞いて、もう一つの声が、響く。


「おい、こんな奴を出すのか?私は反対だぞ。」


「何だとてめぇ!」


 そんな彼の言葉が響く中、声の主がようやく鉄格子の前に現れた。


 一人は、一見普通の人間の男。初めに声を掛けてきたのは、恐らくこの男だろう。


 体格自体はそれほど大きいわけでは無いが、かなり鍛え上げられていると男は見て取った。


 もう一人は、翼を持つ男。全身を羽毛に覆われたその男は、やたらと鋭い目つきで彼を睨んでくる。


 しかし、鋭いのは目つきだけだ。負ける要素は無いと、彼は高を括る。


「おい、鳥頭。てめぇ俺がここを出たら覚えとけよ。」


「まぁ、落ち着いて貰えないか。そうでないと、貴方をここから出すわけにはいかないのでね。いいかな?これは取引だ。貴方は私に手を出すわけにはいかないし、この彼にも手を出してはいけない。ただ一人、ある男だけに集中してほしい。」


 人間の男が、やたらと畏まった仕草で話し始めたかと思うと、右手の人差し指で数字の1を示した。


 一人の男。


 そう言いたいのだろう。


 何を言い始めたのかよく理解できなかった彼は、人間の男をじっと睨みつける。


「あぁ、貴方の言いたいことは分かるつもりですよ。突然一人の男に集中しろと言われても、困るでしょう。でも、もし、仮に。奇跡的な話として、私の言っているその男と、貴方の狙っているその男が同一人物なのだとしたら、貴方はどうします?」


「はぁ?んなワケねぇだろ……」


 反論しようとした彼は、しかし、得意げな表情を崩すことの無い様子に違和感を覚えた。


 そんな感情の揺れ動きを感じ取ったのか、人間の男は薄っすらと笑みを溢すと、軽く会釈をしながら話し始めた。


「申し遅れました。私はバートンと申します。こちらはトリーヌ。偶然、本当に偶然なんだがね?少し前にこの街で起きたことを耳にしまして。ぜひとも貴方に会いたいと思って、ここに現れたのですよ。」


 聞いているだけでイラつきを覚える程に仰々しく語り始めたバートン。


 彼の言葉に含まれているであろう様々な意味を納得した彼は、イラつきを振り払って、ニヤリと笑みを溢す。


「面倒くせぇ。面倒くせぇが、テメェの口上に乗っかってやるぜ。」


 薄っすらとバートンが笑みを浮かべることを確認した男は、取引が成立したことを認識する。


 ゆっくりと胸ポケットへと手をやったバートンが、そっと取り出したのは一つの鍵だった。


「さて、それでは貴方をここから出してあげようと思うのですが。その前に、名前を聞いても良いだろうか?」


「……レイガスだ。」


 そう答えたレイガスはバートンが牢の扉を開け放つのを確認すると、ゆっくりと足を踏み出し、自由を踏みしめた。


 それは、カリオスやミノーラがクリスと焚火を囲んだ日。同じ月の下の出来事だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る