第91話 握手

 クラリスの案内で集落の裏にあった林を抜け、海岸へと出たカリオス達は、彼らに向かって迫りくる強風を前に足を止めざるを得なかった。


 雨は降っていないにもかかわらず、細かな水滴が顔や体に降りかかるのを感じる。砂浜に打ち付ける波がそれらの飛沫を上げているのだろう、風に乗ったそれらが容赦なく飛び掛かって来ているのが分かる。


「すごい……確かに、海神様が怒っているって言われても、納得できる気がします。」


 隣で荒れ狂う海を見ていたミノーラがぼそりと呟いた。風や荒波の砕ける音で鮮明には聞き取れなかったが、おおよそ言っていることは理解できる。


 時間と共に彼女の体毛はしっとりと艶を見せ始め、同時に重量感を増しているようだ。そんな彼女の様子を見て、人も狼も案外似ているもんだと思い、肌にピッタリと張り付いているシャツを軽く引っ張る。少しだけ、気持ちの悪さが拭えた気がした。


 カリオスは隣のミノーラから視線を海へと戻すと、その先にぼんやりと見える薄い影へと意識を集中する。


 上下に揺れ、泡立っている水平線上に見え隠れする薄い影。どうやらその影が、例の島のようだ。


『嵐の中あんなところまで船で行けるわけないな。』


 あまり海について詳しくないカリオスですら、そう思えるほどに遠い。


「カリオスさん!あそこに行くにはどうしたら良いでしょうか?」


 流石のミノーラも、船で行くことは不可能だと考えたのだろう。困り顔でこちらを見上げている。少しかわいそうではあるが、これはムリだろう。と意味を込めて、彼は首をゆっくりと横に振った。


『失望したような顔するなよ。俺にも出来ないことは沢山あるんだからな。』


 あからさまにしょんぼりとした様子のミノーラに対し、心の中でぼやいたカリオスは、少しの罪悪感を味わいながら、ふと背後の林に目をやる。


『そういえば、ここはこんなに風が強いのに、集落ではそれほどでもなかったな。この林のお陰か?』


 その林は、今までに彼が見た事の無い木々で構成されていた。葉と思われるものの形状が針状で、本当にこの林のお陰で風が弱められているのかは定かではないが、事実、これほどの風は通していないようだった。


「おっちゃんどうかしたん?」


 未だにミノーラの背中にしがみついているクラリスが問いかけてくる。まさかこんな幼い少女が彼の疑問に答えられるとは露ほどにも疑わず、彼は質問をはぐらかすことにした。


 何も告げずに首を振るカリオスに対して、少女は不思議そうに言う。


「なんでおっちゃん喋らんと?ウチのこと嫌いなん?」


「違いますよ。カリオスさんは喋ることが出来ないんです。」


「え?そうなん?それ、ウチやったらバリ嫌や!もしかして、近付いたらうつる?」


 まるで見当違いな勘違いをしている少女に対し、再び首を横に振ると、カリオスはふと空を見上げる。今、雨が降ってきた気がしたのだ。


「あ、降ってきましたね。そろそろ戻りましょうか!」


 ミノーラも気が付いたようで、すぐさま踵を返す。


 来た道を戻った彼らが集落に辿り着いたとほぼ同時に、雨が本降りになり始めていた。


 冷たく鋭い雨の線に乗った湿り気が、辺り一面の空気を重たく塗り上げていく。駆け足で少年の寝ている建物へと向かったカリオス達は、急いで中へと入った。


 既に修繕などの作業を終えていた集落の人々も、この建物に集まっているらしい。他の建物は余程ひどい状況なのだろうか。いくつかあった部屋も、今は既に満室のようだ。


「あ、クラリス。どこ行っとったん?嵐が近付きよるんやけん、あんまり遠くに行かんとばい?」


「分かっとうよ!」


 建物に入ったタイミングで出くわした気の強そうな女性に声を掛けられたクラリスは、バツが悪そうにミノーラの背中から降りると、スタスタとどこかへと駆けて行った。


「悪いね、クラリスが迷惑かけたみたいで。なんも悪い事はしちょらんかった?」


 明らかにカリオスに語り掛けてくるその女性に、彼は仕方なく首を横に振るしかない。その反応を見た彼女が、「クラリスを叱らねば」と勘違いする前に、ミノーラがすかさずフォローする。


「あ、すみません、カリオスさんは色々あって、今言葉を話せないんです。クラリスちゃんは何も悪い事はしていないですよ?ところで、私はミノーラです。彼はカリオスさん。あなたの名前は何と言うんですか?」


「……ほえ~。こう見ると不思議な感じがするなぁ。アタシはジル。よろしくね。」


 そう名乗った女性は、先ほど髭面の男を追い払ってくれた女性だ。すらりとした長身で、その四肢はしなやかさを備えていることが傍目で見ても充分に分かる。


 後頭部で一つに結われた艶のある黒髪と、切れ長の目、ツンと高い鼻。そんな彼女の特徴を観察したカリオスは、自身が少しばかり彼女のことを意識していることに気が付き、握手のために彼女が差し出している手を短く握ると、すぐに手を放してしまう。


「さっきはハイドが失礼なことして悪かったね。今はみんな少しピリピリしとるけん、虫の居所が悪かったんよ。」


 握手を終えた手で首元を摩りながら、ジルが言う。そんな彼女に理解を伝えるために、短く何度も頷いた彼は、ふと廊下の先から視線を感じ、ジルの背後へと目をやった。


 そこに居たのは、噂のハイドと言い伝えについて説明してくれたザムスの二人だった。


 二人の男がこちらへと歩み寄ってくる。どことなく緊張感を感じたのか、ミノーラもカリオスも押し黙るほか無かった。


「少しよろしいでしょうか?全員で話しがしたいので、応接間に集まってもらいたいのですが。」


 開口一番に告げられたザムスの提案に、二人は反対することもせずに軽く頷く。そんな二人の様子をみたザムスは静かに微笑むのであった。


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