第63話 背中
オルタは背中にドクターファーナスを背負い、全力で旧坑道前の広場へと向かって走っていた。この際、全身の痛みやドクターファーナスへの気遣いは無視しても良いだろう。
先ほどチラッと見ただけでも、大勢の人が傷を負い、倒れていた。すぐにでも彼女の力が必要だ。
まるで鬼気迫る形相で走るオルタの様子に、街の人々は自然と道を開けてくれた。そんな人々も、広場に近づくにつれ、少しずつ騒がしくなってゆく。
「どいてくれ!医者を連れてきた!道を開けてくれ!」
広場を見ようと集まっているやじ馬たちに大声で声を掛ける。そんな彼の様子に気が付いたやじ馬たちは、狭いながらも、一本の道を作ってくれた。
そんな道を抜けた彼は、広場の真ん中で背中のドクターファーナスを下ろす。
「あら、もう着いたの?早いわねぇ。ありがとうねぇ、オルタさん。」
穏やかにそう告げる彼女だったが、表情は張り詰めている。そんな彼女を見送ったオルタは、視界に入ったマーカスに声を掛ける。
「俺にできることはないか?」
「オルタ。気遣いに感謝する。ここで我々に出来ることは、もうほとんど無いだろう。あとはドクター達に任せるしかない。私は今から逃げた二人の追跡を始める。君は傷がひどいのだ。ここで休んでいたまえ。」
そんな言葉を残したマーカスは、部下を数人だけ残して、街の方へと駆けて行った。彼の言う通り、傷だらけのオルタが着いて行っても、あまり意味は無いかもしれない。
そんなことを考えていたオルタに、背後から声を掛ける人がいた。
「オルタさん。マーカスさんを見ませんでしたか?」
「……タシェルさん。マーカスならついさっき逃げた二人を追って、あっちに走っていったぞ。」
「それ本当?大丈夫かしら。」
「何かあったのか?」
心配げなタシェルに事情を聞く。すると、彼女は少し言いにくそうに話し始めた。
「逃げた二人の内、一人が風の精霊を使っているらしいの。そうだとしたら、光の精霊を使うマーカスさんは、不利な状況になっちゃうから。少し心配で。」
「精霊のことはあまり詳しくないんだが。光の精霊は風の精霊に弱いのか?」
「いいえ、そういうわけじゃないんだけど。……えっと、なんていえば良いのかな。風の精霊は風を操っている訳じゃなくて、力を操っているらしいの。そっちの方に一か所、地面が抉れてる場所があるでしょ?」
タシェルはそう言いながら、坑道入口の手前の方を指差した。確かに、不自然に石畳の地面が抉れている。流石のオルタでも、それだけ地面を抉るのは難しいだろう。
「それは逃げたうちの一人がやったみたいなの。マーカスさんの部下がそんなことを言ってて、心配してたから。光の精霊は幻覚を見せたり視界を奪ったりできるみたいだけど、二人相手にどこまで戦えるか……心配になっちゃって。」
「確かに……心配だな。」
心配だ。心配なのだが、今のオルタが行って、何かの役に立つだろうか。せいぜい、肉の壁になるくらいが関の山だ。躊躇するのが普通である。
そんなことを考えていたオルタは、背後に何者かの気配を感じた。何気なく振り向くと、カリオスが立っている。相変わらず悪趣味な口輪のようなものをしているその男は、何やら物を言いたげだった。
「カリオスさん、どうしたんですか?あ、これで指を濡らして、地面に書いて下さい。」
タシェルが水の入った入れ物を手渡すと、彼はスラスラと地面に言葉を書き始めた。
「『風の精霊が力のエネルギーを操っているのは本当か?』……たぶん、本当ですよ。さっきマーカスさんの部下の方が言われてましたので。」
その言葉を聞いたカリオスは、しばらく右手の籠手を見つめながら考えたかと思うと、マーカスたちが走り去った方に目をやった。
「お、おい。カリオス。まさかお前、行くのか!?」
その問い掛けに、カリオスは再び指を濡らすと、地面に一言書き加えた。
「『力になれるかもしれない。』」
タシェルがそれを読み終わる直前、カリオスは既に走り始めてしまった。少しずつ小さくなっていくカリオスの背中を見ながら、オルタは少しだけ罪悪感を覚える。
そんな彼に、まるで追い打ちをかけるかのように、タシェルが呟いた。
「……きっと、ミノーラにケガさせたのを怒ってるんじゃないかな。」
「ミノーラが、ケガを?」
「はい。今はそっちで寝ています。結構傷が深いから、安静にしているんです。」
走り去ったカリオスの背中は、未だに確認することが出来る。それは人間なら普通の速度ではあるのだが、オルタの走りに比べたら、やはり遅い。
それでも、今のオルタは彼の背中に手が届かないような気がした。なぜだろう。追い付けない気がする。それほどまでに、彼は急いで見えた。
「俺、行ってくる。」
「え?いや、そのケガじゃ……」
「大丈夫だ。」
心配そうなタシェルの言葉を遮り、オルタは笑みを浮かべた。
「気を付けて、無茶はしないでくださいね。」
タシェルのその言葉を聞いたオルタは、すぐさまカリオスを追って走り出した。
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