第56話 疎外
ドクターファーナスが治療を終えたのは、ミノーラ達が到着して30分頃経ってからだった。それが治療時間として長かったのか分からないが、彼女にはあっという間の出来事に感じられた。
真剣に治療を行っているドクターファーナスの隣で、後ろ脚で立ちながらベッドに前足を掛け、大男の様子を伺っていた彼女だったが、タシェルに咎められた。
曰く「治療の邪魔になっちゃうよ。」とのこと。
仕方なく遠巻きに置かれた椅子の上に腰を下ろし、治療の様子を眺めていたのだが、驚きの連続だった。
あれだけ溢れるように出血していた大男の傷が、一つ一つしっかりと閉じられていく。ドクターファーナスが持っている糸と針がそれを成しえているのだろう。
ミノーラの知っている治療とはわけが違う。川で傷口を洗ったり、仲間が舐めてくれることで自然に治って行くものだと思っていたのに。
時折傷跡をガーゼで拭っているカリオスに、親近感が湧いてしまうのは当然だろう。
そうしてテキパキと治療を終えたドクターファーナスは、深い深呼吸を一つした後に、真剣な表情から先ほどまでの優しい表情に戻った。
よほど集中していたのだろう。額に若干汗が滲んでいるのが分かる。
「終わりました。骨が折れていないのが不思議なくらいね。あとは、そっとしてあげましょう。口輪のお兄さん。外の皆さんを呼んできてくださる?あなたたちはそっちのリビングで休んでいてちょうだい。すぐにお菓子とお紅茶を準備するからね。」
「ドクターファーナス。私、お手伝いします。」
カリオスは玄関から外へ出ていき、タシェルはドクターファーナスと一緒に廊下の奥へと消えていった。一人残されたミノーラは椅子から降りると、ベッドへと歩み寄り、後ろ足で立ち上がる。
彼女の前足がベッドに掛かった振動で、大男が一瞬顔をしかめたが、痛みを感じたわけでは無いようだ。
「大丈夫ですか?早く良くなってくださいね。」
あまり大きな声を出さないように気を付けながら、囁く。すると、大男の目じりから一筋の涙が零れ落ち、シーツを薄く濡らした。
予期しなかった涙を目撃した彼女は、不意にミスルトゥでの事を思い出す。亡くなった子供達と傷付いたパトラ。膝から崩れ落ち、号泣していたトリーヌ。あの場にいた誰もが、涙を流していた。
ミノーラ以外は。
それは仕方がない事なのかもしれない。ミノーラは狼であって、人間ではない。そもそも違う生き物なのだ。
しかし、彼女はそんな事実に奇妙な疎外感と悲壮感を覚えた。彼らと悲しみを共有できなかった。そんな気がしたのだ。
「ミノーラ?どうしたの?」
唐突に背後から呼びかけられたミノーラは、思考をやめ、とっさに大男の横顔を舐める。それで涙を隠せたのか分からないが、振り向いた時、様子を見ていたであろうタシェルは何も言わなかった。
「みんな待ってるよ。行こう?」
それだけ言い残すと、タシェルはリビングの方へと消えてゆく。その後をゆっくりと追いかけ、彼女もリビングへと向かった。
「さて、皆さんそろいましたかな!いろいろと聞きたいことがあるのですが。まず!彼のケガについて事情を聞かせてもらいたい。」
そう切り出したマーカスが、カリオスとタシェルへと目を向ける。そういえばまだ、カリオスが話せないことを説明していない。かといって、今声を出してもいいのだろうか?
そんな疑問を抱いている間に、タシェルが話し始めた。
「彼は、私を助けてくれました。実は私、監禁されていたんです。旧坑道の奥に牢屋があって、そこに閉じ込められていました。……そこで、あの……すみません。男たちに襲われかけた時に、彼が現れて。そうしたら、カリオスさんとミノーラさんが来て、外に出るのを手伝ってくれました。」
「なに!?監禁されていた!?……ちなみに、犯人は分かるかな?」
「精霊協会副会長のハームが関わっているのは確実です。」
「ハーム副会長が?」
何やら思うところがあるのか、マーカスはしばらく考え込んだ。そんな話をしている中、ドクターファーナスは一人、チビチビと紅茶を嗜んでいる。
「なるほど。なんとなく事情は理解した!もしや、その牢屋には他にも人はいなかったかい?最近、行方不明の知らせが一気に増えていてね。私たちも困っていたのだよ。」
「いました!そうです、こんな悠長に話している場合じゃないんです!早く助けに行かないと!」
思い出したように立ち上がり声を荒げるタシェルだったが、そんな彼女を制止するように、マーカスがカリオスを指差した。
「すまないが、懸案事項を残したままこの場を去るわけにはいかない。君は何者だ?どうやってこの街へと入った?隠していることを話してもらおうじゃないか。」
突然指摘されたカリオスが何やら面倒くさそうな目でこちらを見てくる。確かに、こうなってしまえば話すしかないだろう。
「マーカスさん。落ち着いてください。私たちのことについては私から話します。」
そう告げたミノーラに贈られた視線は多種多様なものだった。
当然のようにホッとした目をしているカリオスに、苦笑を滲ませたタシェル。そして、ミノーラとタシェルを訝しんでいるマーカスとその部下達。未だに腹話術と思っているのだろう。
その中でも最も驚きを注いできたのは、ドクターファーナスだった。
「あんれまぁ!あんた!喋れるのかい!?」
ほんわかとした雰囲気からは想像もできないほどに驚きで目を剥いている。驚きのあまり手が震えるのか、持っていたカップから紅茶が零れそうになっている。
「はい。私は話すことが出来ます。理由は良く分かってないです。逆に、カリオスさんは話すことが出来ません。なので、私から説明しますね。」
そこまで告げてようやく理解したのか、マーカスが声高らかに笑い始めた。
「ヌハハハ!これは実に愉快!こんなことがあるのだろうか!?人語を喋る狼に会えるとは!」
何が面白いのか分からないが、取り敢えず聞いてくれるようなので、ミノーラは事の成り行きを話し始めた。
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