第46話 失敗

 寝起きは最悪だった。


 首に痛みを感じ、上半身を起こしたタシェルは、カーテン越しに差し込む日の光と鳥のさえずりを聞きながら、頭の覚醒を待つ。


 朝日を眩しいと感じれるようになった彼女は、のそのそとベッドから降りると、カーテンを開け放ち、窓から外の様子を伺う。


 いつもより、少しだけ早く起きてしまったようだ。


 しかし、彼女は今から二度寝をする気分にはなれなかった。そのまま洗面台に移動し、顔を洗う。


 むくれた顔の熱が引いて行き、視界が広くなったように感じた。


 その開けた視界のまま、服を着替え、髪を結った彼女はいつにもなく真剣な面持ちで、部屋を飛び出す。


 昨日聞いたこと。一晩寝て、頭が覚めた今だからこそ分かる。タシェル個人でどうにかなる話ではない。


 かといって、彼女が直接ボルン・テールの治安維持局へ連絡を入れても、聞き入れてもらえるか分からない。


 それよりも、タシェルと精霊の関係や、彼女の行動をある程度は知っているハリス会長の方が少しは話を聞いてくれるだろう。


 ……聞いてくれるだろうか?


 不意に、そんなことが脳裏をよぎる。


 寮の階段を下りながら、足が止まりそうになったが、彼女はそれでも足を止めることはしなかった。


 今は、それどころではないと、冷静な頭が告げている。とにかくまずは、伝えるべきだ。その先の判断は、ハリス会長に委ねればいい。


 寮を出た彼女は、次第に駆け足になる自身を抑えられず、気が付けば精霊協会目掛けて駆けていた。


 いつもより朝が早いからだろうか、人通りも少ない街道を一陣の風のように突き進む。


 この道を歩く時、いつもなら憂鬱な気持ちが大きい彼女も、今だけは義務感に満たされていた。


 もしかしたら、自身の報告のお陰で未曽有の大惨事を防ぐことが出来るかもしれない。もしかしたら、報告したことをハリス会長に褒めてもらえるかもしれない。


 そんな淡い期待が、彼女の心のどこかにあったのだろう。


 時が経つにつれ、その淡い期待は色濃く滲みだし、しまいには自信に満ちた表情を作り出すまでになっていた。


 協会の出入り口に到着した彼女は、迷うことなく会長室へと向かい、その扉を開いた。


「ハリス会長!」


 勢いよく扉を開けたタシェルは、入口に背を向けて座っている人影に向かって呼び掛ける。


 しかし、すぐにその人影がハリス会長では無いことに気が付いた。


「おや?貴女は確か……タシェルとか言ったかね?ハリス会長なら、しばらく戻ってこないよ。その間は私が会長代理だ。会長に話があるなら、私が聞きましょう。」


 そんなことを語りながら、椅子から立ち上がり、こちらを振り向く男性。タシェルは、その男のことを当然知っている。


「ハーム副会長。ハリス会長が戻ってこないと言うのはどういう事ですか?」


「なぁに、会長とは忙しい身分なのだよ。ミスルトゥ方面でなにやら騒ぎが起きたようでね。対応のために二日ほど席を外されるとのことだ。して、何か用でもあったのかな?」


 ミスルトゥ方面で何かがおきた?


 その内容も、規模も理解していないタシェルだったが、そのために精霊協会の会長が対応しなければならないくらいに、ある程度の混乱が生じていることくらいは理解できた。


 そして、それがボルン・テールにとって非常にタイミングの悪い知らせなのだと言うことも、彼女は理解した。


「ハーム副会長。少しお話したいことがあります。」


 そう切り出したタシェルは、すぐに昨日耳にした話をハームに伝える。


「ふむ……。君は精霊を使ってそのような事をしていたのか?」


「……申し訳ありません。それについては、弁解するつもりもありません。ですが!このままでは、街に何らかの病原菌がばらまかれて、被害が出るかもしれません!」


「まぁ、落ち着きなさい。まず、その会話はどこでされていたものか、ハッキリしているのかね?もしかしたら、そのシルフィと言う精霊の悪戯という可能性もあるのではないかな?」


「いえ、それは……」


 確かに、彼女にはそれを確かめる術はない。悪戯好きなシルフィならあり得そうな話にも思えてしまう。


「一度そのシルフィと話がしてみたいのだが、呼んでみてはくれないだろうか?」


 ハームのその要望に、タシェルも賛同し、会長室の窓を開けて呼び掛けてみた。


「シルフィ!いるなら出てきて!話がしたいの!」


 彼女の問いかけに対して、帰って来たのは沈黙と、ハームの鋭い視線だけだった。


「ふむ、なるほど。貴女は評判通りのようですね。物事の本質を見抜けていない。この分なら、大丈夫そうですね。」


「……何が大丈夫なんですか?」


 なにやら話がかみ合っていないような気がしたタシェルは、ハームへと疑問を投げかける。そんな彼女の考えを呼んだのか、彼は丁寧に、全て説明してくれた。


「精霊術について知識があるわけでもなく、助けてくれるお友達もおらず、何もできない女。頭の回転が速い訳でもないようですから、逃げ出すことも無いでしょう。私にとっては何もかも都合がいい。」


「!?」


 告げられる言葉の意味に気づいた彼女は、とっさに逃げ出そうとするが、時すでに遅かった。


 脳を、四肢を、臓物を。全身に感じる振動によって、彼女はその場に崩れ落ちた。


 手足の感覚がなくなっており、思考もまばらになっていく。しかし、ハームの言葉だけは聞き取ることが出来た。


「良いことを教えてあげましょう。風の精霊は言葉を運ぶことはできても、そもそも声を作り出すことはできないんですよ。つまり、貴女が聞いた会話は、実際に交わされたものです。分かりましたか?一つ勉強になりましたねぇ。それでは、しばらく眠っていてください。……クロム。この女を例の場所へ。」


 そこまで聞いていた彼女は、何をすることもできずに意識を失った。

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