第45話 悪戯
「タシェル。火の精霊が存在を維持できなくなるのはどんな時だ?この程度の内容ならば、簡単であろう?」
「え、あ、えっと、冷やされたとき……ですか?」
はぁ。と深いため息を吐く目の前の男に対し、タシェルは怒りを覚えた。実際、火の精霊は周囲を急激に冷やされた場合、高確率で存在を維持できない。
それくらいは彼女でも知っている。故に、間違っていないはずだ。
「君は全く本質が見えていない。意味が分かるか?」
「……申し訳ありません。」
「もう二年になるんだろう?なぜ理解しようとしない?精霊術師は精霊と話が出来ればいいものでは無いのだぞ?精霊の成り立ちを理解し、それを生活に役立てるのだ。その過程で精霊とのコミュニケーションが大切なのは言うまでも無いが、成り立ちも性質も理解できていない者が生活に役立たせることが出来ると思うのか?」
仏頂面の中年男性が、タシェルに対して何か言っているが、正直に言えば、彼女に聞く気はあまりなかった。
二年間、この精霊協会の会長であるハリスの下で研究の助手などをしてきたが、彼女は全くと言っていいほど精霊術を使いこなすことが出来なかった。
出来るのは、精霊と話をすることだけ。元々、その能力を買われてハリスにスカウトされたようなものだったが、正直、やる気はとうの昔に無くなっている。
「……申し訳ありません。」
再び謝罪の言葉を繰り返し、頭を下げるタシェル。その様子を見ていたハリスは、もう一度深くため息を吐いた。
「もういいよ。君は、協会の周りを掃除して、終わったら帰宅しなさい。」
「……分かりました。」
ハリスの言葉に怒りはこもっていない。口調が激しいわけでもなく、諭すような論調でもない。何もこもっていなかった。
空っぽの言葉を投げかけられ、そそくさとハリスの部屋を出た彼女は、廊下を歩いて自身のデスクがある部屋へと戻る。
部屋には他三人の同僚がいるが、何やら話し込んでおり、戻って来た彼女に気づくことは無かった。恐らく、精霊術に関する議論をしているのだろう。彼女には入っていけない話だ。
そんな同僚を傍目に、自身のデスクへと向かった彼女は、小さな手提げかばんを一つだけ持つと、再び部屋の出入り口に向かう。
「……お先に失礼します。」
小さく呟いた彼女の声に、一人だけが視線をちらっと向けてきたが、返事は無かった。いつものことだからだ。
部屋を出た彼女は、協会の出入り口へと向かって速足で歩き、そのまま帰路へと着く。時刻は午後三時。
彼女の心は協会から離れるたびに軽やかになってゆき、寮の前に着いた頃には、シルフィとの雑談を楽しみにしている。
それが、彼女の日課だ。
いつも通りに寮の玄関から中に入り、ロビー正面の階段を上がる。そうして、左右に伸びている廊下の右側へと進み、三番目の部屋が彼女の部屋だ。
かぎを開け、扉をくぐり、結った髪を解く。ここまで昨日と何も変わっていない。
カーテンを閉め、服を着替え、洗顔し、ベッドに飛び込む。
しばらくすると、例の如く窓を叩く音が聞こえたので、ベランダへと駆け寄った。
「タシェル!おかえり!タシェル!落ち込んでる?」
「うーん……ちょっとだけ、落ち込んでるかも。でも大丈夫!シルフィに会えたから!」
「ホント!?嬉しいなぁ!」
そんな他愛もない会話を単調に続け、いつものように街の声を拾って、笑う。
そうして、何時間経ったのだろう。気が付けば、日が落ちかけており、そろそろ切り上げ時かと彼女が思った時、シルフィが最後の声を拾った。
『……あとどれくらいだ?』
『もうすぐですよ。薬は出来上がっている。あとは、感染源を作り出して、街に蔓延させるだけです。』
『感染源については、こちらに任せてもらおう。数だけはそろっているからな。』
『分かりました。では、前金を頂いても?』
『ふん。持っていけ。くれぐれも失敗するなよ?』
『分かっていますよ。』
聞こえてきた話の内容が、頭に入ってこない。タシェルは、ただただ自分が何を聞いてしまったのか、分からないまま、気が動転していた。
「タシェル?どうしたのー?」
一緒に聞いていた筈のシルフィは全く意に介していない様子だ。
「ごめんね、今日はもう、休むから。また明日。」
そう言うと、彼女はシルフィの返事を聞かないまま、部屋の中へと戻る。窓を閉めると、すぐさまカーテンを閉め、ベッドへと腰を下ろした。
「薬?感染源?蔓延?え?なにそれ?どういうこと?」
聞いた情報が断片的すぎるため、確定はできない。だが、あまりにも悪い想像をしてしまう材料が多すぎる。
もし、今聞いた話が犯罪の計画なのだとしたら?
嫌な考えが頭の中を回り続ける。しかし、彼女は判断をするだけの知識も、経験も持ち合わせていない。そんな彼女が、とある人物を思い浮かべたのは、必然なのだろう。
「明日。ハリス会長に話してみよう。」
そう決めた彼女は、背中からベッドへと倒れ込む。柔らかな布団に包まれ、そのまま眠りへと落ちていった。
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