第43話 追風

「こっちです!早く!」


 少し先を駆けているミノーラから声が聞こえる、が、カリオスには聞いている余裕が無かった。


 なにやら声がすると言い出したミノーラに連れられて、ボルン・テールの城壁近くまで走ってきたは良いものの、城門へは向かわず、大地の裂け目に向けて駆け続けている。


 それは良いのだが、生憎、カリオスはこれほど長い距離を走り続けた覚えがない。自身の呼吸に少しずつ笛の音のようなものが雑じり始めていることに気が付き、思わず足を止めた。


 ドッと全身から溢れてくる汗と、こみあげる咳。


 完全に運動不足である。


『くそ……ムリだ……もう走れん!……思えば、ミスルトゥの大樹の中を走ってた時はこんなに疲れなかったのにな……。大樹の中のあの光は体力回復の効果があったりするのか?全身が悲鳴を上げている割に、頭だけがやたらと働いてる気がする。』


「大丈夫ですか?」


 軽妙な足取りで戻って来たミノーラが尋ねてくる。それに対し、深く頷き返すと、彼は呼吸を整えた。


「行きましょう!声が結構近くになってきました!」


 そう言って走り出したミノーラを追うカリオス。瞬間、カリオスは視界の端で何かが動いたのに気が付く。


 とっさに腰のポーチへと手をやり、身構える。


 いつの間に現れたのだろう、彼のすぐ隣に、透明のモヤモヤしたものが立っていた。背丈は、カリオスの腰ぐらいで、明確な輪郭は無い。


 正体不明のそれを見つめていたカリオスの様子に気が付いたミノーラが、若干警戒しながらこちらへと滲み寄ってくる。


「……あなたは誰?」


 問いかけるミノーラに、それはと何やら音を発した。少なくとも、カリオスにはそのように聞こえた。


「あなたが!聞こえます!どこに行けばいいですか!?」


 どうやら、ミノーラが言っていた声の正体が、この正体不明の何かのようだ。


 一人思案していたカリオスを余所に、ミノーラは話を進める。


「分かりました!カリオスさん、この先の崖下に女性が閉じ込められてるから、助けてくれって言ってます!行きましょう!」


 カリオス一人だけだったならば、確実に関わりたくない類の話だ。しかし、ミスルトゥで見た光景が、彼の頭をよぎる。


 これは罪滅ぼしではない。あくまでも、自己満足なのだろう。


 どちらにせよ、ミノーラがいる限り選択の余地はないのが救いかもしれない。


 彼は、駆け出したミノーラの後を追うように走り出す。不思議なことに、体が軽くなった気がした。


『と言うか、本当に軽くなってないか?……風?もしかして、風の精霊か?』


 走る動作をサポートするような、優しい力を全身に感じる。


 どことなく走る心地よさを感じ始めていたカリオスだったが、裂け目が近づくにつれて、自身が止まれなくなっていることに気が付き始める。


『あ、れ……これってもしかして……』


 そう思ったのも束の間、風に乗ったミノーラとカリオスは、二人してがけ下へと飛び出していた。


 思わず目をつぶり、強烈な浮遊感を感じていた彼だったが、以前感じた落下感と大きく違うことに気が付き、そろーっと目を開ける。


 眼前に広がる深い谷底と、岩壁。その岩壁には、予想していた通り坑道と思われる洞窟が無数に点在しており、作業をしている人影もちらほらと見て取れた。


「うわぁぁ!すごい!飛んでます!私たち飛んでますよ!?カリオスさん!」


 ミノーラが瞳をキラキラと輝かせながら叫んでいる。カリオスも、自身の状態を理解すると、思わず感嘆し、笑みが零れた。


 飛んでいるというよりは、滑空しているという方が正しいのだろう。だが、そんなことはどうでも良い。何よりも、落下じゃないだけでありがたい。


 しかし、彼らがそれを楽しめる時間はあまり長くは無かった。風の精の誘導だろう、一つの坑道へと導かれた二人は、何とか着地に成功し、冷めやらぬ気持ちを落ち着ける。


「準備は良いですか?私が先を行きますね。カリオスさんは後からついて来てください。」


 そう言ったミノーラは坑道の奥へと進んでいった。カリオスは近場に挿してあった松明を手に取り、後を追う。


 しばらく歩いていくと、奥から大きな物音が二度聞こえ、間髪入れずに、何者かの雄たけびが轟いた。


『なんだ!?ミノーラは無事か!?』


 雄たけびがあまりに突然で、かつ鬼気迫るものを感じたため、カリオスは緊張を覚える。


 先程よりも足を速め、奥へ奥へと進んでいく。しばらく行くと、曲がり角の奥から聞き慣れたミノーラの声が聞こえてきた。


「落ち着いてください!私は味方です!」


 そんなことを叫んでいるミノーラの様子を確かめるため、角からそーっと様子を見る。


 どうやら、その角を曲がると牢屋になっていたようで、奥にも仕切られた牢屋がいくつかあるようだ。一つ一つの牢屋は結構広く、もとは別の用途だったのかもしれない。


 何かが起きているのは、一番左手前の開け放たれた牢屋のようだ。


 恐る恐る近づき、覗き込む。まず、彼の目に入ったのは、全身傷だらけになりつつも悠然と仁王立ちし、辺りに威嚇をしている大男が一人。


 その次に、その大男へと声を掛け続けているミノーラ。


 その後に目が行ったのは、大男の奥で震えている女性が一人と、生死の分からない、大量の人間。十人はいるだろうか。


『……どういう状況だ?』


 彼がそう思うのも無理はない。


 この状況を説明するためには、圧倒的に登場人物が足りないのである。その内の一人はウルハ族のオルタ。もう一人が、見習い精霊術師のタシェルである。

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