第3話『12月13日』

『十二月十三日』

「ほら食べろ、限定だって」                  

 まったく表情を崩さずに何かが入ったビニール袋を僕に投げてよこす人物は和月・ステファニー・九十九(カヅキ・ステファニー・ツクモ)

 という人物で名前の通りハーフだ。

 人物と言ったが人間ではない。吸血鬼である。

 でも今は完全な吸血鬼ではないから、もしかするとそこら辺もハーフなのかもしれないが、そんなこと一々聞く気にもなれない。

 彼女とは四ヶ月前に出会い、そしてちょっとした理由からうちに住み着いている。

 まぁ、居候のようなものだ。

 ドイツの民族衣装である緑を基調としたディアンドルに和を足したような奇天烈な服装に身を包んだ彼女は、僕が袋の中身を確認するのを自信に満ちた表情で待っている。

 その表情に催促されるようにして、ビニール袋の包みを開けるとコンビニの弁当が出て来た。

「これは……? あ、うん、ありがとう、感謝するよ」

「感謝すると言っている割に顔色が優れないな」

「朝、六時半に焼肉弁当を見ると日本人はこういう顔色になるんだ。これはDNAに刷り込まれた習性なんだと思う」

「嘘なんだろ?」

 ジト目で僕のことを見つめてくる。どうにも信用がないらしい。          

「どうかな。ちなみにそっちはなに食べるのさ?」

 和月の手の中にはビニール袋がもう一袋あった。

「私はコレだ」         

 青い袋に入ったアイスを摘み上げる。

「またアイスかい? 昨日も食べてたと思うんだけど」

「昨日食べてたから今日食べてはいけないってルールはないだろう」

「そんなものどこの国にもないどさ」      

「吸血衝動が多少マシになる」

「ただの氷食症だよ、それは……」

 体内に鉄分が足りなくなると起こる症状。

 鉄分が足りないとヘモグロビンが生成されなくなって、脳に酸素が行き渡らなくなり自律神経に狂いが生じ、体温調整がうまくいかなくなることが原因だったっけ……。

「鉄分が血から以外取れないからな、そんなものにもなる」

 アイスにかぶりつく。

「それに……最近熱いんだ」

「十二月だけど?」

 リモコンでテレビの電源を入れる。

 丁度いいタイミングで天気予報がやっていた。     

『今日は一日中、寒気の影響で――』         

「らしいよ?」                  

「あのな、そうじゃないんだよ、蒼太。私ら吸血鬼にとって気温の問題など些末なことなんだ」

 そういえば吸血鬼は外部からの刺激には鈍感だ、って、ラファエラさんが言ってたっけか……。

「わかったよ、でもアイスも程ほどにね。あ、冷たい水なんていうのはどうかな? 持ち運びに便利だと思うし」

「そういうサジェストはありがたいが、すでに色々試した後だよ」

 伏せ目がちにそう言われると、僕にはもう続ける言葉が無かった。

「まぁ、こんなことをしても根本的な解決にはならない。血を、鉄分を取らなければ常時貧血状態に陥っているようなものだ」

 一息にそこまで言うと肩で息をする。         

 貧血なのは間違いないらしい。             

 それをごまかすように赤毛をかきあげると、何かを思い出したかの様な口振りで話し始める。

「ああ、あといいモノも買ってきた」 

 ごそごそとアイスを出したビニール袋を漁る。どうやらアイス以外にも何か入っていたらしい。                        

「ピーマンだ。しかも無駄に高かった」

 コンビニで買ったならそりゃそうだ。

「シーズンから外れてるよ」 

「夏でも食さなかっただろ。騙されたと思って食べてみろ。ビタミンCも豊富な素敵野菜だぞ?」

「ビタミンCが豊富だからといって食べる理由にはならないよ。前も言ったと思うけど、味が問題なんだ」

「味?」                    

「苦い」                    

「子供舌め……」               

 ピーマン片手に聞き捨てならない言葉を残し、台所へ向かう。

 何事かブツブツ言いながら和月が冷蔵庫内にピーマンを投げこむと、付けっぱなしのテレビから物騒な言葉が流れてきた。

「ただでさえ起き抜けで食欲が無いのにこれは……」

 猟奇的というか狂気的というか。

 現場にいるキャスターが無味乾燥な表情で語る。

 事件の現場は公園、被害者は一人の少女、加害者は不明。KEEPOUT、立ち入り禁止と書かれた黄色のテープが画面に移りこむ。

 被害者は何者かに折りたたまれたようにして亡くなっており、現場は凄惨を極めていたそうだ。

 折りたたまれるいう言葉に引っ掛かりを覚える。折り重なるという表現はニュースなんかではよく聞くが、被害者は一人なので聞き間違いではないはずだ。

「へぇ……」

 そこそこ家から近い。

 一駅程度離れた辺りか。

 被害者は高校生の少女で、自宅は現場からかなり離れているとのことで、なぜわざわざ自宅から離れたこの公園に来たのかは目下捜査中。

 ニュースの途中で、バリンというガラスが砕けるような音が背後でした。

 ニュースの内容が内容だったのでそのバリンという音にビクンと背中が跳ねてしまう。

「いったいどうしたのさ」

 足早に台所で立ち尽くす和月の元へと向かった。

「蓋が……」

 余程バツが悪いのか僕から緑の瞳を逸らし、和月は手の中のものを見せてくる。

 手の中に無残に割れたイチゴジャムのビンが収まっていた。

 和月の口ぶりと手の中の惨状から、どうやら落として割ったわけではないらしい。

「……」

 僕の無言の抗議に和月は長いまつげを瞬かせ、堪らず声を上げる。

「ちょっと力加減を間違えただけだ。そもそもお前がわがままを言うからじゃないか」

 和月の自然な責任転嫁に言葉も出ない。

 呆れて口から言葉を吐き出せずにいた僕の横で、トースターが食パンを吐き出した。

 どうやら、食欲がない僕のためにパンを焼いてくれていたらしい。

 珍しく気が利いた行動に怒るに怒れなくなった僕は、

「掃除は僕がするから……あ、えーと、パンありがとう。限定のやつは晩ご飯にいただくとするよ」

 手を洗う時、ガラス片に気をつけて、という吸血鬼相手には蛇足ともいえる言葉も付け足しておいた。

 吸血鬼の回復速度は人間と比ぶべくもないが怪我をしないに越したことはない。

 ましてや、今の和月は吸血鬼化の進行度が五パーセント程度なのだから回復速度などは人とそう変わらないだろう。

 それだけ言って、和月を台所から追い出した。

 玄関から箒とちりとりを取ってきて片づけをはじめる。

 ガラスの大半は和月の手に収まっていたので、掃く量はそれほど多くはないだろうが……床がしばらくベタつきそうだ。

 掃除の流れを頭の中で簡単にイメージする。

 目に見える明らかに大きい破片を摘んでゴミ箱に入れた後に、目に見えないような細かい破片を掃いて掃除する。

「この被害者、蒼太、お前のとこの生徒だろ」

「え? あっ、つつつ……」

 和月のそう大きくはないが決して無視できない言葉に、大きなガラス片を手にした僕の指に力が入ってしまった。

 一筋の血が右手の指先から流れ落ち、フローリングを赤く汚す。

「うちの生徒!? なんでさ」

 洗面所で手を洗い終わった和月は、見た目に似合わないあぐらをかいてテレビを観ている。

「ニュースでそう言ってるからな。今日学校に行けば午前中には真偽がわかるだろ。それよりも指――」

 僕の指の傷に気がついたのか、あぐらを崩し救急箱を持って駆けつけてくる。

「大したことないよ、ちょっと切っただけだから」

「それなら……ついでにいただかせて貰うよ」

 僕の指先にある傷口に和月の唇が吸いつき、血を嚥下する。

「わわっ!?」

 その行動は想像していなかったので思わずのけぞってしまった。

「どうせ無駄になるんだから、私が飲んだ方がほら……自然に優しいしリサイクルだろ」

 ちょっと、なに言ってるかわからないけど、とりあえず頷いておく。

 今現在、血液を手に入れることはそう簡単ではない。

 ぱっと思いつくオーソドックスな入手手段としては、吸血鬼ウィルスに感染し発症した者を管理している教会の仕事を請けるか、人を襲うかの二者択一。

 前者は安全で安定した供給量を誇るが教会の社員に顎で使われることになる。

 後者は教会に見つかると人類に危険をもたらす吸血鬼として処理されるリスクを負うことになる。

 どちらも大よそ禄でもない。

 そういう事情に鑑みるに少量の血液でも無駄にしたく無いということが言いたいのだろう。

「そうふぁも気をつけなふぁいよ」

 僕の指をしゃぶりながらもごもごと器用に口を動かす。

 どうやら蒼太も気をつけなさいよといっているらしい。

「気をつけるって何をさ?」

「面倒ごとにただでさえ巻き込まれやすいんだから、変なことに首を突っ込むなってことだ!」

 和月は曖昧な表情で頷く僕の指に、救急箱から取り出した絆創膏を乱暴に巻きつける。

 いつの間にか殺人事件の話題は終わり、僕にとって大きな事件をニュース内の天気予報士が報じていた。

 明日からは更に冷え込むらしい。

「面倒ごとに巻き込まれたら、和月に助けてもらうさ」

「男の言っていいことじゃないぞ、女性に助けを求めるなんて」

 眉をひそめ呆れたような表情を浮かべる。

「困った時、誰かに助けてを求めるのは恥じゃないよ。それに約束したじゃないか守ってくれるって」

 後半は冗談めいた口調で、しかし、表情は出来る限り神妙なものを作ってみた。

「ああ、約束はした、もちろん可能な限りすべて守るつもりだ約束も蒼太も。だけど、私は弱くなる。今日よりも明日、明日よりも明後日、ずっとずっと弱くなる」

「知ってるよ。何度も聞いた」

「それなのにここにいていいのか?」

「ダメだって言ったら?」

「少し悲しい。だけど少しだけだ、いっぱいではない」

「じゃあ、いてよ」

「悲しいのは少しだけだから、私に気を使わなくてもいいんだぞ?」

 僕から目線をあからさまに外す。

「気なんて使ってないよ。和月がいなくなると僕がいっぱい悲しいから、いて欲しいんだ、ただそれだけ」

 和月は多少の誤差はあるだろうが後二年で死ぬ。

 それも本人曰く、弱って、動けなくなって惨めな惨状で。

 病に冒されているから。

 それはどうあがいてもそれは覆らない事実らしい。

 最初は冗談だと思った。

 和月の元気そうな姿を見る度に、何かの冗談であって欲しいと願った日もあった。

でも、どうやら嘘でも冗談でもなさそうだった。

 僕と初めて会った四ヶ月前よりも衰えていると、和月が勤めている会社の上司が言っていたからだ。

 和月は毎月、どこかで身体能力を測っているらしかった。

 和月の上司、ラファエラさんというのだが、そのラファエラさんが言うにはその数値の下がり方があまりよくないとのことだった。

 そういうこともあり、最近の和月は家に引きこもっている時間が長い。

 その影響かどうかはわからないが、学校に行っている僕なんかよりも世論に詳しい。

 多少偏っているのが難点だが。

「こ、ここにいるのはあんたのためじゃないんだからね、私がいたいだけなんだから! こんな感じか?」

「テレビの観すぎだよ」

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