初転法輪(ファースト・コンタクト)

 地球人類同盟軍旗艦アナンタから、総司令官であるデイブ、副官、護衛の兵数人が宇宙服兼用のパワードスーツをまとって降りてくる。

「そんなものを着けずとも大丈夫なのだが、まあ心配ならばしょうがあるまい」

「……地球人類が呼吸可能な大気を確認。周辺温度はおよそ摂氏二十度、有害な宇宙線も検出されません。それに重力まで……」

 計器を睨んだまま、副官が報告する。

「お前、一体……」

 理解を超えた数々の現象と、その中心にいる少女。人類側も何が起きているのかまったくわからず、未だ混乱の最中にあった。


 超銀河天魔連盟軍旗艦オーバーロードから、上帝を先頭に、軟体動物のような者や節足動物のような者など、様々な姿の種族が降りてくる。

「貴様ら!」

 にわかに人類側が殺気立つ。手に手に火器を構え、天魔達へと銃口を向ける。

「まったく、やめいと言うのに」

 ほんの瞬きほどの間に、彼らの手から銃が消える。消えた銃は、全て彼女の足元に転がっていた。

 それらを白魚のような指でそっと撫でると、あっという間に竹でできた水鉄砲に変わった。

「ほれ、返してやる」

 またもや、ほんの一瞬。兵達の手に、その水鉄砲が握られていた。突然のことに彼らは目を白黒させている。


「古い古い宇宙の伝承にある、超高次存在。我らが目指し、そして辿り着けなかったもの。物質宇宙を超越せしもの。万物の霊長。上霊……」

 ぼそりぼそりと、上帝が呟く。

「まさか、この目で見る日が来ようとは……」

「私はそんな大層なものではない。私は、ただお主らを教え導くもの。……さて、ようやく話ができる状態になったな。お主ら、まずは握手でもするとよい」

「何?」

 デイブが怪訝な顔をする。

「お主らに早速説法を説いてやりたいところだが、先程まで争いをしていた相手が目の前にいたのでは落ち着かなかろう。まずは形だけでも、和解してみればよい。形から入る、というのも馬鹿にしたものではないぞ。心は体に宿るもの。最初は外面だけでも、続けていけばいずれはそれが真実となろう」

「おい、ガキ……じゃなくて、あー、なんて呼べばいい?」

「ああ、すっかり失念していた。私のことは弥勒と呼ぶがよい」

「弥勒、お前が何者か知らないが、こいつらにどれだけの同胞が殺されたと思ってる? 例え形だけでも、仲良くなんてできるわけがないだろうが」

「なるほど、怒りが収まらぬと」

「当たり前だ!」

 超天連との戦争で、人類側が受けた損失は計り知れない。人、資源、領土、あらゆるものが失われた。当然、天魔に対する悪感情は相当なものだ。

「ならば、怒りを捨てよ」

「はあ!?」

「怒りを捨て、我執を捨て、憎き相手を許すがよい」

「だから、捨てろって言われて捨てられるようなもんじゃないんだよ!」

「では、どうする?」

「ど、どう、と言われても」

「勝てる見こみのない戦いを続けるのか?」

「ぐ……」

「よしんば、ここで勝てたとして、その後はどうする? 天魔は、人間よりもはるかに多くいるのだろう? その全てを相手にするのか? その先は? この広い宇宙に存在する数多の生命。それらを全て力でねじ伏せていって、どうなる? 結局、戦いで手に入れた未来には永劫の戦いがついてまわるのだ。――そこにいる、天魔がそうであるように」

「しかし……」

「勿論、今すぐ全てを忘れて仲良くせよ、と言うのではない。そうするため、そうなるための一歩として、握手でもしてみよと言うのだ」

「そもそも、連中にその気があるのか?」

 デイブが天魔の方に視線をやる。

「うむ、確かに。どうだ? 天魔よ」

「……その前に、こちらから聞きたい。和解しろ、と言うが、それこそ和解してどうなる? 手に手を取り合って生きろとでも? 我々は、宇宙を荒らす地球人類を有害と判断し、排除することを決めた。人類も、我々を許しはしないだろう。利害の不一致、戦いによる禍根、思想の違い。わかりあうなど到底不可能だ」

「なぜそう思う? 人も天魔も、どちらも言葉が通じる、道理がわかる。ならば、わかりあうことくらい簡単だろうに。むしろ、なぜ争おうと思うのか聞きたいくらいだ」

「……簡単に言う」

「折角素晴らしい力を持っているのだ。戦いを広げるのではなく、同じ宇宙に生きる先達として、その力で未熟な後進達に手を差し伸べてやればよかったものを」

「星や宇宙に害をなす愚かな種までも、生かせというのか」

「この世に、愚者も賢者もおらん。いるのは、道に迷う者、道半ばにある者、道に気づかぬ者。――お主らの志。高みを目指す、秩序をもたらす。より良きもの、正しきものを求めるその姿勢は素晴らしい。しかし、そのやり方は褒められたものではない。他者を許容せず、排除する。無益な殺生を繰り返す、果てのない修羅の道。それではどこまで行こうと、どこへも行けぬ。いたずらに、罪業を重ねるだけ」

「お前がその罪を赦すというのか。お前に従えば、高みへ至れるというのか」

「赦すのは私ではない。私にそんな権限はありはしない。赦しなど、きっとどこにもない。ただ己を戒め、改めるのみ。従うのは私にではない。仏の教えにだ。従属も崇拝もしなくていい。ただ、自らと向き合え。自らを高めよ。自らを空とし、色とせよ。世が空であり、色であると悟れ」

「わからぬ。何を言っているのか皆目」

 上帝が頭を振る。

「それはそうだ。言葉を聞いただけで辿り着けるようなら、今頃皆成道していることだろう。長い研鑽と修行の果てにこそ、悟りはある」

「そんな、形のない、不確かなものが正しいというのか。科学、文明、知性、我らが求め続けてきたもの。その全てが……無意味だというのか?」

「無意味とは言わない。それらは日々を豊かにするだろう。だが、お主らはそれにかまけて、道を間違えた。例え題目が正しかろうと、お主らのしてきたことは傲慢であり、強欲だ。真に求めるべきは、己の内にこそある。修羅の道を万年、億年突き進み、お主らはどこへ辿り着いた?」

「私は……私達は……」

「案ずるな。もう迷う必要はない。私が、お前達を導こう」

 小さな彼女の背に、光が見えた。尊く、強い光を。


「さて、人よ」

 彼女は改めて、人類側に向き直る。

「天魔が悪いかのように言ったが、お主らも大概だぞ? 一度は仏の教えを授かっておきながらそれを忘れ、欲に溺れ世を乱す愚行、まことに嘆かわしい」

「そんなことを言われてもな……。ホトケの教え? なんてものは聞いたこともないぞ」

「……宗教なんてものは、絶滅して久しいですからね」

 副官が補足する。科学の発展に伴って、仏の教えも前時代的であるとか、下らぬ妄想であると切り捨てられ、いつしか忘れ去られてしまった。地球人類の文明は発展を続け、ついには宇宙へと旅立ったが、所詮は井の中の蛙、天魔と出会って窮地に陥ることとなった。

「激しい欲を抱かず、執着を捨て、静かに己を見つめ、世を見つめ、真理を見出す。それこそが高みへ至る唯一の道」

「いや、だからそんな抽象的なことを言われてもはいそうですか、とはならんぞ」

「……しかし、こんな……奇跡としか言いようのないものを見せられては、何を馬鹿なと言うこともできませんね」

 副官が、どこまでも広がる庭園を見渡す。あいかわらず、のどかで美しい光景がそこにはあった。

「サトリ、とかいうものを得れば、こんな奇跡が起こせるようになるというのか?」

「悟りとはそのような即物的なものではない。今言ったばかりだろう、欲を捨てよと」

「……頭をからっぽにしろと?」

「執着を捨て、執着を捨てることに執着することも捨てよ。欲を捨てんとすることも、また欲なれば」

「ああもう、わけがわからん。からかっているのか?」

「焦るな焦るな。いずれわかろう。さて、色々と脱線してしまったが、まずはお主らが和解せねばな。改めて、どうだ? 両人」

 ぐるりと、居並ぶ面々を見渡す。

「私はかつて、光を見た」

 上帝がぽつりと漏らす。

「しかし、光は消えた。しるべはなく、どれだけ足掻こうと、宇宙は暗黒のままであった。――私は、疲れていた。お前の言う通り、私の進んできた道は、無限の獄だった。それが、終わるというのなら……」

 弥勒を挟んで対面していた人と天魔。上帝が、一歩踏み出す。

「詫びるべきか。地球人類よ」

「……詫びなど……入れられたところで、どうなるものでもない」

「そうだな」

「本当なら、どれだけ恨み言を言っても足りんくらいだが……まったく、理解を超えることばかりで頭が追いつかん」

 言いながら、デイブも一歩近づく。

「窮地を……人類存亡の危機を救われ、その恩人が言うのなら、従うしかあるまい」

「閣下、嘘も方便ですよ」

「よいよい、最初からすっかり心が入れ替えられるとは思っておらん。最初は半信半疑でもよいのだ。ゆっくり時間をかけて教え、導こう」


「和解だ、天魔」

「ああ」

 デイブの差し出した手と、上帝の下半身から生えた触手とで、握手が交わされる。

 人類と天魔、銀河を跨いだ星間戦争が、ここに終結した。

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