七不思議の八つ目

河原セイ

七不思議の八つ目 上




 ねえねえ知ってる?この学校には「七不思議」があるんだよ。

 へー、どんなのなの?

 

 一つ目、美術室に忘れ物を取りに行くとモナリザの目が動く。

 二つ目、音楽室のピアノが夜な夜なひとりでに鳴り響く。

 三つ目、視聴覚室の鍵穴を除くと誰かと目が合う。

 四つ目、夜に非常階段を登ると後ろから足音が付いてくる。

 五つ目、夜の体育館でバスケットボールがひとりで跳ねている。

 六つ目、深夜に校内放送をすると誰かが放送室のドアを叩いてくる。

 七つ目、真夜中の保健室のベッドに寝転ぶと足を引っ張られる。


 でもね?実はこの話、まだ続いてるんだよ。

 え?というと?


 それは───誰が、いつ、この七不思議を作ったのか分からない、ということなんだよ。






「───どう!?カッコよくない!?」

「……くっだらない」

 ぐはぁ、とまるで血を吐くように友花が仰け反った。それを見ながら生暖かい溜め息をつく。

「七不思議なんてただの噂話じゃない。別に興味を惹くものじゃないわよ」

「でも八つ目の誰が作ったか分からないとかさ──」

「怖さもロマンも何もないわよ。フィクションって白状してるだけじゃない」

 友花は再び魂を口から漏らした。リング上だったらタオルが投げ込まれているだろう。

「でもでもでもでも!これは新聞部としては外すことの出来ない話題では!?」

「……まあそういう理由だったら間違ってもないかもね」

 頬杖をつきながら開け放された窓の外を覗き見る。昼休憩のグラウンドでは男子達がサッカーをしているようだった。この時間に外にいるということは早弁して教室を一目散に駆け出したのだろう。元気で結構結構。

 でも友花は私の反応が気に食わなかったのか、頬を染めて目を釣り上げている。でも怖いというよりむしろ可愛らしい。茶っ毛のハムスターを飼ってたらこんなのを毎日見れるのだろうか。

「ごめんごめん。馬鹿にするつもりなんてはさらさらないから」

「本当に?智音ちゃんのからかいは胸に刺さるんだからね」

「だって友花の反応がどうしようもなく、ぷぷっ……面白いん、ふふっ…だから……んふっ」

「思い出し笑いしながら弁明するなーっ!」

 両手を挙げて怒りを前面に出すが、短い狐色の髪が空気を含んで盛り上がっただけという迫力のなさ。マスコットキャラにしか見えないのが友花のなせる技だ。クラスメイトの目があってもお構い無しなのも友花の特技だ。

 開いている脇腹を人差し指で突くと、ガソリンが掛けられたように勢いが増した。

「ふんだっ!もう智音ちゃんなんて知らないんだー!」

 そのまま友花が向きを反転して一心不乱に大股で歩いていく。

 すると友花が人にぶつかって倒れ込むように尻餅をついた。なにをやってるのか。そう思って友花の方に目を向けると、私に向けられている視線があることに気付いた。

「いてて……。あ、ごめんね──船木さん」

 船木は何も言わずに佇んでいる。でもその目線はぶつかった友花にではない。友花を通り越したその奥にいる、私に注がれていた。確かな敵意を含めて。その───片方だけの黒目で。

 微妙な空気が流れる。というか私が一方的に睨まれる道理なんてないんだけど。確かに船木に友花がぶつかったことは私が原因かも知れないが、普通に考えたならぶつかってきた友花を叱責するべきだろう。

 まあそっちがそのつもりなら、私だって黙っている筋合いはなくて。私も明らかな喧嘩腰でその視線に応えた。目と目がぶつかる。視線と視線が火花を散らす。教室の空気がざわついたが気にも掛けず、ただ船木を見た。

「……ふんっ」

 船木は背を向けてサイドテールを波打たせながら教室から出ていった。それを見送ったあと少しずつ教室に活気が戻っていた。

 私は友花の元へ歩み寄り手を伸べた。手に柔らかい触感を感じてから友花を引き上げた。

「ありがと、智音ちゃん」

「どういたしまして」

 ぱたぱたと友花がスカートを払っている。そして肩をすぼめながら大きく息を吐いた。

「あぁ〜…なんだか怖かったなあ……」

「大丈夫でしょ。船木が暴れまわるようなとこ見たことないもの」

「そうだけどさ……。………智音ちゃん、何かしたの?」

 友花が口元に手を添えて小さく呟いた。

「何かって?」

「そりゃあ……船木さんを怒らせるようなことだよ」

 まあそんな事だと思った。でも正直見当もつかない。むしろ話したことさえ無いと思うほどにだ。

「心当たりないわよ、第一に話すこともないのに」

「だよね……」

 自分の席につくと友花も目の前の席に座った。椅子の上で体を半回転させて私の机に体を預けた。

「でもずっと船木さんに嫌われてるよね、智音ちゃん」

「何?少しばかり気にしていることを抉って楽しいの?」

「違うよ!?違うから笑顔やめて!?じゃなくて、もう長い間そんな感じじゃない?」

「……分かってるわよ」

 溜め息も付きたくなるというものだ。だって理由が分からないのに嫌悪感を抱かれるなんて。

 気が付いたのは確か半年くらい前からだったと思う。でもその時に何かあったわけじゃない。何かしたわけでもない。だからこそ頭を抱えているんだ。

 焦点を友花に向ける。私の机に潰れたマシュマロみたいに突っ伏している。目は横に細く閉じて、口は波打つように開けられていて。私が船木に嫌われていることを思って悩んでいるんだろうか。……ああ、なんという健気さ。

「───うん?どうしたの?」

 私の視線に気付いたのか、目だけを上に向けて私を見た。

「………なんでもないわよ。ま、いつか仲良くなれるんじゃないかしらね」

 ぽんぽんと友花の頭を撫でる。くすぐったそうに気恥ずかしそうに、友花が少しはにかんだ。



「───さて!これから作戦会議を立てたいと思います!」

 …………無言。ババーンとBGMが流れてもおかしくないくらいの友花の迫力に応えたのは、虚しくも部室を木霊した友花の声だけだった。ホワイトボードに書かれた「第一回作戦会議」の明朝体の文字だけが寂しく存在感を放っていた。

「………ぐすん。もういいもん…一人でやるもん………」

「あーはいはい。会議しましょ会議しましょ」

「………ほんと?」

「ほんとほんと。ほんと過ぎてほんと」

 ぱあっと友花の表情が晴れやかになっていく。表情の起伏がわかりやすい。

「それじゃあ!第一回作戦会議を開始したいと思いまーす!」

 パチパチパチと友花に捧げるの拍手。満足げに友花が口を上げている。

「それで?何を話すの?」

「もちろん学校の七不思議についてだよ!」

「それを新聞の記事にするんだっけ?」

「そう!そしたらきっと皆に見てもらえるよ!そしたら来年はきっと……!」

 ご馳走を目の前に置かれた犬のように目を光らせた。したたれそうな涎を手の甲で拭っている。

「じゃあ来年は後輩でこの部室が埋まるのかしらね……」

 辺りを見回してみるが目に入ったのは友花ただ一人。他の誰もがこの部室にいない。大きな机と資料の詰め込まれた棚だけの事務的な部室。この部屋だけが世界から切り離されたような錯覚さえ覚えてしまう。

「うん。そしたら皆に認められるかもじゃん。それに先輩って呼ばれたいじゃん?」

「友花の部長も夢じゃないわね」

 この新聞部は長く続いている由緒ある部活動ではあるが、実働的な部員は友花のみ。ほか全てが部活という名のサボりをしているだけだ。私はまあ……オマケみたいなものだから。

「どうせなら新聞部の皆で活動したり遊んだりしたいもん。そのためなら私は何だって頑張るよ!」

「じゃあスポーツ新聞みたいなことすればいいんじゃない?ヌードの友花が載ってれば皆入部してくるかもよ?」

 ……あ、友花が珍しくキレてる。二酸化炭素さえも固体に変えてしまいそうなほどの冷気が肌に伝わる。

「……もう一回言ってみてよ、智音ちゃん」

「…………載る時は、私も一緒よ」

「──なおさら駄目だよ!」

 ぎゃあぎゃあと大げさに友花が両手を振って怒ってくる。それを軽く笑いながら受け流した。

 ───ま、友花が喜ぶなら協力してあげるか。そんな風に悪態つく心の中には、別の思いしかないのだけど。



「それじゃあそろそろ解散にしようか」

 窓から透き通った朱色が差し込んでいる。秋口とはいえこの時間には夕焼けが姿を表す。雲に見え隠れしている夕日を目に入れると眩しくて目を細めた。

「学校が許可下ろしてくれるかしらね。七不思議を調べたいから夜に学校に入っていいかだなんて」

「下りない時は強引に行くんだよ!そっちのほうが人目を引きそうだしね!」

「あらあら、なんて悪い子に育ったんでしょうか……」

 およよ…と手を目元に置いて泣くフリをしてみる。ちらと覗き見た友花はどこか自信ありげに胸を張っていた。なんでよ。

「さっ!帰ろうか!まったあっしたー!」

 友花は鼻歌を流しながら軽快に廊下に駆け出した。スカートが後ろになびきながら友花の背中が小さくなっていく。階段前を横に曲がったところで廊下が静寂に包まれた。

 私も部室から出てドアの鍵を閉める。

「おっと…」

 手が滑って部室の鍵を落としてしまった。新聞部と書かれたプラスチックのキーホルダーが、金属の鍵とは対照的に軽い音を立てた。

「……ん?」

 腰を落とした際に人影が目に入った。それは廊下ではなくもっと遠く。校舎さえ跨いでいる───屋上からだった。

 その影は奥に行ったのかもう見えなくなっていた。他の人影は見つからなかった。というか南校舎の屋上って勝手に行けるんだった。忘れてた。

 そういえば私は屋上に行ったことがない。友花と出会う前は教室だけ。今となっても部室がそこに加わったくらいだ。

「行って、みようかな」

 屋上に行けるのに行かないだなんて勿体無い気がする。最近は立入禁止の学校も増えていると聞くし。

 誰もいない廊下。目映い赤で染まった空気の中で、ちょっとした決意をした。



 屋上と私を隔てる扉に手を掛ける。金属のヒヤリとした感触を感じながら、重く寂れた扉を開いた。吹き込む風と夕焼けに目を細めながら屋上へ一歩進んだ。

 ……不思議な光景だった。真っ赤に染まる空と屋上。その中に雲を見上げて静かに佇む女子生徒が一人。見た目は私より幼く身長も低いように思う。でも本当のところはわからない。彼女は座っているから。

 ───車椅子に、座っていたから。

「……綺麗ね」

 少女はポツリと呟いた。腰まである長い髪が夕焼け色の風に輝いて舞っている。でも頭に怪我をしているのか、包帯が巻かれていて乱れ方が不均一だった。しかも左袖に中身がないのか、風で横に流されていた。一目で大怪我を負っていることが把握できた。

 それでもその横顔はどこか幻想的で、絵画の中に入り込んでしまったかのようだ。

「夕焼けってとても綺麗ね」

 一瞬だけ私に目が向いた。その言葉は私に向けられていたのか。

 屋上を進んでいって彼女の少し後ろで立ち止まる。風に煽られて頬をくすぐる不快な横髪を耳の後ろに回した。

「……そうね、こんなに綺麗だなんて思ってなかったわ」

 私も彼女につられて空を見る。薄い雲が厚い雲の下を何倍もの速度で流れている。空の高さで流れる風の速度が変わっているとは知っているけど、どの高さでどれ位違うのかはさっぱりだ。

「あなたは何しにここに?」

 二人空を見つめたまま、彼女は聞いてきた。

「……なんとなく、かしら」

 そうとしか言いようがない。屋上に行けることを思い出したから来た、ほらそうとしか言えない。

「あなたは?」

「私?私は……気付いたら、かしらね」

 ……それは変じゃないか?だって車椅子なのだから自分一人で動けるわけがない。だから誰かに連れてきてもらったはずだ。

 でも深いことは聞かずにそのまま空を眺め続けた。今この場で要らないことは聞かなくてもいいと思ったからだ。この茜色の芸術に無粋なものは不要だ。

「……あなたはいつまでいるの?」

「特に決まりがあるわけでもないんだけど……ああ、でも鍵返さなくちゃだから長居は」

 彼女のロングスカートが音を立ててはためく。

「そう、なら怒られる前に行かないとね」

「えーと、あなたは?」

 名前が分からないから少し呼ぶのに困るなあ。クラスの中でも分からない人が多いから、いつも困ってるんだけどね。

「私は……特にないわ。そうね、気分によるわね」

「確かに。飽きるまではここにいたいわね」

「ふふっ。でも光が灯っていく街並みを見るのも、かなり良いものよ?」

 そう彼女が微笑んだので彼女の顔を見てみた。彼女の頭の包帯は右側面を覆い隠すように巻かれてあり、車椅子と合わせると何があったのか想像も付かない。

「───ああ、これ?右目が気になるの?」

「……まあ気にならないと言ったら嘘になるかな」

「ちょっと怪我しちゃって、それだけ。車椅子も同じこと」

 そう言って微笑む彼女からは憂いも闇も感じなかった。まるで自分の怪我が小さなことだと思ってるようだった。

「それより大丈夫なの?鍵返しに行くんじゃないの?」

「あー、そうだった。えーと…あなた名前は?」

 本当は一人で置きっぱにして良いのか聞きたかったけど、それ以前に名前が分からなくてコミュニケーションさえまともに取れない。初めに名前を聞かないと。

 すると彼女は何を悩んでいるのか、頬に人差し指を当てて唸り始めた。斜め上を見て記憶を辿っているようだった。

「ど、どうしたのよ?名前思い出せないの?」

「うーん、まあそんなところかしら?はははっ───私の名前は、間宮。間宮よ」

「間宮さん、ね。私の名前は柏城智音よ。また会うか分からないけど、よろしくね」

「こちらこそ。それで?何を聞きたかったの?」

 ああそうだ。名前を聞くのが目的じゃなかった。

「えーと、車椅子だけど屋上に間宮さんを置きっぱにしても良いのかなーって」

「ええ大丈夫よ。私は大丈夫だから先に行っていいのよ?」

「そっか、お迎えの人が来るでしょうしね。それじゃあお先に」

 背中を間宮に向けて歩き出す。私の影が伸びていて屋上の入り口まで達しているほどだ。ドアノブに手をかけて一度振り返ってみる。

 間宮は首を後ろに向けてまだ私を見続けていた。すると間宮はひらひらと右手を私に振った。私もそれに応えるように手を振って、屋上から出た。

 不思議な子だった。車椅子に乗っていて、左手がなくて、右目に包帯を巻いている。それなのに神秘的な雰囲気を帯びていて、特別な空気を放っていた。でも一度も見たことはないし、そもそも屋上にいた理由も謎だ。

 ───また、会えそうだな。確証もないけど、そう思っていた。



「調べれば調べるほど出汁が出てくるのが七不思議なんだよ智音ちゃん」

「出涸らしだから品質は20点ね。もちろん100点が満点」

「……智音ちゃんは軽口叩かないとやってられない性格なの?」

 それはそうとこのクリームパン美味しいな。コンビニとはいえ侮るなかれ。

「ねーえー?聞ーいーてーるー?」

「ええ勿論。餃子のタレは醤油とお酢を3対2がベストよね」

「そんな話してないし!てかよくメロンパン食べながら餃子のこと考えられるね!?」

 それは出来るでしょうに。マルチタスクくらい出来ないとこの社会で生きていけないぞ。

「まあまあそんな怒らないの。ほら食べる?表面カリカリで美味しいわよ?」

「怒ってはないんだけど、何というか呆れてるっていうか……」

「はい、あーん」

 面倒くさいのでメロンパンの端をちぎって友花の顔の前に出す。友花は口を尖らせていたが、すぐに首を前に出して口を開けた。その口めがけてメロンパンを放り込む。

「…………うん!美味しい!」

「そうでしょ?コンビニのパンのクオリティも馬鹿に出来ないわ」

「そうだねー。私はいっつもお母さんの弁当だから、そういう惣菜パンとかに憧れるなー。…………ってそうじゃなーーい!」

 これまた響き渡る声で友花が声を張り上げる。まったく元気な子だこと。

「そうじゃない!そうじゃないよ智音ちゃん!」

「何?餃子は肉餃子より野菜餃子のほうがヘルシーなのに美味しいとでも言いたいの?」

「餃子から離れて!?そうじゃなくて私が話したかったのは七不思議!七不思議の話をしたかったんだよ!」

「ちっ……」

 知ってたわよ。知っててなおさらよ。昼食くらいゆっくり食べたいもの。

「舌打ちとか確信犯じゃん……。それで、七不思議の話に戻るけどさ」

 友花はそこそこメンタルが強い。よく話を戻せたわね。

「七不思議って正確に知ってる?」

「……まあ少しくらいなら。2つ、3つくらい」

「じゃあ今から挙げていくね。1つ目、夜に美術室に忘れ物を取りに行くとモナリザの目が動く。2つ目、音楽室のピアノが夜な夜なひとりでに鳴り響く。3つ目、深夜に視聴覚室の鍵穴を除くと誰かと目が合う。4つ目、夜に非常階段を登ると後ろから足音が付いてくる。5つ目、夜の体育館でバスケットボールがバウンドしている。6つ目、深夜に校内放送をすると誰かが放送室のドアを叩いてくる。7つ目、真夜中の保健室のベッドに寝転ぶと足を引っ張られる。この7つ」

「よく覚えてるわね」

「そりゃ一応これを記事に新聞を作ろうとしている身ですから。中途半端には出来ませんよ」

 えっへんと胸を張る友花。それだけこの新聞、もとい新聞部の宣伝に力を入れる気なんだろうな。まあ応援くらいはしてあげるけど。

「それでこれに加わったのが──8つ目」

「──誰が作ったのか分からない、だっけ?」

「そうそう。うん、ロマンがあるね」

「それに関しては同意しかねるけど、というかそれでいいの?」

「うん?何が?」

 小首を傾げて可愛らしく聞いてきた。

「何って、作ったでいいの?見つけた、とかじゃないの?それ完全に七不思議がフィクションだって暴露してるじゃない」

「ふっふっふー。まだまだ智音ちゃんも七不思議の真髄を理解してないようだねー。───あ、ごめん待ってごめん、だからイヤホン耳に付けないで!!」

 溜め息を吐きながらイヤホンを机の上に置いた。なんで簡単に良い気になるんだろうこの子は。

「それで?何を言いたかったの?」

「え、えーとね。それは七不思議は誰かの創作だと思っているのに、七不思議はきちんと広まってかつ皆信じているってところだよ」

 黄色の瞳をキラキラさせているところ悪いけど、あんまり理解できなかった。

「……ちょっと要領を得ないわね。どういうこと?」

「つまりね?普通誰かの創作なら七不思議なんてすぐ廃れるはずでしょ?誰も他人の妄想話なんて興味ないからね」

 でもね?と友花が諭すように静かに紡いだ。

「七不思議は廃れていないの。年々引き継がれて今もなお多くの生徒が知っている。その理由は単純明快。────実際に七不思議を経験した人が、出てるからなんだよ」

 いつもの快活な友花の声とは裏腹の、低くて冷厳とした語りだった。一切揺れることのない瞳の奥に、私が映っている。

「……実際に、いるの?」

 それに友花は声を出さず、ゆっくり頷いた。

 ……それは何というか、ホラーというか──。

「───興味深いわね」

「でしょ!分かってくれた?七不思議のロマンを!」

「確かに今までのオススメの本とか体育祭とかに比べたら、皆が読んでくれそうな内容ね」

 ガッツポーズを決めて喜びを表に出している。3回くらい連続でガッツポーズしてるじゃん。そんなに嬉しかったの?

「ほーらほら!新聞にまったく興味のない智音ちゃんが興味持ってくれたってことは、もはや全校生徒夜も眠れなくなるくらい興味が出ること間違いなしだね!」

「どうしてそんなに自信に溢れてるのよ……」

「だって自信でも持ってなきゃ新聞なんて作れないよ!自分で自分を鼓舞することが────」

 友花の言葉を掻き消すように、教室に衝撃音が響き渡った。反射的に音の発生源を見る。

 倒れた机、散らばった文具、床に広がったノート。その音源からシャーペンが転がってくる。それを近くにいた子が拾い上げて駆け寄って行った。

「大丈夫!?──日高さん」

 そう言ってシャーペンを差し出していた。そして日高は───左手で受け取った。

 周りに人だかりが出来ている。日高を気遣ってか机を元に戻したり、散らかったノートをクラスメイトがまとめている。

「……ごめんね。みんな」

 日高が申し訳そうにか弱い声を出した。

「ううん!気にしなくていいよ!困ったときはお互い様でしょ?」

「……うん、ありがとう」

 日高は唇を噛み締めていた。右腕の肘部分を左手で握りしめながら。

 みるみるうちに元通りの状態に戻った。寸分狂わず机が並べられてノートも載せられて、椅子に座っている日高は悔しそうに俯いていた。

「……大変そうだね、日高さん」

 首を私に向き直して友花がボソリと言った。憐れみとも取れる目線のまま自身の弁当に目を落とす。

「……仕方ないわよ。───右手が義手なんだから」

 友花は何も言わずにコクリと頷いた。箸を口元へ動かして咀嚼をし始める。

 すると日高は無言で立ち上がって後ろのドアから出ていった。その後を辿るように1人のクラスメイトが駆けていった。

 クラス内もその光景に少しざわつきを覚えた。数人が廊下に顔を出して日高の姿を探している。

「……何か私たちにできないかな」

 友花はまだ眉間に皺を寄せたまま箸先を咥えている。悩み事を模索しているようだ。

「何かって、何の話?」

「そりゃあ……日高さんのことだよ」

 …………気がつくと息を漏らしていた。まだ日高のことを考えていたのか。そりゃ溜め息も吐きたくなる。

「な、何さ智音ちゃん!日高さんのことどうでもいいって思ってるの!?」

「違うわよ友花。じゃあ聞くけど、私達が何かやったところで何か変わるの?」

「そりゃ色々出来るでしょ!手助けしたり支えたり!」

 言っちゃあアレだけど、友花面倒くさい。

「でも日高さんは左手があるから1人でも色んなこと出来てるじゃない。友花は日高さんが1人で出来ることを奪うとでも言うの?」

「そ、そういうことじゃなくて!日高さんだけじゃ出来ないことだってあるでしょ!?」

「でもそれは一緒にいる友達がやってあげてるじゃない」

 名前知らないけど。いつものように知らないけど。

「そ、それはそうだけど……」

「そりゃ私だって日高さんが困ってるなら助けるわよ?でも1人でできるし、出来てなくても友達と一緒なら十分に出来ることを奪う必要はないでしょうに」

 なんだか説教ぽくなってしまった。そんなキャラじゃないのに。ほら、友花が唇尖らせて下向いたじゃない。

「う〜………」

「え?何?まだ何かあるの?」

「う〜……でもでも綱渡りとかは日高さんじゃ出来ないでしょ!?」

 …………この子は何を言ってるんだ!?

「……それ友花がいたところで出来ないでしょ」

「…………」

「黙ってんじゃないわよ」

 まったく、友花にも困ったものだ。育ちが良すぎるのよ。

 その沈んだ頭に手を乗せる。そのままポンポンと友花を撫でた。

「友花は優しすぎるのよ、ホント。それはね悪いことじゃないわよ」

 少しだけ指先を立てて髪を梳くように撫でる。肌を傷つけないように優しく、ゆっくりと。

「でも日高さんに関してはそんなに気を負わなくていいの。もちろん困ってたら手を伸ばしてあげるのは良いことだと思うわ。でも必要以上に伸ばすのは優しさじゃない、余計なお世話よ」

「…………うん」

「ほら、お母さんが作ってくれた弁当美味しいんでしょ?食べなさいよ」

「…………うん、うん」

 この髪の質感から手を離すのは名残惜しいが、駄々をこねる訳にもいかないので手を引き戻した。顔を上げた友花は先程よりかは幾分すっきりした顔になっており、まあ拗ねてないなら良しとする。

「そうだね。智音ちゃんの言うとおりだ。うん!困ってる時に助ければいいんだ!」

「そうそう、これでまた1つ成長できたわね」

「こらー!馬鹿にしちゃって!」

 友花がひょいパクとご飯を進めていく。覇気は取り戻したようで意気揚々と食事をしている。これで私も安心できるというものだ。改めてメロンパンを一口大に千切る。

「それにしても日高さんは辛かったでしょうね。好きだったバレーボールが出来なくなったんだから」

 その瞬間にピタリと友花が動きを止めた。目を大きく開けたまま瞬きを繰り返してる。呆けた顔を私に向ける。

「……友花?どうしたの?」

「い、いや智音ちゃん?日高さんがバレーボール?」

「そうだけど。バレーボール部に入っていなかったかしら?」

「そ、そんな訳ないでしょ?だって日高さんは生まれた時から───右手がないんだよ?」

 今度は私が瞬きを繰り返す番だった。友花の顔を見ながら何度も瞬きをした。友花は神妙そうに首を縦に振った。

「………マジで?」

「………マジで」

 あっれー?そうだっけー?バレーボール部っていうのは勘違い?

「はあ……。智音ちゃん、本当に他人に興味がないね」

「もうこれは生まれつきなのよ。多分一生変わらないわ」

「だとしても日高さんをバレーボール部だなんて勘違いも甚だしいよ。今さっきも坂本ちゃんの名前思い出せなかったでしょ」

「誰それ」

「日高さんの一番の友達だよ!日高さんに付いていってたでしょ?」

 あー、あの子だったんだ。一番に日高に駆け寄っていたし、確かに仲良さそう。

「うーん、駄目だやっぱり興味が湧かない」

「もう智音ちゃんは……」

 私が友花に呆れられるとは、プライドが傷つくわね。でもまあ正当な評価だから黙っておくけど。

 それにしてもクラスメイトに興味がないのは色々と困るのよね。でもそれでずっとやってきたから大丈夫ではあるんでしょうけど。

 それに私には────友花がいるもの。

 クロワッサンの包装を破る。メープルの匂いが鼻まで上がってきた。



「それじゃあまた明日〜」

 友花は今日も今日とで帰っていく。私はいつも通りに鍵を返しに。

 廊下から見上げた屋上に人影はなかった。間宮は今日はいないのだろうか。いたところで会いに行く義理も理由もないのだけど。

 階段には人はいなかった。夕暮れが差し込むような時間に学校に残っているのも稀だ。部活している生徒はグラウンドか部室にいるから、出会うことも少ない。窓から差し込む光は肌をほんのりと温めた。

 階段を降りきった先に職員室が見えた。その教室から1人の生徒が出てきた。その子は職員室の外で待っていた子と数言話して、そのまま私の方へと足を向けた。

 その二人には見覚えがあった。あちらも私に気付いたのか、目が合う。

 決して深い関係じゃない。話したことさえほとんどない。それでもあちらは気まずさからか目を逸らした。

 距離が縮まる。私達が歩くごとに。やがて───。

「…………ちわ」

 そう投げ捨てるように───後輩たちは挨拶を発した。

「…………ええ」

 それだけ言って横を通り過ぎた。振り返ることもなく職員室へ足を運んだ。

 ───まあこんなものか。肩の力を抜きながら溜め息を吐いた。こんなところを友花に見られていたら怒っていただろうが、いないんだから私の好きなようにさせてもらう。

 あれが後輩。あんなのが、後輩。部活には加入が必須だから入っただけ。部室で新聞を作らずただ時間を潰すだけ。友花が新聞作りに誘ったら嫌な顔をして出ていった後輩。

 だから友花は後輩が欲しいんだ。後輩と一緒に作業をして楽しい時間を過ごして。かつて先輩から与えてもらったような幸せを、自分の後輩にも感じさせてあげたいと願うだけなのに。なのにその願いは叶わなかった。

 そんな友花を悲しませる奴らが許せない。友花を不幸にする奴らが憎い。

 友花に泣き顔なんて────もうさせたくない。

 …………駄目だ駄目だ。何を熱くなっているんだ。そんな力を入れた拳で職員室をノックしたらお礼参りかと勘違いされてしまう。深呼吸をしながら右拳を何度か振った。

 ……うん、よし。軽い力で二度、ノックをした。



 鼻歌混じりに友花が弁当とノートを机の上に置いた。その表紙には『マル秘新聞部』とだけ書かれているが、パッと見卑猥なAVのタイトルに見えるのは私だけだろうか。まあ実際は新聞記事のための資料が書いてあったり貼ってあるだけなのだが。

「ふんふふんふ〜ん。ねえねえ智音ちゃん」

「何よ鼻歌なんて吹いちゃって。友花の好きなエビフライの尻尾でも弁当に入ってたの?」

「なぜ尻尾……。じゃなくて!このノート見てみてよ!」

 友花がノートを両手に持って私にプッシュしてくる。仕方なく受け取ってパラパラとめくってみる。

「それで?今度は何を書いたのよ」

「ふっふーん!今回は今話題沸騰中の!七不思議特集でーす!」

 バラエティ番組ならここでファンファーレが鳴り響いていただろうな、そう感じるほど陽気な言い方だ。

「でしょうね」

 ちょっと爪延びてきたかな。帰ったら少し削ろう。

「ほらほら爪も大事かもだけど、それよりも新聞部たる者この話題に遅れていっちゃ駄目でしょー」

「いやだから私は活字を読むと古いトラウマがフラッシュバックするから読めないんだって」

「初耳すぎるから!てか教科書とか読んでるじゃないの!」

「じゃあ友花の字が汚くて読めないって理由で突き返していい?」

「そんな汚くないし!あーもう分かったよ!私が説明するよ!」

 なぎ払うように私からノートを引ったくった。プンスカと擬音が聞こえそうなままノートをめくっている。それを横目に私はチョココロネを頬張る。中のチョコを溢れさせないように食べ進めるのが作法だ。

「それで私の言いたかったことは、七不思議の歴史だよ」

「歴史ねえ。歴史なんてあるの?」

「普通は知られてないだろうけど、新聞部はそういった資料の宝庫だから調べる気になったら探せれるんだよ!」

「だからここ数日部室で昔の新聞漁ってたのね」

「その甲斐が合ったってことだよ。さてさてまず言うとしたら……」

 斜め読みでどんどんページをめくっていく。今回はどのくらい調べたのか。いつもそのやる気は感心するほどで、ほんと出版業社に就職してもいいんじゃないかと思う。それだけ新聞部へと思い入れが強んだろうけど。

「まず七不思議って時代とともに変わってて、色んなバリエーションがあるの」

 そう話す友花は瞳が輝いている。新聞作りが楽しいだけでなく、こうやって誰かに話せるのも嬉しいんだろうな。後輩にも話したかったんだろうけど。

「例えばモナリザの目が動くっていうのは、ベートーヴェンだった時もあったみたい。他にも校長室の初代校長の写真ってのも大昔ではあったね」

「美術室ですらないのね」

「しかも面白いことはベートーヴェンの時代はピアノが鳴り響くって噂はなかったの。まるで同じ教室で2つ以上の七不思議を存在させちゃいけないみたいに思ったよ」

 私は新聞作りなんて一切合切興味はないけど、友花が話す内容はそこそこ心惹かれるものがある。それはきちんと調べてるからというだけでなく、今回は七不思議といういわゆるサブカル的な面白味もあるからなんだろうけど。

「へえ、なんだか面白いわね」

「でしょ?あと目が動くっていうのは割とポピュラーだったみたい。大体いつも存在するから。逆に言うと鍵穴を覗くと目が合うっていうのは割と最近みたい」

 それにしても生き生きしてるなあ。こんなに生気に満ちているのは私がからかってる時レベルだぞ。となると私がからかうのは友花の生気を充填する行為ってこと?……もっとやってやろ。

 なんて変なことを考えてる私の目の前で、友花が人差し指をピンと立てた。

「でもね、色々調べて私が一番面白いって思ったことはね───」

 そして、不敵に笑った。

「───目、に関する七不思議はいっつも2つあるってことなんだよ」

「………目?」

「そう、目。現在のならモナリザと鍵穴。他にはベートーヴェンと、図書館にある本の表紙の女の子の目が動くとか。いつの時代も目に関する七不思議は2つあるの」

 顎に手を当てて考え込んだ。目に関する七不思議が2つ?どうしてまた?

「これはね私の考察なんだけど、まずこの七不思議には八不思議があるじゃない?」

「誰が作ったのか、ってやつね」

「うん。つまり七不思議の前提として誰かの創作っていうのがある。なら作った本人としては七不思議で怖がったり楽しんで欲しいんじゃないかな?」

「……まぁそうね」

「だから私は七不思議の根底には、より面白く───つまりエンターテイメントとしてはどうしたらいいのかっていう考えがあると思ったの」

 聞き入っていた。パンを口に入れる動作さえやめて、耳の全てを友花に傾けていた。

「まず人の目って2つあるでしょ?だから目の七不思議も2つ用意した。その数は目にちなんでいるし、もしかしたらそれから考察を深めてくれる人が出るかもしれない。私みたいにね。ほら、謎解きミステリーみたいでしょ?」

「うん……」

 自然と頷いていた。頷いてしまった。

「あと同じ場所で2つ以上七不思議が存在しないってのも同じだと思うんだ。1つの場所で2つもあったら同時に消費されちゃうじゃない。せっかくだから長く楽しんでもらいたい。だから場所を散りばめよう。これもエンタメだね」

 まるでカンペが用意されてるかのような流暢な喋り方だ。友花の自身に満ちた表情がその説得力を高めている。

「八不思議に関しても、ほら皆考察してみろよ〜、みたいなメッセージのために残したんだと思わない?だから私にはこの七不思議はね───エンターテイメントの一種なんだと思ったんだ」

 パタンとノートを閉じた。したり顔で友花が佇んでいる。いつもならそんな顔向けられたら目潰しでもしてやろうかと思うけど、今回に関しては拍手を手向けてやった。

「……中々やるわね」

「でっしょー!?私もこれを考えついた時は喜びで体が震えていたよ!」

「多分今までで一番出来がいいんじゃない?」

「そうだねー。話題にも乗っかってるし、これなら注目されること間違いないと思う!」

 サムズアップでその自信をアピールしてくる。確かに凄い。凄いけど……。

「でもやっぱそれよりチョココロネ美味しいわ」

「智音ちゃーん!?」

 勢い良く机に友花が突っ伏す。友花の後頭部からはブスブスと煙が上がってるような気がした。私は新聞なんかよりも甘いもののほうが好きって知ってるでしょうに。

 ただ食事の片手間くらいでなら読んであげなくもないかな。残り僅かなチョココロネを口に放り込んだ。



「よっしゃ今日も部活頑張るぞー!」

 学校が終わったばかりだというのに何たるバイタリティ。私じゃあんなに元気にやってられないわ。

「ほらほら智音ちゃん行くよ行くよー!」

「はいはい」

 小走りで走り去っていく友花を尻目にぼんやりと歩いていく。どうせ友花は職員室に鍵を取りに行ったあと部室に行く。だからゆっくり部室に行ってもいいでしょ。それでも友花のほうが先に着いているんだけど。

 放課後になったばかりの廊下には眩しい声が響いている。皆そのまま帰ったり部活したり、とにかく楽しいことが待っているからだろう。言い換えればそれだけ授業がつまらないってこと。

 特に何気なく屋上を見てみた。やっぱりいないか。間宮はあの怪我だ。普通にしていればどこかですれ違ってすぐに気付くと思っていたけど、意外と会わないものね。てか会って何するつもりなんだろう。

 はっ、と小馬鹿にするように笑った───。

 その時、見えた。校舎の間にある渡り廊下に見えた。小さな背で頭に巻き付いている包帯が目立つ───間宮だった。

 その横顔は確かに間宮のそれだった。でも一瞬自分の目を疑った。間宮とよく似た人かと思った。だって──彼女自身の足で立っているんだから。

 すると間宮が私に気付いたのか、こちらに首を回してきた。相変わらず怪我が目立つ体をしていて、でも自分の足で確かに地に立っていた。

「こんにちは───いえ、この時間ならこんばんはかしら?」

「どっちでもいいわよ。でもどっちかというとお久しぶり、の方が良いんじゃないかしら?」

 足を動かして彼女の元まで歩いていく。彼女は渡り廊下の手すりに手を掛けたまま、日の傾いている空を眺めていた。あたりには緩やかに風が吹いており、私達のほか誰もいない渡り廊下を撫でていった。

「足、もう大丈夫なの?」

「……そうね、もう車椅子はいらないわ」

 別に仲の良い関係でもないけど、満足そうに頬を緩めているのを見るとこちらも嬉しくなる。

「何をしていたの?」

「することがなかったから、ただ外を見ていたのよ」

「そんなことしてたの?暇過ぎない?」

「することがないから仕方ないのよ」

 少し小馬鹿にしたような私の言葉に、間宮は至って真面目に返してきた。悲哀に暮れた顔で私を見返されて、言葉に詰まってしまった。どうしてそんな顔するのか想像も付かない。

「あなたは?何をしていたの?」

 今度は間宮が私に質問を投げかけた。

「私は部室に向かう途中よ。ああ、私は新聞部に入っているのよ。とは言っても新聞に興味があるわけじゃないのだけれど」

「それじゃあどうして?」

 それはごもっともな返しだと思う。

「まあ友人に誘われたから、かな」

 それ以外に新聞部に入った理由などない。その程度で部活なんて十分だとも思うけど。

 間宮は私の返しが意外だったのか、瞬きをしながらその瞳を向けてきた。

「どうしたの?そんなに意外だった?」

「いえ……。単純にそのお友達は───幸せものだと思っただけよ」

 渡り廊下に風が通る。私の髪の毛が巻き上がり視界を僅かに遮った。

「どうしたのー?智音ちゃーん」

 そこに後ろから間延びした声が聞こえてきた。振り返ってみると予想通りの人物、友花だった。

「渡り廊下に何かあったの?」

「そういうんじゃないけど、ちょっと知り合いがね」

 友人と呼んだほうが分かりやすいと思うけど、そんなに深い仲でもないから知り合いでいいと思う。友人と知り合いの境目って判断が難しい。

「へー、智音ちゃんに友達がいたんだ。意外〜」

 パキッと右手の指の関節が鳴った。このまま手を伸ばして友花の頭を手中に収めれば、頭蓋骨くらい割れないかしら?というかわざわざ知り合いと言ったのにそれを友人に変換しないでくれないかしら!?

「あ、ごめんごめんごめんなさい、アイアンクローだけは勘弁を!」

「……はぁ、どうして友花はそこまで挑発してくるのかしら……」

 ごめんごめんと謝っているけど、ちょっと顔が笑っていて反省している風はない。別に友達がいないのは事実だしそれに関しては良いのだけれど、でもそれを友花に言われるのは気に食わない。

「まあまあ、それより誰と話してたの?」

 ああ、いけない。完全に間宮が置いてけぼりを食らっている。急いで後ろを振り返る。

「───あれ?」

 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。体の動きも止まってしまう。

 眼前にあるのは渡り廊下。無機質なコンクリートと、鈍く光を反射している手すりだけ。その他には何もない。

 友花の方に目を向けてみても、ただ疑問符を浮かべて見つめ返してきただけだ。

「どうしたの智音ちゃん?」

「………ねえ友花。私の他にもう一人いなかった?」

 すると虚を突かれたように、鮮やかな瞬きを見せてきた。

「いなかったよ?渡り廊下には智音ちゃん、ただ一人だったよ?」

 ……ということは何だ?間宮は私が友花の方を見た瞬間に、こそこそと立ち去ったとでも言うの?…………シャイガールか!

「え?さっきまでその友達ここにいたのー?」

「そうなんだけど、どっか行っちゃったみたい。人見知り激しいのかしらね」

「でも智音ちゃんは友達なんでしょ?すごいじゃない」

「…………だから知り合いだって」

 友達友達と連呼する友花の背中を乱暴に押した。友花は数歩前のめりになってしまい頬を膨らませて振り向いてきた。

「智音ちゃ〜ん!?」

「ほら、さっさと部室行きましょ」

 友花を後ろにおいて1人先に進んでいく。面倒な時は無視するのが一番だ。

 友花はちょっと乱暴な足取りで私の隣まで小走りしてくる。そのまま少し不機嫌そうに私の隣を着いてきた。



 教室の扉を開けてとりあえず友花の席を確認する。まだ来てないっぽい。

 自分の席に向けて歩いていく。教室を見渡すとちらほらとグループが形成されているが、まだ朝だからだろうから不完全な感じがある。

 その中の一群と目が合った。華やかな身なりと化粧が目立つ女子のグループ。良く言えばJKで、悪く言えばケバい。私としては気に食わない一団だ。目を鋭くしてその目を見返す。

 彼女らは気まずそうに目を逸らした。まあそうなるだろうけど。そこでガン飛ばしてくるとしたら中々の頭おかしい人だと思うから。

 そのまま私は自分の席について、頬杖付きながら横目でその集団を見ていた。スカートは短くして髪も染めて、アクセサリーの付いたスマホを皆持ってる。そんな底辺集団。

 クラスでは上位にいるように威張って、自分たちが気に食わない相手にはひたすら敵視して。寄ってたかって仲間外れにして。それをクラスの全員に強要する。それに従うクラスメイトもクラスメイトだが。

 好感の持てる要素が微塵もない。考えるだけで腹の中がムカムカしてくる。あいつらは本当に───。

「────どうしたの?」

 上から聞き慣れた声が聞こえてきた。優しくてふんわりした、落ち着く声。見るまでもなく分かってしまう──。

「……ううん。なんでもないわよ」

「──そう?眉間に皺寄せちゃってたからさ」

 友花が顔をおろして私と目線の高さを合わせてきた。彼女の瞳に私が映っている。私の瞳にも、友花が映ってるんだろうか?

「────痛っ」

 思わず、デコピンをしてしまった。別に特別理由が合ったわけじゃない。なんとなくだ。

「……も〜、なんでデコピンしたわけ?」

「なんとなく。そこにオデコがあったから」

「別に痛くはなかったけどさ……」

 そうは言いながらもオデコをさすって、タンコブができていないか確認している。その様子さえどこか可愛らしさが見え隠れしている。

 友花が唇を尖らせたまま見えるはずもないオデコを見ようと目を上に向けている。すると私が見ているのに気付いたのか私に目線を下ろして、そしてそのまま軽く笑った。それにつられて私も笑い返した。

 何してるのか私達もよく分かってないけど、どこかリラックスが出来る時間だった。



「それでね智音ちゃん。今度は八不思議の方にクローズアップしてみたいと思うんだけど」

 友花は部室に来るといつも高いテンションが更に高くなる。目も爛々と輝いていて、今の友花は「生きてるゥ!」って感じ。まあ私は「眠たいィ!」って感じだけど。

 それを表すように口から欠伸が出てくる。少し我慢してアホづらは晒さないようにした。

「八不思議の方も中々面白みがあって、八不思議の、いわゆる誰が作ったか。この誰?っていうイメージが色々あるんだよ」

「へぇー。そうなんだ」

 部室に常駐させているお菓子の封を開ける。コンソメの匂いが立ち込める立ち込める。確かこの辺に割り箸があったような……あった。

「でね?誰が作ったっていうのだけど、基本的に一味二味もパンチの利いた子であることが多いんだよ」

「コンソメパンチみたいに?」

 袋を掲げると鼻腔をくすぐる香りが一層増した。机の上の過去の新聞や資料、それのコピーを切り取るためのペーパーナイフとかを端に寄せてポテチの袋を置く。

「…………ちょっとは取っておいてね」

 口は揚げたジャガイモで塞がれてるから、首だけで頷く。

「それでね、例えばどんな子がいるかっていうと、いじめられっ子、家族も友達もいない、病気がち、火傷で顔がただれてる、身体障害者とかとかなんだよ」

「揃いも揃って凄いレパートリーね……」

「そうだよね。そういう人が七不思議を作った、ていう噂になってるんだよ」

 友花はうんうん頷いて、七不思議の不思議さを噛み締めているようだ。

「でも分かってるのはそれだけなんだよね。どういう順番で変化してるのかとか、どういった流れなのかとかはよく分かんないんだよ」

 本当に語るものがなくなったのか、私の対面に座って割り箸を手に取った。そのまま箸を使ってポテトチップスを口に運ぶ。

「じゃあどうしてそんな癖のある人が七不思議を作ったことになったの?」

「それについても分からなかったけど、でも個人的にはやっぱりエンターテイメントの側面が強いと思うよ」

 部室で向かい合って座って、語り合いながらお菓子を頬張る。新聞部ではないみたいな感じだけど、なんだか楽しい時間だ。

「というとね、やっぱり人の噂にはストーリーがいるんだよ」

 急に友花が割り箸を置いて語り部モードに入った。

「やっぱり普通の人が作ったんじゃつまらないから、何かしらの特徴を作ったんだと思う。それでいて七不思議を作った理由と結び付けれるようなものが良いんだよ」

 ポテトチップスってやっぱり美味しいよね。コンソメの味が良いって言うよりも芋の味が美味しいって感じ。

「それでよくセットになる話が友達がほしい、目立ちたかった、気を引きたかったとかなんだよ。ほら?友達がほしいとかの理由は、病弱で学校にあまり来れなかった子とかだと妙に納得しちゃわない?」

「なるほどね。だからそういった八不思議像になったというわけね。───ごちそうさま」

「うんうん───え!?もう食べたの!?」

 ポテチの袋を友花がふんだくる。中の銀色を凝視してみるけど、そこにはチップスがあるわけもなく。どんどんと友花の顔が暗色に沈んでいく。

「…………ちょっと取っておいてって言ったじゃん」

 わかりやすーく暗い声を出している。

「ちょっと食べたからそれで良いのかと思って」

「少しすぎるでしょそれは………。3枚くらいしか食べてないよ?」

 というかちょっと落ち込み過ぎじゃない!?そのポテトチップスへのこのこだわりは何!?

「まあ、うん………。とりあえず話したいことは話したから、うん………帰ろっか」

 曇天立ち込めるような虚ろな目をして、ふらりふらりと友花が揺られながら歩いていく。徹夜明けのサラリーマンみたいな足取りで見ていて怖くなる。え、本当に大丈夫なの!?

「じゃあねー…………」

 ガラガラピシャン。そしてぽつねん、部室に1人残された。………まあきっと帰れるでしょう。私も帰るとしようか。

 荷物をまとめて部室から出る。まだ今日は日が傾ききっていない、早帰りとなった。



 鍵を差し込んで手応えを感じながら半回転させる。何かが落ちたような音を聞いてドアノブを回す。扉の中に広がっているのは特筆するようなこともない1K。冷蔵庫と洗濯機と電子レンジとかがキッチンに置かれていて、その扉一枚挟んであるのが───。

「───ただいま」

 それに返してくれる人はいない。でも取りあえず言ってしまう。言っても虚しいだけだけど。

 机の横にバッグを放り捨てて椅子にドンと腰を下ろす。理由もなくテレビを流して、再放送のお笑い番組に目を向けた。

 一人暮らしなんてこんなものだ。足をブラブラと揺らしながら、さして面白くもないテレビを見るだけ。やることもしたいこともない。

 本当は親と暮らす予定だったけど、仕事の都合上私は一人暮らしになったんだ。別に親のもとにいたままでも良かったけど、なんとなく一人暮らしを始めた、ような気がする。

 それにしても最近父さんと母さんに会ってないな。まあ会う機会がないから仕方ないか。そういえば父さんは何の仕事しているんだっけ?えーと………。

「───他に面白い番組ないかな」

 まあそんなこと思い出さなくてもいいや。ポチポチとリモコンをいじっていく。取りあえず食べ歩きぶらり旅している番組に変えた。ぼーっと時間だけが過ぎていった。



「あー………智音ちゃん、私は今非常に辛い思いをしているよ」

 昼休憩だというのに友花は机に突っ伏したまま、死体のごとく動きがない。言葉を発した時だけ多少頭が動いているけど、それ以外は見事なまでの死体である。

「何?どうしたのよ?」

 パンの袋を開ける片手間で話を振る。友花がゆっくりと顔を上げて落ち込んだ表情を見せてきた。

「聞いてよ智音ちゃ〜ん。今さっきね?職員室行って夜に七不思議の調査をしてもいいかって先生に聞いてきたんだよ〜」

「それは新聞部として七不思議の調査をするってこと?」

「そうそう。でもね、全然認めてくれなかったんだよ〜」

 そしてまた机に顔を沈める。長い長い溜め息を吐いている。

「まあそれはそうでしょうね。七不思議とか言う意味不明なものの調査に、学校が協力してくれるとは思えないわ」

「そりゃ分かってるよ?でも生徒が自主的に調べてそれを記事にしたいって言ってるのに、それを認めてくれないって先生としてどうなんだよ〜」

 友花は酷く落ち込んでいるのか、体の節々でその萎えを表している。指先一つまでが床を目掛けて垂れ下がっている。

「なら諦めるしかないんじゃない?」

 学校が許可を出してくれるとは思わない。夜の学校に一人きりでいるのを許すのは勿論のこと、しかもその目的が七不思議と来たもんだ。たとえ新聞部だろうが出るわけはないと思うけど。

「…………いや、私は諦めないよ」

 その声に合わせて友花が体を起こしていく。不敵に口角を上げながら、目は野心に燃えていた。

「きっと今回私の願いが届かなかったのは熱意が足りなかったからだ!もっと熱く!もっと粘っこくお願いすれば!きっと先生たちも分かってくれるはず!」

 胸の前で拳を強く絞って、急な熱弁が始まった。まあ確かにそこまでしたら許可が下りるかもしれない。………面倒になって。

「というわけでもう一度私は頭を下げに行ってみるよ!智音ちゃん失礼するね!」

 そのまま友花が立ち上がり教室の外へと駆け出した。

「いってらっしゃーい」

 私の声を聞き終わるよりも早く友花の姿は見えなくなっていた。まだ友花弁当も食べきっていないじゃない。机の上には半端に手を付けられた弁当が置かれていた。蓋を手にとって一応封はしておいてあげる。

 それにしても何を思ってそんなに猪突猛進できるのか。甚だ疑問である。行くにしても弁当食べてからで良いと思うのは私だけなのだろうか?……まあどうでもいいや。パン食べよ。

 ちなみに友花はその後すぐに帰ってきた。想像していた通りの惨敗で。漂う哀愁が鼻に付くくらい。



 それでも友花の精神力は尽きることを知らない。放課後になればやっぱり一目散に部室に駆け出していく。そんなペースで私が行くわけもなく、気ままにバッグに教科書をつめていく。あれ?今日政経の授業あったっけ?………まあ入れっぱなしでいいか。

 準備も終わってバッグを肩に掛ける。私のバッグはいわゆる女子高生みたいな装飾品が沢山付いたものじゃない。あんなにキーホルダーやらシルバーアクセを付けて何が楽しいのだろうか。髪に引っかかりそうじゃない。

「……ん?」

 また、か。また私が睨まれている。どうしてそこまで私のことを敵視するのかねえ───船木。

 私が目線を返してぶつかり合っても留まることを知らない。しかもその形相はより一層険しくなる。歪んだ眉は怒っている───むしろ呪いの類いとさえ感じる。

 本当に私がここまで嫌われている理由が分からない。どうにかこうにか対処するべきなのかもしれないけど、でもここまで嫌われていると手の出しようがない気がする。

 大体こういう時の立回りはわかっている。───私が折れる、それが一番簡単で早い。

 私の方から目を逸らして教室の扉へと向かう。その間も後ろからは棘の生えた視線が背中を刺しているが、気にしていたって無駄なんだ。さっさと部室にでも行こう。

 教室から出ると自然と溜め息が出てきた。それはそうでしょ?誰だって嫌われているとわかっていて嬉しいわけがない。しかもその理由が一切わからないと来ている。人が人なら不登校まで起こしうる。

「───あら、間宮………」

 曲がり角を曲がって渡り廊下に差し掛かったとき、前と同じ様子で間宮が渡り廊下に佇んでいた。今回も何かするわけではなく、グラウンドにいる多くの生徒に向けて潤みを含んだ目を向けている。

 歩みを進めると間宮も私に気付いてこちらに顔を向けた。彼女が片手を軽く上げた。私も応えるように手を上げた。

「────ねえ、ちょっと」

 後ろから呼ばれる声がした。ただ軽い口調ではなくて、むしろ怒気を含んだ様子だったから訝しみながら振り返った。

 そこには思ってもみなかった人がいた。

「ねえちょっと」

「………何、かな?───船木さん」

 目を鋭くして仁王立ちしたまま、私を睨みつける船木がそこにはいた。カバンは持っておらず、ただ私に用があるだけという理由で今ここにいる気がした。

 彼女は私の質問には答えず、ひたすらに無言で私の方を見ている。それは鑑定するように見定めるようにで、私の端から端までを視線でなぞっている。言ってしまえば非常に不愉快だ。

「何?船木さん?」

 正直今さっきは私が退いたが、本来であればそのまま喧嘩を買ったほうが私の性に合う。でもそんなことしても基本的に無益だから退いたというのに、何?そっちがその気なら私としては構わないんだけど?

「………非常に腹立たしいけど、アンタに聞きたいことがあるんだけど」

 重くゆっくりと船木が口を開く。蔑むような言葉が一々私の癪に障ってくる。

「何かしら?」

「…………福地さんの元気がなかったみたいだけど、その───大丈夫、なの?」

 …………私はまず自分の目を疑った。耳ではなく目だ。目の前にいるのは船木。いっつも私に刃物みたいな視線を飛ばしてくる人。目が合う前から不機嫌な表情を振り回してくる人。そんな人が、頬を赤らめて、恥ずかしそうに、尻すぼみで!?

 それだけでも天地が入れ替わるような衝撃なのに、そこから発されたのは桃を絞ったような甘い甘い背中の痒くなる声。なんだその棘のない声は!?なんだその初恋のような色っぽい声は!?

 顎が外れるかと思った。いやもしかしたら肩も外れているかもしれない。それほどの衝撃だ。

「な、何よ!?いいから早く質問に答えなさいよ!」

「あ、えーと、ごめん」

 何で謝ってんのか分からないけど口から出てきてしまった。

 それでええと?質問なんだっけ?確か福地さんの元気がないとかどうとか……うん?福地さん?福地って言うと……というかそもそも私に聞くということは、私と仲が良い人というわけで。そんな人は一人しかいないわけで……?ええっ!?

「え、ええと……」

「何よ!何困惑してるのよ!?」

「その、船木さんの言っている福地さんって───友花、のこと?」

 ───いかにも、間抜けそうな、空気が、流れた。

「……それ以外に誰がいるというの!?」

 噛みつく勢いで船木が食って掛かる。

 えええぇぇえぇええ!!?どうしてなんでどうしてぇ!?

「え、いや元気だけど……」

「───よかったぁあ……」

 すると船木は大きく息を吐き出しながら、のろのろと渡り廊下の手すりに体重を預けた。吐き出している息に溜飲が溜まっていたかのようで、吐き終わる頃には晴れやかな顔つきになっていた。

「……えーと、船木さん?その、どうして友花のことを」

 後ろから慎重に声をかける。え?何実は友花と船木は昔なじみとか?でもそれなら本人から聞けばいいことではあるし。そもそも私二人が話しているのを見たこともないし!?……ていうか友花について心配することなんてあった?元気の塊じゃん。

 しかし船木は私の言葉が気に食わなかったのか、首をぐるりと回して私を捉えた。

「……何?喧嘩売ってるの?」

 何でそうなる!?

「何?少しばかり福地さんと仲がいいからって良い気になってるの?自慢してるの?見下してるの?」

「ちょっと待ってちょっと待って!?船木さんは何が言いたいの!?」

 ずんずん大股で距離をつめてくる船木に手の平を出して静止させる。その捲し立ててる剣幕が怖い!今までのどの顔よりも!

 どうどう…どうどう……。と手を少しづつ前に出して距離を開ける。船木もこめかみに皺を寄せてはいるが、従ってくれている。そして一度息を吐く。

「えーと、船木さん。船木さんは友花のことが───」

「───好きよ。言うまでもなく。愛していると言っても過言ではないわ」

 ……ああ、駄目だ。思考が活動をやめている。えーと、何だっけ?今日の曜日だっけ?

「私はずっと福地さんのことが好きだった。ずっと福地さんのことを見ていた。でも中々話しかけられなくて、時々声を交わすだけで私はとっても幸せな気分になれた」

 え、何で一人語りが始まってるの?胸に手を当てて目蓋を閉じて、まるで祈っているみたいに。その表情はとても穏やかで優しささえ感じる。

「それで十分だった。確かにもっと近づきたかったのは本当。でも今のままでも十分に幸せだった。───のに!」

 その目が、見開かれる。獣が殺意をむき出しにして。私の目を貫いている。

「アンタが現れた!昔っから福地さんと仲が良かったわけでもない!急に出てきたぽっと出のアンタが!私の福地さんを変えた!変えたんだ!」

 船木は再び私に詰め寄り、襟首を掴んできた。いつもならそのままカウンターの1つでも食らわせたんだろうけど、ちょっとばかり混乱していてそんな考えさえ思い付かなかった。むしろ流されるままに身を任せていた。

「福地さんは私のことなんて見向きもしなくなった!いっつもいっつもいっつもいっつも智音ちゃん智音ちゃん智音ちゃん智音ちゃん!福地さんはそれ以外言わなくなってしまった!ふざけないでよ!返してよ!私の福地さんを!」

 ちょっと待って色々言いたいことも突っ込みたいこともあるんだけど、それよりそれ以前に───!

「あのー船木さん?それって他人に言っても良いようなことなの……?」

 誰が好きとか嫌いとかは簡単に口出ししちゃ駄目な内容だと思う。しかもそれが……同性愛とかだと、なおさら。

「……それが、何?別にアンタになら知られたところで何もないわよ。福地さんにはいずれ知られてしまうかもしれないし、アンタはクラスで孤立してるから言いふらされる心配もない。私も鬱憤が溜まっていたしね」

「まーそれはそうなんだけど…この場にはその、もう一人いるわけでして……」

 私も完全に忘れてた。でも脳がフリーズしている間に周りを見渡して思い出した。

 この渡り廊下には私と船木以外にもう一人いる。私達が来る前からずっといる。今もずっとそこにいる。───間宮が、ね。

 船木が弾かれるように私から離れて後ろを振り向いた。そのまま首を左右に振って人影を探している。そして間宮のいる方向を向いた。

 そしてそのまま────視線が通り過ぎた。何度も何度も通り過ぎた。まるでそこには誰もいないかのように。間宮がまるで見えていないかのように。段々と首の動きが小さくなっていって、そして私の方へと首を向けた。

 その目は今までの怒りとは違った。嫉妬でもない。ただひたすらに困惑していた。


「…………何を言っているの?誰も───いないじゃない」


 時間が、止まった。何を言っている?いるじゃないの。船木の右後ろに。渡り廊下の手すりを持ったままこちらを見ているじゃない。ほら、私と目も合っている。どうして───見えてないの?

「…え?ほら、そこに……」

 私が指を指す。間宮は指されるとと「私?」と言わんばかりに自分自身で指を指した。そんな光景が毛頭見えてないのか、船木は目を凝らすだけだった。

「……アンタ、何を言ってるの?気持ち悪っ」

 船木が私と距離を取る。完全に見る目が怒りの対象から、汚泥を見るような陰険なものになった。私としても混乱しているんだからやめて欲しいんだけど。

「もういいわ、もういい。とにかくアンタはさっさと福地さんの隣から消えなさい。良いわね!?」

 船木はもう私の顔さえ見たくなくなったのか、早歩きで渡り廊下から姿を消した。竜巻のような船木が消えて再び渡り廊下に静寂が戻る。でも自分の心の中は荒れに荒れていた。

 確かに言っていた。そこには誰もいないと。間宮なんていないと、そう言ってたんだ。いるじゃないか。いる。私には見えている。

 背が小さくて髪が長くて童顔で。左腕がなくて右目も見えないのか包帯が巻かれていて。怪我の酷い中学生女子みたいな女の子──間宮が、いるんだ。

 一歩、彼女に近づく。多少の恐怖を持って。

 一歩、彼女に歩み寄る。もしかしたら私が狂っているのかも知れない。

 一歩、彼女との距離が縮まる。何が起きているのか知りたくて。

 一歩────。

「───話してくれるかしら?間宮、さん?」

 彼女は不敵に、笑うのだった。

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