幼馴染と僕との関係

伊吹咲夜

第1話 プロローグ

「けっこんしてあげる」


 小学校の校庭で遊んでいた僕にそう言ってきたのは誰だったんだろう。

 朧気に覚えているのは、その言葉と誰かと一緒に遊んでいたこと。そしてその時に言われたことだけ。

 一緒に遊んでいたとすると幼馴染の二人しかいないわけだが、どちらに言われたのか、小学校の何年生の時の事だったことすら覚えていない。

 もしかしたら、僕の勘違いなのかもしれない。

 幼い頃だったから、夢で見たものを現実と勘違いして記憶している可能性だってある。

 でも現実味があったし、僕も「うん、いいよ」って言った記憶があるので夢ではないと思うが、その後がまるで思い出せない。

 幼馴染相手だから聞けば済むことなんだろうが、あの二人を前にするとどうも聞けなくなってしまう。

 怖いとか、そういうのではないんだけど。


 ********************


 そんなちょっと心の隅にくすぶった思い出を携えたまま、腐れ縁はずるずると続き、お願いしてもいないのに二人とも同じ高校にまで入学してくださった。

 かのんはランクを二つも落として、音子ねねに至っては担任が絶対無理だと逆太鼓判を押したにも関わらず、今世紀最大の奇跡と言われる程の奇跡を起こし見事合格を勝ち取った。

 そして当然と言わんばかりに特別な用事がない限り、登校時に迎えに来る。もちろん二人とも。


伸太しんたさん、起きてください。もう朝ですよ、遅刻しますよ」

 まどろむ僕を誰かが揺さぶりながら声を掛ける。

 聞き覚えのある、低めで落ち着いた口調。かのんだろう。

「……こんなに揺さぶっても起きないんですのね」

 揺さぶっていた手を止めると、かのんは無言のまま暫くそのままでいた。

 動いた気配があったので諦めて登校するのかと思った時、寝ている僕の頬にさらりとした何かが触れた。

 ふわりと花の香りがした。シャンプー? 触れたのは髪?

「本当に……起きない、ですよね?」

 独り言なのか寝ている僕への確認なのか、かのんは髪の触れる距離のまま呟く。

 さわさわと触れる髪がくすぐったくも心地が良い。

 そう思ってるとギシリと音を立ててベッドが不意に沈んだ。

 かのん?

 うっすらと目を開けると、カーテンの様に目の前に広がる黒髪とほんのり頬をピンク色に染めたかのんの顔が目の前にあった。

 か、かのん!?

 かのんの唇が僕の唇にくっつくかと思われた瞬間、部屋が大きく揺れた。

「な、な、何やってんのよぉぉぉぉー!」

 バンとドアが開けられドアガードに跳ね返される音と振動より、侵入者の声の大きさと超音波的叫びに部屋が揺れたと言っても過言ではなさそうだ。

「そ・こ! 朝っぱらから発情してんじゃないわよ!」

 もう少しでくっつこうとしていた唇は、侵入者によってかのんの身体ごと思いっ切りひっぱかされたらしく、ドスンという音とともに黒髪のカーテンもろとも消え去った。

「いったーい! 何するんですの!?」

「何って、不純な行動を正しただけよ!」

「ふ、不純って! ち、違います! 伸太さんの目にゴミが……、そうゴミが付いていたんです!」

「閉じてるのに目にゴミっておかしいでしょ!」

 あまりに五月蝿いのでしっかりと目を開けて横を見ると、栗色のツインテールを振り乱しながら仁王立ちになっているもう一人の幼馴染の後姿と、スカートがめくれ上がった状態で尻餅をついているかのんが居た。

 起き上がればパンツが見えそうだったが、ここで起き上がったら寝たふりしていたのがバレてしまう。

「音子見たんだから! しんちゃん起こそうとドアの隙間から覗いたら、かのんがキ、キスしようとしてたところ!」

「違います!」

 このままでは永遠と言い合いしそうだったので、口を挟みたくはなかったがつい言ってしまった。

「……あのさぁ、朝から人の枕元でかなりの迷惑なんですが」

 こういう時、必ず全てが僕のせいにされるのも分かってる。二人が悪かったとしてもだ。

「大体しんちゃんが起きないのがいけないんだ」

「そうですよ、私が揺り起こしても寝ているからいけないんです」

 まぁ、僕が起きなかった(というか寝たふり)のは悪かったが、キス云々に僕は関係ない。案の定僕が悪い事にされてる。

 しかもさっきまで言い合いしてたのに、こういう時ばかりは息が合う。

「あー、はいはい。僕が悪ぅございました。で、呑気に言い合いしてましたが、学校行かないの?」

 壁に掛かった時計を指さしてやる。

 僕一人で走って行くには十分間に合う時間だが、女の子二人が走って行くには些かキツイ時間になっている。

「「いやぁぁー! 遅刻するぅー!」」

 見事なハモリでここでも息の合う二人。

 が、これだけではなかった。

「制服ー!」

「カバンー!」

 投げる勢いでベッドから僕を転がり落とし、もう一人がパジャマを脱がす。脱がす間に制服が用意され、一瞬にして制服に着替えさせられた。

 打ち合わせした訳ではないのに見事なコンビプレー。幼馴染の成せる技なのか!?

「ほら、行きますわよ伸太さん!」

「今ならギリギリ間に合う!」

 僕のカバンを持ってバタバタと階段を下りていく。急かされるまま、僕も倣って階段を下りる。

 しかし僕の心中は学校に遅れるという事よりも、今の出来事でドキドキしていた。

 幼馴染とはいえ、年頃の女の子に裸を見られた(さらに脱がされた)のだから。

 パジャマのズボンに手が掛かった時などかなり焦った。急いでいたからなのだろうが、パンツも一緒に下ろされかかった。

 思いっ切り下げられて半ケツになって、反射的にパンツのゴム部分を掴み取った。

 これがコンマ一秒遅かったら見せてはいけないモノがオハヨウゴザイマスと挨拶していたに違いない。

 そして朝の生理現象が治まっていなかった、感覚がある。

 どっちがどう動いていたかよく見ていなかったが、彼女らはアレを見て何とも思わなかったんだろうか?

 こっちは恥ずかしさで穴があったら入りたい気分なのに、顔を赤らめるでも騒ぐでもない彼女ら。

 僕が知らないだけで見慣れてる現象だとか……? まさか……ね?


『ダッシュで!』という音子の命令どおり、僕は全速力とまでいかないダッシュで学校へ向かう。

 振り返ると僕の数歩後ろをかのんが、その十数メートル後を音子が走る。

 走るたびにたゆんたゆん揺れるかのんの胸を『あんなに揺れて邪魔そうなのに結構速く走るなぁ』なんて感心しつつ、遥か後方の音子の真っ平な胸を比較して、胸の大きさと走る速さには関係性がないんだと納得する。

 音子の場合、あの長いツインテールが走るのの邪魔をしている気がしてならないが、あれをポニーテールもしくはアップにするなどして、果たして速くなるものなのだろうか。

 こんなくだらない事を考えながらもう少しで学校というところまで来ると、息を切らしつつかのんが話しかけてきた。

「ねぇ、伸太、さん。もうすぐ、夏休み、ですわ、ね」

「そうだね」

 もうすぐというか、明後日だ。やっと心置きなく寝坊が出来るというものだ。

「あの、ですね。夏休みに、私と、海に、行きましょう?」

「は? 海?」

「そう、海、です」

 校門が見えてきたので少しスピード落としてやる。

 思ったより速く走っていたようで、まだ予鈴が鳴るには時間が余裕があったからだ。

 なによりかのんが話し辛そうで気の毒だ。

「何でまた」

「たまには二人で出掛けたいって、思っただけですわ」

 つまりは、音子には内緒でってことか。だからこのタイミングで切り出してきた訳なのか。

「まぁ、音子にバレなければ、な」

 多分、いや絶対に音子にバレる。こうして距離を離して話していたからと言って、音子が分からないと思うのが甘い。

 同じ年月幼馴染やってて、何で分からないのかがたまに不思議に思えてくる。

 後ろを振り返ると必死に走ってくる音子が見える。

 聞こえる距離ではないと思うが、表情が走って苦しいというよりも僕らの会話にやましい事があると疑ってかかっている顔だ。

 そうとは知らず嬉しそうにかのんは僕の手を引いて言う。

「絶対ですわよ」

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