御伽噺探偵ー奇妙な依頼、叶えます。

笹山渚

第1話 烏丸のアリス誘拐事件

あぁ...。

天井までそびえ立つ本棚に、私は小さく嘆息した。

ぼんやりとした薄暗い書斎。散らばる書きかけの原稿。

そうだ...父はこういう人だった。

(本気で命よりも本が大事だったんじゃないかな...?)

人々の心を奪う作品を作るためなら、魂だって売る。

何があっても書かずにはいられない。

それが私の父...小説家の森宮誠志郎なのだ。



私...森宮千歳の両親は、幼い頃に離婚していた。

元々人気小説家だった父は執筆を開始すると周りが見えなくなり、そんな父に愛想を尽かした母が私を連れて出ていった...というような筋書き。

とは言えど、私にとって父は父。京都に自宅を構えていた父に、私はよく会いに行っていた。

お世辞にも愛想が良いとは言い難い父だったし、私が訪ねても顔も見ずに執筆を続けているだけだったけど...父といるとどこか安心できて。

月に1度程の頻度で父の家を訪ねる...そんな生活を10年ほど続けて、いつの間にか私も高校生になった。



いつも通り私が父の書斎を訪ねたとき、事件は起こったのだ。

...鍵のかかった部屋の中で、散らばる書きかけの原稿の海に溺れながら、父は倒れていた。

それからのことはよく分からないけど...分かるのはとにかく父にはもう会うことは出来ないってことだけ。

私の心の拠り所は、いとも容易く消えてしまったらしい。


今日...主を失った父の自宅をわざわざ訪ねたのは書斎を片付けるため。

...と、言うのも父には親戚と呼べる人が私と母ぐらいしかいないらしく...書斎の片付けを元妻である母が頼まれたのだが、勿論母は行きたがらず...私が来た、と言った感じだ。

まぁ...でもなぁ。

(こんな大量の本と原稿、どうしたらいいんだろう)

仮にも人気作家の父親だぞ。娘とは言え女子高生の一存で捨てたりしてもいいのだろうか?

1億円の価値があるお宝原稿を捨ててしまったりとか。...いや、流石になんでも紙切れ1枚にそんな価値はつかないか。


「ふぅ...」


薄暗い部屋の中でセピア色の原稿をかき集める。

父なりのこだわりだったのか、私は父の原稿に触れたことがなかった。

いなくなってから初めて触れるなんてな...。

セピア色の紙にポタポタ、と小さな染みができる。

...なんで、泣いてるんだろ...私。

悲しいなんて思ってなかったのに。別に今まで平気だったのに。

駄目だ...作業に集中しないとな。

ふっ、と顔をあげて零れ落ちる涙を拭い、パンパンと頬を叩いて気持ちを入れ替える。

平気、うん。もう大丈夫。

口の中でそう反芻していると、鞄の中の携帯が小さく震えた。

ディスプレイには『母』の文字。


「はい、もしもし」

『千歳ー今どこ?』

「父さんの家。今荷物整理してる」

『あっそ。何時に帰ってくんの?私も仕事で遅くなんのよね』

「夜の新幹線で帰るから...ご飯なら駅でお弁当でも買うよ」

『そうしてくれると嬉しいかも。んじゃ、気をつけて帰りなさいね』


プツッ、と一方的に電話を切られた。全くこの人は...。

しかし本当にどうすればいいんだ?とりあえず原稿は分けて置いて...売れそうな本見繕って持ってくか?...完全に売ること前提だな...。

口元に小さく苦笑いを浮かべ...たそのとき。


ピンポーン...。


壊れかけのチャイムが鳴り響く。

誰か来た...ってこと?

父が生きていた頃は編集者さんが訪ねてくることもしばしばあったけど、近所付き合いなんかは全くなかった。まぁ...あの愛想のなさでは仕方が無いだろうけど。

ということは...誰、だろう。


「...はい。どなたですか?」


重い扉を軋ませながら開き、顔を覗かせると。

家の前に立っていたのは...学生服に身を包んだ同い年ぐらいの少年だった。

...え、まさか父さん隠し子とかいないよね...。背中を嫌な汗が伝うのだが。

少年はぺこり、と腰を折り曲げて礼儀正しくお辞儀をすると口を開いた。


「突然すみません。森宮誠志郎さんはご在宅でしょうか」

「えっ...」


父が亡くなったことは、私達家族とごく一部の編集者さん達しか知らないことだ。

有名作家・森宮誠志郎の死は公表すれば瞬く間にマスコミの餌食になるに違いないし...身内である私も未だよく消化できていないことだから。

でも嘘をつくわけにもいかないし。

私は正直に言った。


「森宮誠志郎は私の父ですが...父は先日亡くなりました」

「え...!?本当ですか」


少年は目を大きく見開く。

私は小さく頷いて頭を下げた。


「生前父とどのような関係だったかは存じ上げていませんが...多分お世話になったんですよね。すみません」

「え、いや俺はその...」


少年はあわあわと手を振りながら、焦った調子で言ったのだ。


「森宮先生に、依頼を受けただけっていうか...」

「...依頼?」


それが私と彼...澤野誉の出会いだった...。



今気づいたことなのだが、この家にはお茶っ葉もなければ急須も無い。

突如現れた少年...澤野誉と名乗った...に事情を聞くためにとりあえず家に上がってもらったはいいものの、...お茶すら出せないとは。全く...父らしいというか。

仕方なく近くのコンビニで買ってきた緑茶を電子レンジに入れて温め、マグカップに入れて出すことにした。


「こんなものしか出せなくてごめんなさい」

「いや、あの...俺、急に来たし。それと年...近そうだから敬語じゃなくていい」


ふむ。それもそうか...何となく父のお客さんだと思うと堅くなってしまう。癖だろうか?

改めて、口調を崩して私は言う。


「で、澤野くん?あなたはえっと...父の」

「あぁ...俺、探偵なんだ」


......は?

私、疲れてるんだろうか。自分でも気づかないうちに精神的に参ってしまってるんじゃなかろうか。

探偵...たんてい...て。


「ごめん、もっかいいい?」

「だから俺は探偵やってて」


...ほぉ。どうやら聞き間違いではないみたい。

父の小説のファンか何かだろうか?父は色々なジャンルの小説を書いてたけど...あんまりミステリーは無かった気がするんだけどな。

胡散臭い、と思っている空気感が伝わったのか、澤野くんはムッとした表情になる。


「信じてないだろ?」

「...そ、そんなことないけど」

「......まぁいい。これ見れば分かるだろ」


澤野くんは傍に置いていた鞄をゴソゴソと探り、数枚の新聞を取り出した。

付箋の付いている部分をトントンと指さされ、覗き込むと。


「『高校生探偵』...?あれ、ここ写ってんの澤野くん?」「そ。依頼数は少ないけど、ちゃんと仕事としてやってんだ」

「へぇ...」


『切れ味抜群!現役高校生の推理』

『今話題の高校生探偵・澤野誉』


何故だろう。この記事...何処かで見覚えがある気がする。

私は懸命に記憶を辿る。...あ。

脳裏に浮かんだのは、父の姿。...そうだ。


「父さんが...じゃなくて、父が澤野くんの記事、切り抜いてた!面白い学生がいるもんだ、って...」

「本当か!...だから森宮先生は俺に依頼をくれたのか...」

「さっきから気になってるんだけど...その『依頼』って?」


自分の分の緑茶をカップに注ぎ込みながら尋ねると、澤野くんがまた鞄を探って黒い革でできた手帳を取り出した。

そのページを捲り、読み上げる。


「『消えた原稿を探し出してほしい』」


それ...ただの父の不注意じゃなかろうか。

書斎があれだけ散らかっていたんだ。そりゃあ原稿の1枚や2枚、どこかに紛れ込んでいてもおかしくないだろう。

いくら相手が高校生とは言え、頼む依頼のスケールが小さすぎる。


「でも...まさか森宮先生が亡くなってたなんて」

「急死だったから...まだ公表してないしね。色々面倒だから」

「残念だ...先生の作品がもう読めないなんて」


澤野くんは小さく肩を落とし、小さく息を吐き出した。

そうだ...父の作品は、もう新たに生まれることは無い。

彼が原稿用紙に瑞々しい命を吹き込むことは、もう二度と無いのだ。分かっていたはずなのに...何故か胸が痛い。

何も言えずに唇を噛んで俯いていると、突然低いバイブ音が鼓膜を揺らした。


「悪い、ちょっと電話...もしもし、澤野探偵事務所です。...あ、はい。今は京都に来てますが...えっ?」


事件の依頼だろうか?本当に...私と同じ高校生とは思えないな。

私はごく平凡に暮らしてきた。父が作家だということを除けば、特出したところなんて何も無い。父のように文才がある訳でもないし。

まぁ...この様子だと澤野くんはすぐ帰るんだろう。書斎の整理の続きをしなくては。

そんなことを思っていた、まさにその時だった。


「...え...誘拐事件ですか!?」


電話中の澤野くんの口からこぼれ落ちた、物騒な単語。

誘拐...!?

澤野くんは表情を引き締めると、「はい。今からすぐ向かいます」と頷いて電話を切った。


「誘拐事件...って」

「あぁ...依頼だ。依頼人の娘さんが誘拐されたらしい」

「それって...命に関わることだよね!?」

「一刻も早く向かわねぇと...で、そこでちょっと頼みがあるんだけど」


澤野くんはパンッ、と両手を合わせて言った。


「...道案内...頼めないか?」



市営地下鉄に揺られ、数分。

私は車内のシートに体を沈め、呆れ返って嘆息した。


「......依頼人のところまで道案内してくれって...そんな方向感覚で探偵なんてやっていけるもんなの?」

「いや...ほんと悪い。俺、京都に住んでないから細かいことよくわかんなくて...」

「まぁいいけど...それにしても四条駅がわからないとはねぇ」

「...ごもっともです」


澤野くんが面目なさげに首を竦める。

車内アナウンスに導かれ、私達は四条駅で降車した。

階段を上って改札を通り抜け、出口を出る。

大通りの喧騒がゆるりと体を包み込む。


「えっと...どの辺だっけ」

「この角を曲がったらすぐ、大きなホテルがあるらしいんだけどな...その手前の小さい角を曲がったところにある、和菓子屋らしい」


方向音痴にありがちな、実にわかりにくい説明である。でもまぁ...ここまで近くに来て迷うことは流石になかった。

角を曲がると言われた通りの大きなホテルが視界に入り、その手前に細い小道も見える。

小道を少し進むと、『有栖川堂』という純和風な雰囲気の看板が掲げられた小ぶりの民家に辿り着くことができた。


「...ここ、だよね」

「おー!ここだここ、『有栖川堂』!ありがとな、本当に助かった!」


うむ。まぁお役に立てたなら何よりだ。

さて私は帰るとするか...。

そう思って小さく会釈をしてから踵を返すと。


「ま、待ってくれ」

「...今度は何でしょうか...」

「帰りも案内してほしいから...残ってくれねぇか」


...呆れすぎてもう声も出ない。

まぁ...乗りかかった船だ。出かけたついでに、あの父が興味を持った高校生名探偵の推理を拝聴して行くのも悪くないだろう。

あのまま家にいてもさほど作業は進まなかっただろうし。


「すみません!依頼を受けた探偵の澤野誉と言います」


澤野くんが礼儀正しくそう言いながら、勝手口と思しき引き戸をドンドンと叩く。

引き戸がするりと滑るように開き、所在無さげな表情を浮かべた男性が姿を現した。


「あぁ...よう来てくれはりました。すいません、どうぞ上がってください...そちらの方は?」


彼は怪訝そうに私を見ながら尋ねる。そりゃそうだろう。娘の命がかかっている依頼に、女連れで来たようにも見えなくもないし。


「私は道案内をしたというか、何というか」

「そうなんですか...」

「失礼ですが彼女も同伴してはいけませんか?助手のような存在でして」


澤野くんは真面目な顔で大嘘をつく。断言しよう。私は君の助手なるものに指名された覚えはないぞ。

でもここで何か言うと事態がややこしくなりそうだ...私にだってそのぐらいの空気は読める。

適当に言葉を濁し、図々しいが私も有栖川邸に上がらせていただくことにした。


「それで...娘さんの誘拐、ですよね」

「はい...」


彼...有栖川堂の3代目店主・有栖川謙太さんというのだそうだ...は憔悴しきった様子で頷く。


「娘の華は3歳です。最近...和菓子屋の仕事がかなり忙しかったんで、あんまり構ってやれてなくて...妻も共に和菓子作りを行っていますし。そやし、うちの母に預かってもらうことが多かったんです」

「なるほど」


澤野くんは神妙な顔つきで頷き、続きを促した。

謙太さんは小さな声で続ける。


「母の話によると、華は...娘は公園に遊びに行く、て言うて外に飛び出して行ったらしいんです。でも...母が公園についたときには娘は姿を消してて...砂場には娘のポーチが落ちてました」


公園に遊びに行くと言った幼女が姿を消して...その持ち物が落ちている。

ここまで聞いただけでも確かに、誘拐の匂いがプンプンする。素人の私でもきな臭い、とハッキリ感じる。


「その時のポーチって...」

「あ、はい。これなんですけど」


謙太さんがピンク色の小ぶりのポーチを取り出す。

軽く頭を下げて澤野くんはそれを受け取り、慎重にホックを外して開いた。

中に入っていたのは何かのアニメのグッズと思しき短い杖と、1冊の絵本。

絵本の表紙には...誰もが1度は聞いたことがあるであろう題名が刻まれていた。


「『不思議の国のアリス』...?」

「あぁ、それは...まだ華は読めないんですけどね。母が夜に読み聞かせをしてやる事があって...その時のお気に入りやったみたいです」

「そうですか...」


事件への関連性は薄そうだ。と、私は思ったのだが。

澤野くんは眉をきゅっと寄せ、難しい顔で考え込む。


「他にも少し聞きたいのですが...ここまででは誘拐と断定は出来ませんよね?何故貴方は僕に『娘が誘拐された』とはっきり言ったんですか?」

「それが...華が姿を消した直後にポストにこれが届いて」


差し出されたのは白いカード。

『娘は預かった。彼女の命が惜しければレシピを渡せ』

パソコンで打ち出された無機質な明朝体。筆跡を悟られないように、だろう...。

まぁこれは紛れもなく誘拐だろう。勘違いで済ませられない。


「警察に連絡は?」

「......勿論すぐしました。今捜索に向かっている筈です」

「...有栖川さんには犯人の見当がついているんですよね?」

「「えっ?」」


私と謙太さんは同時に驚愕の言葉を漏らした。

この会話の中でそんなヒントあったっけ。首を捻る私に、何でもなさげに澤野くんは言った。


「恐らくライバルの和菓子店とかですかね?...でもこのカード、薄らバニラエッセンスの香りが染み付いているから...洋菓子店でしょうか。新商品が類似していて、そのレシピを渡せと言われているとか」


......あぁ、そういうことか。

父は澤野くんの...恐るべき観察眼に興味を持ったのか。

あの人のことだから、それも作品作りの糧になるとでも考えたんじゃなかろうか。...何を置いても執筆が大事な人だったんだから。

謙太さんは「...流石ですね」と嘆息して言った。


「ほとんどその通りです。父から受け継いだこの『有栖川堂』...昔ながらの和菓子だけでは売上がどうしても伸び悩んでましてねぇ。新商品を考案したんですけど...それはうちの店で既に出してる、と」

「何処の店ですか」

「...ケーキハウスブロッサムスイート......ご存じですか?全国展開もしている大きな組織です。ウチなんかと違って」


謙太さんは皮肉るようにそう呟き、自嘲気味に笑って見せた。

確かに...東京でもその名前は聞いたことがある。最近では外国人観光客にも人気なんだとか。

本社は京都だったのか。


「でも...いくら何でもそれだけで娘を誘拐したりする?」


私が素朴な疑問を呟くと、澤野くんは大きく頷いた。


「そう。いくら経営に大きく関わるレシピの為とはいえ、犯罪にまで手を染めるとはすぐに考えつかないだろうな...ということは、謙太さんはそんなふうに考えつく心当たりがあったということですよね?もしかして」


澤野くんの瞳の奥に鋭い光が灯った。

謙太さんはビクリ、と肩を揺らして縮こまる。...おい。推理がキレるのはわかるが依頼人を必要以上に怖がらせてどうするんだ。


「ブロッサムスイートの社長さんと、お知り合いか何かですか?社長のことを昔から知っているから、そんな発想を思いついたんじゃないですか?」

「知り合い...というか。まぁそうですね...。社長の山村とは学生時代の同級生で親友やったんです」


まぁ今やアイツは雲の上の存在ですけどね、と謙太さんは肩を竦める。

澤野くんは納得したように頷くと、くるりと振り返って私に耳打ちをした。


「ブロッサムスイートに関する記事、調べられるか?」

「へ?え、私が!?何でよ」

「頼む。ちょっとでも時間を短縮したいんだよ!」


そんなこと知らないし関係ない...が幼い女の子の命が危険にさらされているとなると、そうもいかない。

私は溜息をつきながらスマホを取り出し、検索エンジンを立ち上げた。

澤野くんはそんな私を尻目に、口を開く。


「さて。謙太さん...犯人の立てこもり場所の目星はついていますか?」

「いいえ、それがてんでわからんので...華はどこにいるんでしょうか」


ケーキハウスブロッサムスイート......全国展開の話とか、新商品がどうのこうのとか、そんな他愛ないことしか見当たらないが。

まぁ...そりゃそうか。大企業のブラックなところなんて、こんな風に検索かけてサラッと出てくるようなものでもないしな。

特になかった、と伝えようとしたその時。


「......ん?」


スクロールを続けたその先に、10数年前の新聞記事を発見した。

その見出しは...。


「澤野くん!...これ」

「......やっぱりな。そんなとこだと思った...謙太さんもこの事件のことを知ってるから誘拐の可能性を思いついたんだろうな」


澤野くんは眉間に皺を寄せながら小さく嘆息する。

見出しに書かれていたのは『5歳男児行方不明』の文字。

『ケーキハウスブロッサムスイート』の経営者の一人息子...。

誘拐された、ということだろうか。


「この事件について...謙太さんはどこまで知っていますか」

「えっと...事件が起こったんは確か12年前やったと思います。まだ有栖川堂は継ぐ前で、ブロッサムスイートもここまで大きくなってなかった...ちょうど軌道に乗り始めた、そんなときでした」


謙太さんは膝のあたりで拳をギュッと握り締めて続けた。


「山村の息子が誘拐されて、10億の身代金を要求されて」

「じゅうおく...!?」


私は思わず驚愕の声を漏らしてしまい、慌てて口を押さえた。

澤野くんは淡々と頷いているけど、私の反応...常人の感覚だと思うんだ。そこらへんの庶民は皆こんなものであろう。


「山村は...犯人と交渉したんですけど、取り合ってくれなかったらしくて...その後見つかっていないんです。警察も捜査を打ち切ってしまって」

「つまりまだ行方不明のまま...と」

「山村はそれからおかしくなっていって...仕事に全てを注ぎ始めました。要らないものを切り捨てていくそのやり方は合理的と言えばそれまでやけど...非人道的とも言える程でした」

「山村さんのその働きによって、ブロッサムスイートは皮肉にも発展していったんですね」

「......アイツがレシピを売って欲しいと持ちかけてきたときに断ったら...『お前は色んなものを求めようとしてるよな』って吐き捨てられて」


誘拐を試みるには些か弱い動機にも感じるが、狂ってしまった人間に理屈なんか求めても無駄なんだろうな。

得体の知れない恐怖を感じて全身に鳥肌が立ち、私はそっと自らの肩を抱きしめた。


「場所...どこだ...」


澤野くんが頭を抱え、真剣に考え込む。

その様子は確かに世間で『探偵』と呼ばれるそれで...吸い込まれそうな感覚に、私はほう...と息を漏らした。


「...これは」


謙太さんがバイブしたスマホの画面を見て、小さく叫ぶ。

新着のメッセージが表示された画面。宛先不明の短いメッセージが小さなパネルの中で不気味に光っている。


『たのしいおちゃかいには さんがつうさぎと やまねと ぼうしやが まねかれている』



眉根を寄せて考え込んでいた彼が突如、ハッとした表情で顔を上げる。


「...不思議の国のアリス」

「......あ、そういえば...」


不思議の国のアリスって...そんな下りがあったような気がする。

澤野くんは物凄い勢いで周辺の地図を検索しだした。


「...えっと...何してるか聞いてもいいかな」

「監禁場所のヒントは...不思議の国のアリスなんだよ!」

「うん、それはなんとなくわかるんだけど...私が聞いてるのは君が今何してるかなんだけど」

「...ここか」


...この人、他人の話全く聞いてないな。

澤野くんはスマホをポケットに突っ込むと、軋む引き戸を開けて勢いよく外に飛び出した......。




白いバラを、赤いバラに塗り替えて。

傲慢な女王さまはご機嫌いかが?

気に入らぬものはたちまち死刑に処してしまうわ。

不思議の国はそういうところよ。


無垢なアリス、貴女は運が悪かったようね?

この夢を抜け出すためには、あなたが勇敢に戦う必要があるようだけど。幼い貴女にはそれはできないわ。

優しい英雄は助けに来てくれるかしら。

貴女が本当に眠ってしまう前に...。

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