第13話 銭湯に棲むものたち
何事もなく一夜が開けた。五味久杜の命はついに今日1日となった。
五味久杜は須又温泉で従兄、五代目、根倉らとイベントの最終チェックをしていた。岩風呂造りの浴槽の周囲に、たくさんの特撮グッズが並べられた。
「貴重品ばかりだから大事に扱ってください」
準備開始から五味久杜の上目線な態度に、業を煮やした根倉静香が皮肉交じりに提案した。
「そんなにご心配なら、今夜はここに泊まったらどうですか?」
「ボクのうちが放火されたんです。生憎、発見が早くて小火になったんですが、家を放っては置けません」
「ならこの大切な大切な特撮グッズをまたもって帰りますか?」
「それだと明日の本番に間に合いません」
「じゃ、予定どおりにするしか仕方がないじゃありませんか? それともイベントを急遽中止しますか?」
「そんなこと出来るわけないじゃありませんか!」
「怒鳴らないでください! いいですか? 私はあなただけの部下ではありません! 県民の皆様の血税で雇われている公僕なんです!」
根倉の爆発に五味久杜が怯んだ。
「私は勤務時間が過ぎましたので帰らせていただきます。あとはご自分の責任に於いてお好きなようになさってください」
「あなたはよくそんなことが言えますね。ボクは御託宣とやらで今日が最後の一日なんです! 今日の0時で死ぬかもしれないんですよ!」
「それがどうかしましたか?」
「・・・・・!」
「この土地代々のご先祖様がやって来られたこの土地の掟なんです。そのお蔭さまで私たちはこうして守られて来たんです。あなただけが特別ではありません。来年は私かも知れません。生贄でなくても今日中に命を落とす人は全国には大勢いるでしょう。あなたは今、死ぬかもしれないと言いましたが、確実に死ぬんです。そしてあなたは、御託宣で命を捧げられる分、幸せなんです。女々しく取り乱さず、粛々となさってください」
根倉は去った。結局、五味久杜は銭湯に泊まることにした。一旦家に帰り、寝袋や湯沸しボットを用意していると、妻が買い物から帰って来た。
「あら、家出でもするの?」
「明日のイベント会場に泊まるんだよ」
「誰と?」
「ボク、ひとりでだよ!」
「あら、そう」
「おまえも行くか?」
「はあ? なんで私が行くの?」
「…なんでってわけじゃないけど」
「なら聞かないでよ」
「あのね!」
「大きな声を出さないでよ」
「ボクにとって今日という日が、どんな日なのか分かっているでしょ!?」
「ええ、御託宣の日ですけど」
「御託宣の日ですけどってね! 夫が死ぬかもしれない日だというのに平気なのか、君は!」
「違うわ…かもしれないじゃなく、確実に死ぬのよ。それが御託宣という事なの!」
「・・・・・」
「じたばたするんじゃないのね。子供に父親の潔さをきちんと見せて死んでください」
五味久杜は返す言葉を失って、後味の悪いまま玄関を出た。家の裏に回って真っ黒になった無意味な焦げ跡に舌打ちして須又温泉に戻った。
人のいない銭湯の脱衣室はガランとして無駄に広く感じる。五味久杜は番台に座ってみた。ふと女風呂に目をやって萩野宮ナナ子を思い出し、妄想した。浴衣を脱ぐ萩野宮ナナ子の背が五味久杜の視線に気付き、振り向くや軽蔑の眼差しで冷笑して消えた。
番台の五味久杜は、今回のイベントに誘って断られた特撮女優たちを妄想しようとしたが、誰一人現れてくれなかった。
「チッ、段腹デカ尻ババアどもの裸を想像しても仕方ないか。何様のつもりなんだ、ボクの招待を一旦受けておきながら、突然断って来やがって! こっちは親切で誘ってやったんだ…今までホイホイ参加してたじゃないか。ボクが仕込んだ特撮ファンのおべっかに簡単に浮かれてスター気取りしやがって。もうどう足掻いたって売れないオバハン女優のくせに勘違いもいいところだ!」
突然、男風呂のほうで“あなたはお気の毒な人です”という声がタイルの壁に響いた。ハッとして声の主を探したが、薄暗くて良く見えない。急いで番台を下りて男風呂の明かりを点けたが誰も居ない。窓にも裏のボイラ室に繋がる木戸にも鍵が掛かったままだ。薄寒さに鳥肌が立ったので、今夜は脱衣室のあかりを点けたまま休むことにした。
公衆浴場の人気のない脱衣室がこれほど冷えるとは思わなかった。自宅から持ってきた一畳の電気カーペットのお蔭でやっと睡魔をもよおして来たので、五味久杜は寝袋を出して中に滑り込んだ。
体の温もりが寝袋にやっと充満する頃、眠りの浅い五味久杜の耳に、浴場から一瞬だけ水の音が聞こえた…ような気がした。
ふと寝袋から顔を出し、ガラス戸越しの浴場に目をやった。すると中央の湯船に裸のジイちゃん、バアちゃんたちが大勢で立ち、こっちに向かって手招きしていた。“ゾッ!” とした五味久杜は思わず寝袋に潜った。
空気が静まり返った。暫くして、浴場との境のガラス戸が “ガラッ” と少しだけ開く音がした。五味久杜は脱衣室に一歩踏み入る老人の黒ずんだ爪先を妄想した。
五味久杜の恐怖の黒目だけが、背中のガラス戸の気配にゆっくり動いた。カチッ、カチッと耳障りな音がする。脱衣室の柱時計が死の秒読みのように心臓にプレッシャーを掛けて来る。
「そうだ、今日が最後の日だった」
そう思った途端、ガラス戸がさっきより多めに “ガラッガラッ” と開く音がした。ガラス戸の向こうには確実に誰かが居る・・・しかし、五味久杜には寝袋から出て見る勇気はなかった。
カチッ、カチッと耳障りな音も続いている。柱時計は番台の真上にあった。五味久杜は寝袋の中でその秒針を凝視しながら、背中のガラス戸の開く音に聞き耳を立てていた。ついに針が0時に・・・
“ガラガラガラガラガラ―ッ” と勢いガラス戸が開くのと針が0時を回るのが同時だったが・・・
自分は生きている。勢い寝袋から出てガラス戸に叫んだ。
「誰だ――――ッ!!」
ガラス戸は閉まったままで、誰も居なかった。
「生きている…ボクは生きている!」
五味久杜は勝ち誇った。寝袋から出て踊り狂った。
〈第14話「死人は黙ってろ」につづく〉
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