54話 未来の可能性

「だからぁ! アビスモに頼まれて我は来たのだ!」


 アネモネが張ったであろう蜘蛛の糸で、セパルは壁に貼り付けられていた。

 人の指ほどの太さがある蜘蛛の糸は、非常に強力なようで悪魔といえど簡単に引きちぎれないようだった。壁に張り付けにされているセパルの顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。


「ルリジオ! さっさと我を助けてくれ」


 セパルが大きな声を出した直後に、鋭い風切り音がした。

 よく見ると、彼女の頬の横にモハーナの尾先が突き刺さっていた。

 壁から尾を抜いて、ゆらゆらと妖艶に揺らした彼女は、瞳孔を針のように細めながらセパルの蒼白になった顔を覗き込む。


「あら、生意気な娘ね」


 そんなモハーナの肩に、アソオスがしなだれかかるように寄りかかった。


「私よりも下位の悪魔ですし、キツい躾が必要かしらぁ?」


「喰ってもいいのなら遠慮無く私の糸で絞め殺すが」


「ひ……」


 三人に囲まれてすごまれたセパルは、息を吸い込むような小さな悲鳴を出す。

 セパルは、大悪魔の両親を持ち、異界では少ないながらも軍隊を率いていた。

 自分と同格の悪魔は、親のせいもあって自分を襲うようなこともなかった。そのため、自分よりも圧倒的に強くて自分へ害をなそうとする存在には慣れていない。


 助けを求めるのも忘れて、泣き出しそうになっているセパルの前に、妻たちの間を縫って入ってきたルリジオがやってきた。

 彼は、自分に背を向けて妻たちへ向き合う。肌を刺すような殺意が和らいで、セパルはようやく止めていた息を吸い込んだ。


「妻たち、この子は一応客人だ。優しくしてあげてくれるかな?」


「ルリジオ様がいうのなら、仕方ないですね」


「我が夫に免じて喰うことは許してやろう」


「でも、私たちのルリジオに迷惑をかけたら、彼が許しても私が許さないわよ?」


 下半身が蜘蛛部分のアネモネは、蜘蛛の前脚を持ち上げてセパルに向かって振り上げた。

 思わず目をギュッと閉じたセパルだったが、音も無く蜘蛛の糸が解けて消えたせいで地面に落ちて尻を強く打ち付ける。


「じゃあ、私たちは戻るわね」


 三人の妻たちがゆっくりと館の中へ入り、各々の部屋へ帰っていく。集まっていた他の妻たちや妖精たちも興味をなくしたかのように庭の前から去って行った。


「それで……出発は数日先だけど、何か急用でも?」


「アビスモに行けと言われたから来たのだ」


「特に用事はないということかな?」


「なんのことなのだ?」


 ルリジオの表情から珍しく微笑みが消えて、驚きの表情が浮かぶ。

 腕組みをしたルリジオを不思議そうに見ているセパルを見て、溜息を吐いた彼は呆れたような笑みを浮かべて尻餅をついたままの彼女へ手を差し伸べた。


独眼巨人サイクロプスの里へ行くまでまだ数日ある。折角早く来たんだし、旅の準備でも手伝ってもらおうかな」


「我の力をどうしても借りたいとのことなので来てやったのだぞ! もっと感謝するのだ!」


 立ち上がって胸を張ったセパルは、腰に両手を当てて高笑いをする。

 笑い終えたあと、目を開けると既にルリジオは館の中へ戻るところだった。


「こ、こんな危険地帯で一人にされるのは嫌なのだ!」


 自分を無視して、どこかへ行こうと踵を返したルリジオの背中をセパルは慌てて追いかける。


「我の胸だって小さくはないのだぞ! 聞いているのかルリジオ」


「ああ、聞いているよ」


 何か考え事をするかのように、右手を顎に当てながら廊下を足早に歩いていくルリジオの背中へセパルは呼び掛けた。


「我だって! もっと魔力が増えれば母様くらい胸も大きくなるのだぞ!」


 振り返りもしない彼へ苛立ったかのように、セパルは声を荒らげるようにして主張する。


「魔力が増えれば……悪魔の体は成長するというのかい?」


 急に立ち止まって自分の方を向いたルリジオの胸に、顔をぶつけたセパルは、数歩後退りしながら自分の鼻をさすった。


「そ、そうだが……急に止まるな! 危ないだろう」


「そうならそうと早く言ってくれればよかったのに。そうだね……魔力を増やす方法を早急に見つけよう。出来るなら独眼巨人サイクロプスの里に行く前がいい。ああ、何か食べたい物はあるかい? 好きなものを作ってもってこさせよう」


 自分の肩を抱き、急に柔らかな声色になったルリジオにセパルは体と表情を強ばらせた。

 そんな様子に全く気が付かないルリジオは、彼女を食堂へと連れて行く。

 十分に磨かれて光を反射している黒樫のテーブルに座らされ、落ち着かないまま待っていると目の前には巨大な焼かれた肉塊が現れた。

 サッと大きなナイフがルリジオの手で振り下ろされると様々な薬草と和えられた魔獣の内臓が皿の上に零れ落ちてくる。

 色とりどりの花が浮かんだ茶、小さく砕かれて氷菓子のように見える魔石の盛り合わせがテーブルへ並んでいく。


「では、食事を楽しんでくれ。僕は少し調べ物をしてくるよ。何かあればそこの妖精に頼むと良い」


 いきなり優しくなったルリジオに若干の恐怖心を覚えながらも、セパルは目の前のご馳走にナイフを伸ばした。

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