46話 継承された印

「さて、じゃあセパルってのが何者なのか教えて貰おうか」


 黒い砂になって朽ちていく同胞の死体を慣れた様子で足蹴にするアビスモに、生き残った夢魔インキュバスはヒッと小さく悲鳴を漏らす。

 首を横に振った夢魔インキュバスの顔の真横にある地面に、カンっという鋭い音と共にワンドの先端が叩き付けられる。


「その……おれたちも聖女をさらってこいと頼まれただけで」


 腕組みをしながら、アビスモと夢魔インキュバスたちのやりとりを見ていたタンペットが溜息を吐いた。

 自分をみて身体を強ばらせた夢魔インキュバスたちを、彼女は見下ろしながら微笑む。


「魔力の気配を探ることも出来ないような下級悪魔で、聖女を手込めにしようとするなんてどんな間抜けなのかしら」


「お、おれたちはただ、その醜女ブスを攫えば力をやるとしか……」


「なんだ。お前らも無契約はぐれの悪魔なのか」


 アビスモがしゃがみ込んで、今にも泣き出してしまいそうな夢魔インキュバスたちの顔を交互に見る。

 頬杖を付きながら、呆れたように自分を見ているアビスモが同情をしてくれていると思ったのか、二人はもぞもぞと身体を動かして、彼の近くへと這っていく。


「穴が開いてたんで入ってみたんすよ……そしたら、俺たちが穴に入るのを見てついてきたセパル様に聖女をさらえと言われて……本当なんだよ」

「この世界で人間以外の種族がいるのも、聖女がなんなのかも知らねえんだよ!な?見逃してくれ!ちゃんとこの世界からは出て行くからさあ」


 いきなり饒舌に話し始めた夢魔インキュバスたちを見て、アビスモはニヤリと笑うと立ち上がって聖女の方を見た。


「なあ、聖女様、俺たちの用は済んだんだがこいつらをどうしたい?」


「え」


 驚いたように聖女は口ごもると、地面に転がって夢魔インキュバスたちを見た。


「美の女神を傷つけようとした奴等だ。もちろん二度とこっちの世界に来たくなくなるくらい痛い目に遭わせて……」


「待って」


 聖女の隣にいたルリジオが饒舌に語り始めるのを、彼女は止めた。


「あなたたちは耳を塞いでいてちょうだい」


 三人は、聖女に言われるがまま大人しく両手で自分の耳を塞ぐ。

 顔の側面近くに付いた小さな目を閉じて、息を深く吸った彼女は、そのまま静かに歌い始めた。

 分厚い唇から漏れる音色は美しく、洞窟内に反響して不思議な音色を奏でる。

 歌を聴いた夢魔インキュバスたちは一瞬苦痛に顔を歪めたが、すぐにどこか恍惚とした表情に変わった。


「へ、へへへ……なんだこの音」


「セパル様の声に似てるなあ……ひひ……」


 むにゃむにゃとそんなことを言ったあと、悪魔たちはそのまま地面に顔を伏せて動かなくなった。


「……終わったわ。悪魔たちはしばらく起きないはず。私についてきて」


 聖女にそう言われ、耳から手を離した三人は言われるがまま彼女の後へ続く。

 天井から水の滴る静かな洞窟を奥へ奥へと進んでいくと、美しい砂浜へ出た。

 高い岩に囲まれた砂浜は、普段は誰も寄りつかないようだ。人の気配を感じた獣や夜行性の鳥たちが逃げていく。


「セパルという名に、心当たりがあるの」


 ずっと押し黙っていた聖女は、豊満な胸に手を当てながら振り向いた。

 月明かりが彼女を照らしていて、深海魚めいた独特な姿にも拘わらず、神秘的な雰囲気を放っている。


「私は、成人してから印が出た聖女なのは……王都から来ているのなら知っているのよね」


 聖女は、肩を覆っている薄手の布をずらして右肩にある聖女の印を見せた。

 肩に刻まれた深い青の印……細い三日月のような模様はまさしく聖女の証だ。

 三人が頷いたのを見て、聖女は自分の肩を隠す。


「本来は幼子に浮かぶはずの印が、成人である私に浮かんだのは死んだ聖女が私を選んだ。そういうことになっているはず。でもちがうわ」


 神妙な顔をして話し始めた聖女の話を三人は黙って聞いている。

 波の音と風の音だけが響く中、聖女は話を続けた。


「私は、今はこうして身も心も美しい聖女なのだけれど、聖女になる前は色々と苦労をしていたの。美しい私に身体を売れと父に迫られ、そんなことをするくらいなら……と海に身投げをしようとしていたら、醜い悪魔が私の前に現れたのよ」


「身も心も美しい?」


 首を傾げたアビスモの横腹をタンペットが思い切り肘でつついた。

 くぐもったうめき声を気にとめること無く、聖女は月を見上げて、夜風に髪を靡かせる。


「半身が魚の、海色の長い髪に海藻を絡ませた悪魔は、私に取引を持ちかけてきたわ」


 数歩前へ進んで、聖女は砂浜から少し離れた岩場に乗った。

 一歩高い場所へ登った彼女は、まるで演劇でもしているかのように話す言葉に熱を込めて、更に話を続ける。


「彼女が持つ、歌の力を貸す代わりに、聖女の耳元である歌を歌えと言われて……。そうすれば、惨めな思いをしなくて済むぞと唆されて……私は歌ってしまったの。この美しい身体を見知らぬ男に蹂躙されず、命を絶たなくてもいいのなら……と」


 聖女は、悲しげな表情をしながら顔を伏せた。 


「先代の聖女は、耳を押さえながらもがき苦しんで死んでしまったわ。そして……死んだ聖女の肩から浮かび上がった印が、私の右肩に宿ったの」


「聖女の印が人に移る話は聞いたことがあるけれど、自分を殺した相手に移るなんてことが……ふむ。珍しい事象ね。話を続けてちょうだい」


 頷いて関心を示すタンペットに、聖女は頷き、伏せた顔を再びあげた。


「流石の私も驚いて逃げたのよ。でも、この印はいくら擦っても消えなくて……このまま家にいても身売りをしなきゃいけない。だから、神殿に私がやったと名乗り出ることにしたの。でも、私が新たな聖女として認められたわ。そりゃ前の聖女は見た目もパッとしなかったし、見目麗しく、聖女である印もあって、特別な力まで持つ私をそう思うのは仕方ないし……」


「聖女が死んだと聞いていたが、まさか実行犯が聖女をしているとはな……」


「きっとセパルって悪魔は、私が何もかも手に入れたから嫉妬しているのよ」


「は?」


 大きな声を上げたアビスモの横腹が再びタンペットの肘で突かれたと同時に、月を浮かべて漂っていた水面が急に大きく盛り上がり始めた。

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