久内さんの激情
同じ双輪市内だけれども、娘さんがいる介護施設は中心部から車で30分かかった。僕も初めて来る地区だ。
娘さんの名前は、
名前だけの自己紹介の後、僕は切り出した。
「メール、読んでいただけましたか?」
介護用ベッドに背をもたれ、姿勢を固定された彼女は、ほんの数cmしか動かすことのできない頭の動作だけで頷きを示してくれた。
車中から彼女のタブレット端末に事情の概略をメールしておいたのだ。彼女の負担を最小限にするため、頷きだけで答えられるよう質問を始める。
「あなたが "motto" さん?」
こくっ。
「あなたのお母さんが、”もと” おばあ様の歌を本にしたのは知ってる?」
こくっ。
「あなたはその本を持ってる?」
こくっ。
「あなたはその本をモチーフに、”小説家になりたい” に投稿しましたか?」
少し間があった。けれども彼女は結局、こくん、と頷いてくれた。
そして、Yes、No で答えることのできない質問を僕は始めた。今度は僕の質問が、ごく短くなる。
「なぜ?」
質問に直接答える前に彼女は視線で僕らに合図した。久内さんがその意味に気付き、テーブルの上にある彼女専用のタッチペンを取り、
「すみません」
と声を掛けてから、ヘッドバンドとセットになったそれを頭に取り付けてあげた。ちょうどおでこにペンが突き刺さったような形になる。
紫華さんの入力スキルは驚くべきものだった。ほんの少ししか動かせない頭の動きを極めて効率よくタッチペンに伝え、ミスタッチなく入力した。けれどもぼくらがキーボードを打つスピードとは比べようもない。だから、彼女の言葉は簡潔かつ最小限だった。
”翻訳したかった 若者に向けて もと の歌を”
紫華さんは必然の言葉しか書かない。だからひいおばあさまの ”朝顔の露” を現代の感性に訳したmotto作 ”花に譬えて朝顔の” も歌なのだ。彼女の母である山手さんも、同じ思いで本にしたかったのだろう。娘が母の意思を引き継いでいる。そしてもちろん、”もと”の意思も。
カヤノンも質問する。
「若者に何を伝えたいの?」
紫華さんは頭を動かし続ける。
”生まれたら死ぬってことを忘れないで 懸命に生きて”
久内さんはほわっとした外見と違い、根は熱くたぎる真性文学少女だ。抑えきれない激情を3人の前にぶちまけた。
「わたしも書きます! 本当の事を。人間の本当の姿を! 哀しみを、熱い恋を、冒険を! 真摯に生きる人たちのことを! だって、わたしだって書かずにはいられない!」
紫華さんはタッチペンで僕とカヤノンの気持ちも代弁してくれた。
”ありがとう”
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