咲蓮社にて

 双輪市内に入ったのは午後3時を過ぎていた。体中の筋肉がこわばっている。免許を持っていない僕が偉そうなことは言えないけど、それでも久内さんの運転はスリリングだった。決してスピードを出す訳ではない。ただ、加速のタイミング、ブレーキのタイミング、左折・右折のタイミングが、全く予想がつかいなのだ。


”え、まだ踏まないの?”


 前方車のテールランプぎりぎりでのブレーキに思わず床を踏ん張る。さすがのカヤノンもかなりビビっていたようだ。助手席の僕よりはマシだったと思うが。


「矢部ちゃん、そこ右折でいいの?」

「うん。もう右車線に入っといてね」


 一応ナビは使っているけれども、道順だけでなく、運転面のアドバイスも僕はしてあげる。


「あ、これだよね」


 市役所の対面にある目的の商業ビルをカヤノンが見つけた。ようやく車が停まるという安堵感が声に滲み出ている。少し歩いてもいいから、と車の少ない駐車場はずれに停めるよう久内さんに懇願した。


 僕らはビルに入り、エレベーターで5階に昇る。15:55。㈱咲蓮社 とプレートの貼られたドアをノックし、


「失礼します」


と、3人でぞろぞろと入った。


「はい」


 一番入り口に近いデスクから若い男性が立ち上がり応対してくれる。


「4:00に草下くさしたさんと約束している矢部と申します。草下さんは・・・」

「では、こちらにどうぞ」

 

 彼はパーテーションで仕切られた来客ブースに案内してくれた。4人掛けの簡易なテーブルに座って待つよう言われる。一応、僕らは立って待った。執務室の方で、


「社長、お約束の」矢部様がお待ちです」


と、声がする。


「草下さんて、社長なんだね」


 カヤノンが小声で囁き、僕は無言でうん、とうなづく。


「お待たせしました。草下と申します」


 そう言って草下さんは丁寧にお辞儀をし、僕ら一人一人に名刺をくれた。車で来ました、と伝えると県境の峠道は運転が大変だったでしょうと久内さんを労ってくれた。大人だ。


「皆さんは1年生ですか? ゼミの課題、という訳ではないんですか?」

「はい。純粋に、”朝顔の露” が素晴らしくて興味を持ちましたので」


 僕がそう答えると久内さんが付け足す。


「あと、小説の取材も兼ねてです」

「小説?」

「はい。わたしと矢部くんは小説サイトに投稿してるんです。その題材にできないかな、という思いもあるものですから」

「そうですか」


 久内さんに習い、僕もざっくばらんに草下さんに話す。


「それで偶然、”花にたとえて朝顔の” っていう短編をサイトで見つけたんです」


 どうぞ、と言ってプリントアウトしておいたA4の紙を渡す。草下さんは10秒ほどで目を通した。


「確かに」


 僕に紙を戻して更に続ける。


「ストックがあったので私も ”朝顔の露” を読み直しておきました。とても似てますね」

「盗作でしょうか?」


 カヤノンが言うと草下さんはにっこり笑う。


「さあ、それは何とも。”諸行無常” は普遍的なテーマですし、朝顔の露に人の命をたとえるのもごく自然な流れですし。それよりも、”もと” と "motto" は偶然じゃない感じですね」

「作者の ”もと” さんはどんな方なんですか?」


 僕が訊くと草下さんは考える間を取るためか、一旦コーヒーカップを持った。


「実は私も直接お会いしたことは無いんですよ。”朝顔の露” の寄稿者は作者本人ではないものですから」

「え、そうなんですか?」

「そもそも生原稿は筆で書かれてるんですよね」

「筆で?」

「ええ。ちょうど額にするぐらいの和紙に筆と墨で。”朝顔の露” の途中に、”愚かな私が筆を染め” って表現が出て来るでしょう」


 確かにその1文があった。3人ともこくっ、と頷く。


「文字通りなんですよ」


 草下さんがコーヒーを啜ったので、何となく僕らもカップに口をつける。


「じゃあ、寄稿したのは誰なんですか?」


 久内さんがテーブルにカップを戻しながら訊く。この問いにも草下さんは少し間を置いた。


「身内の方、としか言えないですね。個人情報なものですから。当然私は連絡先を知ってますけど」


 個人情報という語句で僕らは諦めかけた。けれども草下さんはどこまでも誠実だった。


「連絡先をお伝えしていいか、訊いてみましょうか?」


 是非、とお願いすると草下さんはその場でスマホから電話をかけてくれた。


「あ、山手さん? 草下です。・・・ごぶさたしてます。実は今、金星かなほし大学の学生さんたちがいらしてましてね・・・」


 ”山手さん” に概略を伝えながら、連絡可否の確認をしてくれている。その中でアポが取れそうな雰囲気の会話になっていった。一旦スマホから口を離し、草下さんが僕たちに向き直る。


「皆さんは明日の予定は? 山手さん、ていう方なんですけど、明日の午後なら時間が取れるそうなんですよ」

「大丈夫です」


 久内さんが即答する。草下さんは一応僕とカヤノンにもどうですか、とジェスチャーする。なんとなく残り2人も頷いてしまった。


「じゃあ、山手さん・・・ええ、すみませんがよろしくお願いします」



 通話を終え、草下さんが詳細を説明してくれた。


「山手さんと言って、”もと” さんのひ孫さんです。私がここに入社したての頃、山手さんが原稿を持ち込んでくださいましてね。”もと” さんが亡くなったタイミングでしたね。処分されそうになってた遺品の中から毛筆の和紙を見つけたんだとおっしゃって。私自身も皆さんと同じく感性がみずみずしかったんでしょうね。若さと早く自分も本を1冊手掛けたいという思いで当時の社長を説得して出版したんですよ」

「売れたんですか?」


 カヤノンらしい質問だ。草下さんは苦笑もせずに答える。


「この種類の、しかもローカル出版社の本としては売れました。英語の対訳でしょう? 山手さんのアイディアだったんですよ。英語訳をつけるという発想も当時は斬新でおしゃれと捉えて貰えたようです。県内のお寺さんなんかも、檀家さんに配ると言ってまとめて買ってくださったり」


 なるほど。


「それで、サンポートっていう市の介護情報施設があるんですが、そこで明日13:00に」

「介護情報施設ですか?」

「そこにお勤めなんですよ」

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