第6話 妖精派の魔術師たち

 その日から、テオの手引きでエルニカの本格的な魔術師修行が始まった。

 ヘルメス院では才能の無い分野を学ぶ事は無駄だとされ、まず適性検査が行われた。教授してくれる師とて魔術を究めている訳ではない――というより、魔術の探究自体に終わりがない。だからこそ芽の出ない者に教えを授ける余裕は無いのだという。もし才能がなかった場合、それでも魔術に関わりたいという者は、魔術師同士の伝令役や世話役を仰せつかるらしい。

 エルニカの適性は、当然ながら『物体の移動』、そして『風属性の魔術』だった。風属性の魔術は究めれば天象気象も操ることができると聞き、使い道は多そうだ、とエルニカは思った。

 それから、様々な工房に出入りして、魔術の基礎について簡単な講義を受けた。初心者は一通りの基礎的な教養を教授してもらう代償に、様々な雑用や手伝いをする。才能がなければ一生魔術師の工房で下働きをする羽目になると聞かされ、エルニカは必死に食らいついた。

 工房は、魔術師ごとに一つ割り当てられており、それぞれ雰囲気が異なっていた。貴族の別邸の一室を丸ごと使っている贅沢な工房もあれば、酒場の倉庫のデッドスペースを使った『馬小屋の方がマシ』な工房もある。地上部に部屋を確保できず、地下通路の脇に穴を掘った部屋もあったし、監獄の中にある部屋や、そもそも市壁の外に建っているものもあった。

 エルニカもロンドンにいる間の住み家として、「地下の脇穴」を割り当てられた。ベッドと物入れしか置けない狭い造りの部屋で、鼠と同居する事になりはしたが、誰に気兼ねする事もない気楽さが気に入っていた。

 下働きの中身と言えば、実験器具の準備や片づけ、実験結果の記録、工房の清掃や整理、重量物の移動、使い魔となる動物の世話など、とにかく何でも押し付けられた。

 師事する魔術師の性格や派閥も色々である。流派によっては墓場を暴いて死体を運ぶ手伝いや、エルニカ自身の頭髪や血液を提供させられるなど、気味の悪い事も多かった。

 テオが所属している妖精派の魔術師は概ねエルニカに好意的であるが、浮き世離れしており、世俗の社会では生きて行けなさそうな不思議な人物が多い。また、魔術工芸品アルティファクトゥムを作る事を主な研究課題とする工芸派は、コルネリアの知り合いも多く、親身になって色々と教えてくれる。

 一方で、非常に権威的な派閥や好戦的な派閥もあった。彼らは汚い物を見るような目でエルニカを見たり、門前払いをしたり、そうでなければ露骨に嫌がらせをした。コルネリアの係累である事は隠していたが、何故か魔女の関係者だとバレてしまう。

 エルニカは、ここでは猫を被ると決めたので、実に辛抱強く堪え忍んだが、心の中では『あいつら全員殺す』と思っていた。しかし、コルネリアにナイフ操作を封じられた事から考えるに、魔術師にはちょっとやそっとでは勝てる気がしない。彼は勝てない勝負はしない主義なので、機を待つことにした。自分と老婆を罵倒した全員の顔と名前を覚え、弱みを握り、いずれ社会的に抹殺するつもりであった。蔑まれる事には慣れているはずなのに、こんな事で殺意まで覚える自分に違和感を感じるエルニカだったが、自分よりもコルネリアを貶されている事に対して怒っている事に気付いて、うんざりした。


(婆さんに毒されてる。僕はそういう人間じゃないんだけど)


 結局、エルニカに対して――と言うより、魔女ヴァルプルギスに対して好意的、嫌悪的、中立的な反応を示す派閥があることが分かった。どちらかと言えば嫌悪的な反応をされる事が多いが、全ての魔術師に忌み嫌われているという訳ではないようだ。

 エルニカはどの工房でも非常な困難にぶち当たっていた。基礎教養がないのである。英語ですら、読みはともかく書くことは出来ないと言うのに、ラテン語、ギリシャ語の素養、派閥によってはゲルマン諸語、ラテン語以外のイタリア語も要求された。アラビア語や遙か東方の聞国の言語を使うこともあったし、教授格の魔術師たるや、古代文字や魔術文字等という、恐らく今は使うこともない文字まで扱っている。テオもオガム文字と呼ばれる古代文字を基盤に魔術を組み上げているようだった。

 作図技能は魔術紋様を描くのには必須であったが、まず作図道具の名前すら分からない。角度を測るのだと言われても、角度の概念自体知らなかったし、コンパスやディバイダーなど、ほとんどあらゆる道具は生まれて初めて触った。

 そして実践となると、エルニカの超常の才覚ギフトである『物体移動』は、魔術の中では初歩の初歩だという事が発覚した。呪文や魔法陣、手印等の補助を使わずに、考えるだけで発動させることが出来る点では評価されたが、それは簡単な魔術で代替する事が出来た。物体移動はエルニカを魔術師の入り口には立たせてくれたが、のし上がるために有利には働かなかった。

 それでもエルニカは誰にも助けを求めなかった。否――彼は助けの求め方を知らなかった。だからはじめの頃、彼はかなり腐った。


(魔術といっても、結局学問じゃないか。婆さんめ、僕にどんな素質があったっていうんだ。期待させるだけさせておいて、結局惨めな思いをするんじゃないか!)


 エルニカは風邪を引いた、怪我をした、食あたりで腹が痛い等と理由を付けて、徒弟としての仕事を怠けるようになった。様々な工房を巡っていたので、一カ所に付き二度休めば、全体としては大いに怠けることが出来た。

 工房に出れば他の徒弟の手柄を横取りした。見えざる手アポート/デポートを使って気付かれないように制作物や課題をすり替え、気付いて文句を言いに来た徒弟はナイフで脅して黙らせた。一人前の魔術師と違って、修行中の徒弟は簡単に脅すことが出来た。

 エルニカの様子を見かねたテオは、基礎教養の指導を申し出た。テオが魔術師にしては珍しく、とても面倒見のよい男だったのは、エルニカにとって幸運だった。もっとも、コルネリアとてそれを見越しての紹介だったのだろう。

 まずは英語の筆記、ラテン語とギリシア語の読み書きから始まった。また、辞書の使い方を教えた。その意味は初めエルニカにはよく分からず、覚えることが増えて煩わしいと思っていたが、自分で言葉を調べ、覚えられるようにと言う配慮であった。テオは、自分がいなければエルニカが学習できないような教え方では、何も学ぶことは出来ないと考えたのだろう。

作図道具の使い方も教授された。手先が器用なエルニカはすぐに覚えたし、作図も非常に正確にできるようになった。

 魔術に関しては地道にやるしかないという事で、物体移動の範囲を大きくし、操作を精密に行う事から始め、それがどのような魔術理論に基づくのかを学ばせた。自分に関係のない事を学ぶのは、苦痛ばかり多くて身がないというのがテオの持論だった。

 テオは更に、他の妖精派の面々にも援助を募ってくれた。同意してくれたのは、やや頼りなくはあるが、エドガーという、なぜ魔術師として学院で工房を開いているのか分からないほど重度の惚けのある老人。そして、カイという、その介護をしているようにしか思えない少年だ。


「いや、エドガー先生は実はすごいんですよ。僕は成績は優秀だと言われていたんですが、魔術の才能はからきしでして、まぁ先生の面倒を見させられているんですが」

「カツ君、昼飯はまだかのぅ」

「先生さっき食べたでしょう。あとカイです。ともかくこの調子なので信じてもらえなさそうですが、たまに正気に戻ることがあって、その時に教えを受けられれば、面倒を見ていた分の日数を補ってお釣りがくるほどですよ。教えるのがうまいんです」

「ケイ君、わしはちょっと約束を思い出したぞ、王宮に用があったはずなのじゃ」

「カイです。先生はそこの草の数を数えていてください。数秘術ゲマトリア的に非常に重要な意味がありますからね、ホントお願いしますね、数え終わるまでやめちゃダメですよ。まぁこんな僕がヘルメス院にいられるのは、みんな先生のおかげなんですよ」


 その割には扱いがぞんざいだ。これが師弟の信頼というものなのかと、エルニカは少し混乱した。しかし、出会って三日目くらいにエドガーが正気に戻ると、エルニカは驚きを通り越して感動した。彼は齢八十を超える老爺だったが、その目は若々しく、千里を見通し、その知恵は深遠で、物事を教えるのに分かりやすい喩え話を用いた。性格は穏やかで奢ることなく、エルニカにとっては他の魔術師より数段上手に思えた。


「エルニカ、焦らなくともよい。今は分からぬことが多くて苦しかろうが、学問は知識が積み重なることで、ある日突然目の前が開けるものじゃ。今は迷いの森の中で地図を作っているようなものでな、地図を作り終えれば、知恵の森の探求はずっと楽になろう」


 正気に戻るのが週に一、二度なので、何もかもをエドガーに教わることは出来なかった。エルニカは、自分が特に困難を感じている事や、他の魔術師の教えで分からなかった部分などをまとめて、老爺が正気になる僅かな時間の内に要点を教えてもらった。

 また、テオは他にも非常に風変わりな人物を紹介してくれた。


「初めまして、ライール・カースと申します。魔術師ですが、吟遊詩人バードでもあります」


 ライールは色白の痩身で、見目麗しい青年だったが、独特な風貌をしていた。まず、お伽話の妖精のように耳が尖っている。目は青く、髪は黒かったが、いずれも光の当たり方で青緑や群青にも見える。災厄カース、と言うのは明らかに偽名で、ラ・イールというのも、百年戦争の英傑の名である。つかみ所のない飄々とした性格だったが、物腰が柔らかくエルニカにも親切である。放浪の旅を続けていたが、魔術の才覚があったことから今はヘルメス院に籍を置いているという。妖精界の知識については妖精派の中でも抜きんでており、特に妖精の種類と生態に詳しかった。吟遊詩人として宮廷に出入りすることもあるそうで、エルニカはこの青年とは仲良くしておくことに決めた。妖精派はヘルメス院での政治力が弱く、その研究については熱心に学ぶ気がないエルニカであったが、ライールの話は面白く、引きつけられるものがあった。


「英国に現れる妖精の多くは、『シー』と名のつく者が多いですね。『異界』と言う意味です。ケット・シー、バン・シー、リャノーン・シー。人間に害を成す恐ろしい者もいますが、たとえばケット・シーなんかは可愛いですよ、ほとんど猫です。人の言葉が通じますし、妖精郷で道に迷っていたところを助けてもらったことがあります。最近は妖精郷の出現頻度が高くなっていますから、こういった好意的な妖精を知っておくとよいでしょう」


 ライールは実体験を交えた具体的な話をしてくれるので、自然と、妖精界の知識が身についた。テオの人選は実に的確だった。


「早く物事を覚えてもらった方が、私も手伝ってもらえることが増えて助かるのでね」


 とテオは言っていたが、エルニカは彼の気遣いを感じ取れないほど間抜けではない。だが、素直に感謝の言葉を述べることが出来なかった。彼の中には感謝という概念がない。その方法も知らない。彼は、それをもどかしいと感じる自分を不思議がった。

 エルニカはそのもどかしさを、対価の未払いによる不安だと解釈した。これだけの厚遇を受けながら全く対価を支払っていないのでは、いつか負債を返す代わりにと、何を要求されるか分からない。それが心配なのだと考えた。それが彼の理解できる世界での解釈だった。よもや自分が恩を感じているなどとは夢にも思わないのは、彼の生い立ちによるところが大きい。

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