香る浴衣と夏祭り

音水薫

第1話

 夏祭り。

 地元主催の小さなものだけれど、割と人も集まるし、普通のデートよりも特別な感じがする。そのせいか、道行く人はみんなカップルに見えてしまう。

 かくゆうわたしもその一人なわけで、鳥居の下で待ち合わせ。

 黄色の浴衣に花柄を。少々子供っぽくもあるのだけれど、小柄なわたしには似合いだろう。 普段は下ろした髪を上げ、かんざしの一つも付けてしまう程度には浮かれていた。

 それにしても遅い。いい加減心配になってきた。

 五分前行動が基本の彼に限って遅刻なんて、……近頃増えたけど。しかし今日は遅すぎる。事故にでも遭ったのだろうか。

 突然、巾着袋が歌いだす。中の携帯が着信を知らせているだけなのだけれど。

 彼があまりにも勧めるものだから、聴いているうちに気に入って、着メロにした。彼専用の。 それが鳴っているのだから、彼からなのだろう。どんな言い訳が飛び出すのか楽しみだ。

「もしもし、随分とゆっくりしているみたいだけれど、今どこよ」

「いや、スマン。バイトで先輩が休みでさ、代理で出なきゃならないんだ。ホントごめん。今日のデートはナシってことで」

「はぁっ? いやいや、ドタキャンとかあり得ないし。わたしもう鳥居の下なんだけど」

「だからごめんって。じゃあ、時間無いから」

「ちょっ」

 切られた。あっさりと、なんの未練も無さそうに。

 非日常を演出した格好までして、先に待ってたわたしがバカみたいじゃないか 

 最近はずっとそうだ。いやに淡白というか、髪を切っても、リップの色を変えても、気付いてくれなくなった。

「飽きられちゃったのかなぁ」

口にすると、沸き上がった恐怖が這うように全身を駆け巡り、包み込まれたような錯覚に陥る。

 立っていることに耐えられなくなり、人目をはばかることなく、膝を抱えて俯いた。

 グリグリと膝に頬擦りをしていると、不意に鼻腔をくすぐられる。

 わたしの香水じゃない。わたしに蔓延る闇を退けてくれる光の魔法みたいだと思った。

 顔を上げ、辺りを見渡すと、紫色の浴衣を身に纏った色白の女性がわたしに微笑みかけていた。

 竹のようにストンと伸びた緑の黒髪が、日本人形を連想させる。

 この人だ、と思った。

 わたしや同級生がつけているような、ただ甘いだけの香りじゃなくて、ともすれば嗅ぎ逃してしまいそうな、微かで、上品な大人の香り。

「お一人なのね」

 この女性が問いかけた相手がわたしであるということに気付くのに時間がかかった。

 遅れた分、慌てて返事をする。

「あのっ、はい。ドタキャンされまして」

 理由までは訊かれていなかったものの、口が滑ったと言うべきか。

 しかも、あんまり慌てていたものだからか、笑われている。

 相手が美人だと余計に恥ずかしい。

「ごめんなさいね。いえいえ、からかいたかったわけでは無くてね? 独り身なのは私と一緒ねと、言いたかっただけなのよ」

「お姉さんもドタキャンされた人ですか?」

「いえ、私は初めから一人よ。一緒に行くお友達なんていないから」

 最初は微笑んでいると思ったものの、今はニヤニヤしているという表現が似合うかもしれない。美人なのにもったいない。

「あなたのお名前は?」

「えっと、あの……」

 答えるべきか否かで迷う。現時点でこのお姉さんはフレーバーな変人にしか見えない。

 逡巡するわたしにしびれを切らしたのか、にじりにじりとお姉さんが近付いてくる。

「あの、人に名前を尋ねる時はまず自分から名乗るものですよ」

 言ってしまった。

 言ってみたい台詞トップ3にランクインする台詞だ。

 しかし、客観的に見ると凄く偉そう。

 お姉さんが気を損ねないか心配。

「なるほど、それもそうね」

 納得された。

「浴衣の美女と呼んでくれて構わなくてよ?」

 曖昧だ。普段着が浴衣ならともかく、不特定多数の人間が浴衣を着ているこの場では、浴衣が特徴になり得ない。

「じゃあ、お姉さんで」

「その方がしっくりくるわね」

 うんうんと、腕組みながら首肯する。少し格好いい。

「あなたは浴衣を着ているからユカちゃんと呼ぶわね」

 その理屈だと、この場の八割の女性がユカちゃんになってしまうのだけれど。

 本名には掠ってもいないし。「さて、本題に入りましょうか」

 何だか商談みたいな雰囲気。壺とか売り付けてくる人なのか。

「よかったら一緒に回らないかしら」

 なんだナンパか。

「知らない人についていっちゃダメなんですよね。家訓なので」

「大した家訓もあったものね。でも、せっかく浴衣を着たのに、このまま帰るなんてもったいないと思わない?」

 なるほど、一理ある。たしかに、時間をかけて着た浴衣を楽しまないなんて、こんなにも損なことはないだろう。

「そうですよね。一緒に回りましようか」

 笑顔で返事をする。

 もしものことがあっても、人がたくさんいるし、女の人に襲われるなんてことは無いでしょう。

 そう確信があったから賛同したわけであって、決して妹に今日のデートを自慢した手前、のこのこ帰れば笑われること必至。

 とか考えてのことではない。

 えぇ、決してね。

「では、行きましょうか」

 お姉さんが横を通る時、香りの泡がはじけたように、辺りがお姉さんで満たされた。

「いい香りですね。何の香水ですか?」

 相当なブランドでもなければ、わたしも真似してみたい。

「あら、私は香水なんてつけていないけれど」

「え? でもいい香りが。控えめで上品な感じの」

「ふふっ、だとしたら、多分アロマオイルね。部屋でたいていたのが浴衣に染みついたののでしょう。なかなか取れないから」

 アロマオイル。わたしには無縁のものだな。

「なんて名前なんですか?」

「サンダルウッド。効能はイライラを和らげる、よ」

 だからなのかな。お姉さんと居ると気持ちが落ち着く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る