失敗の後の行動で人の価値は決まる

 情勢は落ち着いた。いろんな意味でだ。遠江方面は今川と和睦が成立し、信濃方面では武田は北信で村上に敗北したらしい。勝った負けたを繰り返しているあたり、こっちにちょっかいをかける余裕はないだろう。


 美濃は義龍殿が一色の名跡を継いだ。母方の姓を名乗るようだ。嫡子は人質同然で小牧山に預けられており、先代の道三翁も清須の客人となっている。


 なんかやらかすんじゃないかとか様々な憶測が飛び交ったが、現状はおとなしいものである。文のやり取りもあるが、主なあて先は小牧で、帰蝶殿と三郎あてが多い。


 三郎は吉殿と帰蝶殿の間の子だ。弾正忠家の当主はなぜか三郎を名乗ることになっている。由来は不明だが、おおかたお家断絶の危機を三男坊が救ったとかだろう。よくある話だ。




 などとのんきに構えていた時期がありました。


「して、事の次第を聞こうか」


 武田の調略に乗った阿呆のせいで国境沿いの砦が一つ焼き討ちを受けた。柳生衆の働きで敵はすでに撃退しているが、防備網をかなり見られたようで、いま砦の防備も含め急きょ手直しを続けている。


 点検を行うと何か所か破られた跡があった。すでに間者が侵入しているものと見て間違いないだろう。




「ふむ、して、その不届き者はいかがした?」


「ここに召し取ってございます」


「ふむ、一応聞いておく。何ゆえこのようなことをしでかした?」


「貴様のような子供に国主はつとまらぬ! 武田の庇護下に入ることで生き延びられよう!」


「保長、信濃の税率はいかほどか?」


「七割近くですな」


「で、当家は?」


「四割ほどです」


「ふむ、ようするにあれだ。税が取れないから、私腹を肥やせないから寝返ったのか?」


「おそらくは」


「斬れ」


 言い終わるや否や柳生の剣士がすぱーんと首を飛ばした。飛んだ首は地面に落ちると地面を噛むようなしぐさをする。


 素早く草鞋を脱がすと足の裏を十文字に斬りつけ、まじないを施した。こうすることで怨霊が出て来れないようにするらしい。


「さて、言い分を聞こうか」


「も、申し訳ございませぬ!」


 こいつは裏切り者の寄り親だ。寄り子の罪は寄り親が責任を取るとされている。


「して、貴様、此度の不始末はどうつける?」


「……は、腹を切ってお詫び申す」


 ガタガタ震えながらもそう言い切った心根は見事。


 死なすには惜しいと思ってしまった。


「タワケが!」


 吉殿をまねて大喝する。びくっと体を震わせる。


「も、申し訳ございませぬ!」


「死んで償える罪など軽いものよ。俺はな、貴様の口から聞きたかったのは次はどうするかだ」


「は、はい?」


 所領を荒らされる、しかも敵国の手によってとなれば、普通は死罪だ。それも自らの身内の不手際となればなおさらのことである。


 だから俺の一言は意表を突いたのだろう。


「貴様は言ったな。腹を切りますと」


「は、はい。確かに申し上げました」


「で、あるか。なれば貴様の命、俺が預かる。此度のような不手際が起きぬよう対策せよ。無論貴様一人でやれとは言わぬ。松平宗家が後ろ盾となる」


「は、はは!」


「即座に命を差し出すその覚悟、気に入った。なればこそ、このようなことで貴様のような忠義の臣を死なせておっては敵の思うつぼよ」


「……あ、ありがたきお言葉にて」


 そして俺は書状を確認した。この者が山岳地帯の猫額の地で、いかに家臣たちを食わせようとしていたかを確認していた。


 税はなるべく安く。そして余剰があれば働きの良いものに分け与えている。こいつを誅しても益は無いどころか反旗を翻されるだろう。


「貴様の働きに免じ、次の機会を与える。だがな、次は無い。心して励め!」


「はは!」


 平伏する家臣からは嗚咽が漏れた。死を覚悟して俺の前にいたのだろう。


 周囲の家臣も安堵の息を漏らしている。そして、俺の情報収集力に恐れを抱いていることだろう。


 だがそれでいい。ただ甘い顔をすることもできないしな。山菜や薬草の知識を与える。また、塩などを多少融通するようにも命じた。


 持ち込んだ薬草は漢方の材料とする。ほか、兵の訓練の一環としての狩猟も命じた。鹿などが増えすぎて作物に被害が出ているところもあるという。




「武田に今回の落とし前をつけさせようか。どうせ知らぬ存ぜぬを決め込むだろうがな」


 弥八郎と今後の方針について相談することにした。国境沿いの小競り合いはよくあることで、侵入してきた敵兵はほぼ討ち取っている。こちらは防備体制に若干の被害が出ているのと、今回の騒ぎで患者が入り込んでいる。


 とりあえず相手を非難する使者は出したが効果は薄いだろう。そしてこちらの備えを見て警戒の度を増しているだろう。


「して、どのようなことを要求されるので?」


「民の食い扶持を増やすに、一番手っ取り早い方法は?」


「ふむ……野草などもすでに口に入っておりましょうし……」


「肉だ。漢方には医食同源の考えがある。体を作るに、獣肉が良いと考えられぬか?」


「しかしそれも難しいでしょう。古来より帝が出した詔がありますれば」


「抜け道はあるものだ。例えば、鳥獣の類は寺に寄進することで供物とみなされ坊主どもは口にしておる」


「であれば……?」


「諏訪大社に祭られているのは建御名方神でな、狩猟親でもある」


「なるほど。建御名方神を祭ることで供物として食べさせると」


「ま、物は言いようだけどな」


「食べてよいとの名分があれば喜んで口にするでしょう。おそらく隠れて口にするものも多いはず」


「まあ、気休めではあるがね。分社の協力をさせよう。諏訪大社の庇護者であることを周囲に知らしめることもできるので武田にとっても悪い話ではないはずだ」


「すぐに使者を立てましょう」


「反応が早いな。というか、お主の考えも読めるのだが……」


「うまいものには罪はありません故な」


「やはりか……」


「武田の間者はいかように?」


「食わせて取り込め。場合によっては故郷から人を呼んでいいとも伝えよ」


「まあ、当家の待遇を見たら寝返りたくなりますわな」


「滝川殿の伝手を使って、望月を取り込めんものかね?」


「武田にも望月の一族が仕えておりますな。場合によっては引き抜けますか」


「となれば武田の防諜体制に大穴が開くであろうが」


「筒抜けですな」


「ふん、これで彼奴の心胆を寒からしめれば良い。塩の交易は続けてやっておるのだからな。その販路を抑えて関銭でも取ろうとしたのだろうよ」


「末端であれば考えられなくもないですな。かの大膳殿がそのような短絡的なことをするとは思えませぬゆえ」


「ま、あれだ。東美濃から木曽に圧力をかけてもらおうかね。あとは飛騨か」


「そこまで手を広げだすと長尾の勢力圏とも接しかねないですが?」


「今後の話だ。今すぐってわけには行かんだろ」


「確かに。まずは手近なところから、ですな」




 こうして騒動は幕を下ろした。好事魔多しというもので、順調な時ほど油断してはいかんということだな。

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