犬も食わないものを見せつけられる主君の立場って何だろうな?
「殿、お助けくだされ!」
なんかいきなり平八郎が逃げ込んできた。何事かと聞きだす前に再び戸が開け放たれ、薙刀を構えた平八郎の細君が入ってきた。それこそ夜叉のように目を怒らせている。口元にはうっすらと笑みすら浮かべているのがいっそ恐ろしい。
「落ち着け! 御前であるぞ!」
「問答無用!」
なんか芝居がかったやり取りと共に薙刀が振り下ろされる。鋭いな。なるほど、小松姫の武勇はここからきていたか、などと現実逃避した思考を巡らせる。
「むう、かなりの使い手ですな」
正重は茶をすすりながらのんきなことをほざく。
「とりあえず、平八郎殿……生きろ」
喜六郎の空気を読まない一言によって壮絶な夫婦喧嘩の幕は切って落とされた。さすがに蜻蛉切は手にしていないが、風車のように次々と繰り出される攻撃を脇差一本でしのぐ。
横薙ぎの一撃を頭を下げて躱し、ここぞとばかりに踏み込んだ瞬間、持ち手を替えて回転の中心点をずらし、より小さな弧を描いて石突が平八郎のこめかみを撃ち抜いた。
「ぐあ……」
松平最強はこの平八郎の嫁殿であったかととりあえず現実逃避しておく。更に登場人物が増えた。うちの母上である。出産のために里帰りと称して岡崎に逗留しているのだ。っておい、普通水野家に行くんじゃねえの? とは思ったがそこを突っ込んでも誰も幸せにならないのでスルーしておく。
「小夜殿、落ち着かれましたか?」
「はっ! 奥方様。御見苦しいところをお見せしまして誠に……」
「いえいえ、それにしても殿方は本当に仕方ありませんわねえ」
「うっ、私と鍋乃介を裏切ったのです。忠真殿に任せてこのうつけは死んでもらいます!」
「いえいえ、負い目を握ってこちらが優位に立つべきです。尻の下に敷くのは今ですよ」
女って怖いな。なんつーか、この理屈が通らないところが恐ろしい。
「あー、すまんが、一応そこの平八郎は我が家臣ゆえに、勝手に殺されては困るんだが」
「いえいえ、こんな助平はちょん切ってしまいます! このような宿六にまともな働きができるとは思いません! 私に後れを取るようなへっぽこでは殿さまの弾除けにもなりませぬ!」
倒れ伏す平八郎がビクンと一瞬痙攣した。哀れ。
「ならば問うが、こやつは女子供を手に掛けるような外道か?」
「外道です。隠し子がいたんですよ?」
「それかよ! じゃなくてだな。細君を平気で手に掛けるような奴であれば俺もこいつを使うことはしない。だが、明らかに平八郎の手は鈍っておったぞ? 手を出しかねていたようじゃ」
「それは……」
「そなたに後れを取ったとしても戦場ではだれよりも勇敢に戦い、松平に勝ちを持ってくる。それが本多平八郎だと思うておる。それでだな、俺も男ゆえに説得力がないかも知れぬが、一度話を聞いてやってくれまいか?」
「えっ、でも男は口を開けば女を丸め込もうとするって……」
「誰だそんなこと言ったのは……」
「奥方様です」
「母上ェ……」
「だってそうやって見張っておかないとどこで子供作ってくるかわからないじゃないの」
「まあ、そういう要素があることは否定しませんが、それにしても極端ではないですか?」
「そうかしら? まあ、ヒデ様もお子様多いですしねえ。先日池田の後家にも二人目の子を産ませてましたし」
「母上、一応聞きますが、そのヒデ様というのは?」
「弾正忠信秀様ですよ? サブちゃんって呼んだら怒られて……てへ?」
「普通にお殿様でいいんじゃないですか?」
「えー、だってヒロ君もいたし、わたし再婚だし……」
「ああもう、わかりましたからこの話題はもう終わり、いいですね!」
「むう、息子が冷たい」
頬をぷーっと膨らますのはやめていただきたい。ということで平八郎に事情を聴かねばならんなと思っていたら、弥八郎が桶に水を持ってきてぶっかけていた。なんか、前に喧嘩したらしい。戦場で槍も震えぬ臆病者とかなんとか。とりあえず平八郎の勤務評価を一ランクダウンさせることにした。
「で?」
「うむ、小夜。話を聞いてくれぬか?」
「で?」
「あれは6年前、通りがかりに助けた村娘に惚れられてしまってな」
「で?」
「一晩宿を借りたところ夜這いにあって……」
なんて羨ましい。評価をもう一段下げよう。平八郎のボーナスは半額だな。
「で?」
「子供ができたと聞かされて、放っておくわけにもいかんだろうが」
「で?」
「しかしそなたに言うわけにもいかず、これまで黙っておった事は謝る。すいませんでしたああああ!!!」
見事な土下座だ。武士の誇りがその後頭部にあらわれている。
「ふう、わかりました」
「小夜!」
ぱあっと喜色を浮かべて平八郎が土下座を解除する。というか、曲がりなりにも俺一応こいつの主君なんだけどな。主君の前で夫婦喧嘩やらかすのってどうよ? などと埒もないことを考えていたら速射砲のごとき勢いで往復ビンタが炸裂した。抜き手も見せぬ左右三発、平八郎の顔面が見る間に腫れ上がる。
「これから毎日わたくしに愛を叫んでくださいね」
「叫ぶって……せめてささやくで許してくれまいか?」
「じゃあ、まずは最初の1回ですね。殿の前で誓っていただきましょう!」
平八郎がすがるような目でこっちを見てくる。仲裁してくれと目線で絶叫するかのようだ。そして俺は……ゆっくりと目をそらした。目線をそらしながら平八郎の顔が絶望に染まるのを見た。
意を決した平八郎は城の矢倉に駆け上がり、岡崎城の中心で愛を叫んだ。見事なり。
そういえば、隠し子は5歳で、娘だそうだ。母親ともども本多家で養育するらしいので、子供手当をつけてやった。ただしその加増分は奥方に直接渡すことにしたら平八郎に恨みがましい目つきで睨まれたのだった。
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