彼を知り己を知れば百戦して危からず

 彼を知り己を知れば百戦して危からず。孫子の有名な一節である。何が言いたいかというと、情報収集こそが全ての要であると俺は解釈している。のちにも間者を重視せよと説いているところからもおおむね間違ってはいないだろう。

 ほかにも不利ならば戦いを避けよ。敵の弱きところを叩け。などなど、様々な言葉を残しているが、一貫していることは「負けないこと」であろう。戦争は国家の大事とも語っている。負ければすべてを失うのであるから常々油断するべからずと。


「というわけなのです」

「お主の言うこと、誠にもっともじゃ。目隠しをして勝てぬは当然であろう」

「時代の変遷という部分で、食料の現地調達については、可能な限り買い付ける方向、ですねえ」

「後方支援体制が重要じゃな。現地で乱取りはのちを考えればやらぬ方が良い。やるならば根切りにして恨みを残さぬ方が良い」

 うん、さすが魔王。徹底しすぎてドン引きだ。仮にその場所を根切りにしても縁者はいるだろうし、「ならば」と言ってる時点で仮定ではあるんだろうな。いざその場になったらためらわないだろうけど。俺も吉殿もだな。


 さて、何を話しているかというと、北伊勢攻略の件である。大体の方針は決まったので、具体的な方策を練る段階だ。志摩の九鬼家とは伝手ができた。佐治水軍を援軍として差し向け、場合によっては補給を行う。北畠とは対立する可能性がでてきたが、伊勢に手を伸ばす以上はそれは元々避けられない。

 ただし二正面作戦は避けたいので、北畠の破局はなるべく先延ばしにしたいものだ。ということで、九鬼の後ろ盾になったという事を通告した。伊勢湾での商売を行うにあたり、彼の水軍衆に商船の保護を依頼するという意味合いだ。

 大湊の上りは北畠にとっても利益となる。伊勢神宮を名目上とはいえ保護しているわけだからな。そう思うならば式年遷宮の費用くらい出せよと思うが、無い袖は振れないということだろう。


 話がそれた。伊勢に伝手があるのは滝川一益殿である。彼は一説によると近江で生まれ、北伊勢を流浪したという。そして今は吉殿に拾われたという態だ。

 武勇に優れ、甲賀忍びとも伝手がある。というか、甲賀の滝川一族を呼び寄せており、織田の諜報を担っている。

 うちは祖父である清康公の頃に仕官した服部衆がいる。服部半蔵と言えば服部半蔵正成が有名であるが、本多平八郎のように代々の名乗りであるらしい。織田弾正忠家は代々の嫡子に三郎を名乗らせる習わしがあったそうだ。信秀様も家督を継ぐ前は三郎信秀を名乗っていたとか。その父上である信定様も三郎の名乗りをしていたとかなんとか。

 滝川一益殿を蟹江城の城代に任じたうえで、北伊勢へは滝川忍軍と流民を送り込むことにした。そこで情報の収集と、織田の支配下ではしっかりと食っていけるといううわさを流させるのだ。これにより調略の下準備を行う。


 そういえば、尾張、三河の発展を見た周辺諸国が間者を送り込んできている。そして流民ネットワークにからめとられ、ここに定住したり服部、滝川の両家に吸収されて行っている。

 それはそうだよな。服部も滝川も大名家の重臣である。そしてその子飼いの間者たちで腕利きの者は高禄を与えられている。捨扶持で命がけでこき使われ死んでも何の保証もない扱いに比べたら雲泥の差だ。

 家族を持つことも認められている。黒い言い方をすればそれは彼らを繋ぎとめる質である。しかし、家族を養うために死力を振り絞ることも確かである。そして、任の最中に命を落とすものもいる。残された家族は滝川、服部家を通じて織田、松平が保護する。

 子が居れば家督を継がせることを明言し、家禄も保障する。一般の武士階級の者であれば当たり前の待遇であるが、それを間者にまで適用したのである。

 間者を軽視する者はいる。そういう者たちを集めて模擬合戦を行った。間者を10名も派遣して、火付けや夜討ちなどで7日も引っ掻き回したうえでヘロヘロになったところを更に奇襲を仕掛けるという方法でボコボコにした。おかげで間者優遇反対派はいなくなったな。

 一応それだけでは面目が立たないだろうと思ったので、フォローはいれた。いつぞや尾張で吉殿が行ったことの焼き直しではあるがな。三河者は単純でいいわ。

「そこまで我らの事を……うおおおおおおおおおん」

 髭面が号泣するところは非常にむさくるしかった。とりあえず彼らには50名程度の小隊を組ませ、そこに忍び衆を数名配した編成で領内の治安維持を担わせた。

 流民が流れ込むことで治安が悪化する。土地が豊かであればそこに盗賊などがはびこる。治安維持と向上は急務であった。

 連中は盗賊風情が、などと舐めていたが、それこそまともに戦えばという話だ。陣を組んで真正面から殴り合うような戦いをするはずがない。間者が物見を行い、敵の備えを調べたうえでそれを逆手に取るように戦うことで、彼らは常に勝利を得た。それこそ盗賊相手に討ち死になどしては恥である。勝って当たり前の相手に敗北などあってはならない。

 彼らは物見の重要性を骨身に染みて理解したものと思いたい。それでわからんようなら捨て駒としてしか使い道がないしな。

 情報収集は大事だ。時に一片の流言は万の兵に優る働きをすることがある。そういうことだ。

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