小豆坂の決戦~決着~

「かかれ! すわ、かかれええええい!」

 吉殿が疲れ切った手勢に檄を飛ばす。ここが勝負時というのは間違いない。後先を考えない全力攻撃だ。

 策がうまくはまってくれた。一向一揆勢はうちの偽兵だ。経文を唱えた農民兵が筵旗を押し立てて気勢を上げる。雪斎自身は策を看破していただろうが、他の兵は無理だ。

 借りに敵兵がすぐ立て直した場合でも、新手の一千は敵にとっては打撃になる。とはいえ、虎の子の黒鍬衆をなるべく損耗させたくはない。敵が混乱してきたのは幸運だった。

 彼らには投石で敵の背後から攻撃を行う。農民が弓とか使えないしな。

 スリングで一斉に投石を行う。具足で石は防げない。敵兵はバタバタと倒れてゆく。ここで容赦をしてはこっちがやられる。

「徹底的にやれ!」

 俺も檄を飛ばす。投石の先には三河兵がいるのかもしれない。だからと言って手加減もできない。今は目の前の敵を倒すしかない。


 そんな崩れて行く敵勢の中でしっかりと踏みとどまって戦う者たちがいた。本多忠高、大久保忠員らが率いる岡崎勢だ。

「よいか! 三河武士の意地を見せるは今ぞ!」

「「「おおおおおおう!!」」」

 槍先を揃えて迎え撃つ構えだ。唯一人として動揺の色はない。実に良き備えだ。

 しかし、決死の敵に真正面から突っ込む愚は犯せない。吉殿は弓兵を前面に出し、足を止める敵勢に雨あられと矢を降らせた。

 さらに投石部隊も駆使して敵の盾を叩き割る。交互に浴びせられる矢玉に損害が増えてゆく。しかしここで下がれば無防備な今川勢の後背を明け渡すことになる。そうなれば、決定的な打撃となり、少なくとも西三河は織田の勢力圏になるだろう。

 彼らは竹千代のために独立を保とうと戦っているのだ。それがわかる俺の胸に針を突き刺したような痛みが走る。父を失い、今また忠臣を死地に追いやっている。そんな矛盾に耐えがたい苦痛を感じた。

 特に本多忠高は安祥合戦で先陣を切り、敵を深追いしすぎて討たれた。しかし、松平の先駆けにふさわしい働きであったのだろう。槍を振るい多くの敵兵を道連れにしたと聞く。

 彼らが命を懸けるのは松平宗家、すなわち俺のためだ。彼らがどちらの「竹千代」に忠義を誓っているのかはわからない。俺かもしれないしあっちかもしれない。

 結局、自分の立場でしか生きられない。俺も彼らも。そこが不幸なのだろう。不運なのだろう。


 夕立のような濃密な射撃に松平勢は多くの手負い死人を出していた。それでも踏みとどまるのは、このまま軍が進めば、真っ先に蹂躙されるのは彼らの住処だからだ。

 今川は結局のところ、守り抜いてはくれない。盤面の一部、将棋の駒の一つであり、駒を取られても取り返せる。そんな視点で見ているのだろう。

 だから俺はたまらなくなり、身を隠すべきとわかっていながらも声を上げた。


「松平の者どもよ。戦をやめよ! 俺は松平竹千代である! 今は織田に身を寄せておるが、決してそなたらを見捨てたりはせぬ! 我が名に懸けて狼藉はせぬと約束しよう。倒すべきは今川である!」

 俺の顔を見知った者もいたようだ。竹千代の名に始めて松平勢が動揺する。

「若は今川のところにいるんじゃないのか?」

「石川様が策をもって取り返したと聞くが」

「しかし織田の方は策を見破って、影武者をさらわせたと申しておる」

「だまされるな、あれこそ影武者に違いなし!」

「しかし本物であったらいかがする?」

「そんな……」


 松平勢が混乱しているのを見て、さらに俺が声をかけたことを知って吉殿が単騎で俺の隣に現れた。っておい、危険すぎるだろ!? 

「者ども聞け! 我は三郎信長である! これなる竹千代は我が義弟である。義弟の家臣と戦う理由なし! 追わぬと約定する故今は道を開けられたし!」

 おい、下手すると狙撃されるか取り囲まれるぞ!

 そんな心中の叫びは表に出せるはずもなく、吉殿の隣でなるべく穏やかな笑みを浮かべて見せた。

「父が討たれた破今川の策謀じゃ! 俺を見捨ててまで忠義を尽くした父の心を今川は踏みにじったのじゃ! 三河者は舐められておる。頭数が力であるのか? 大軍を擁するから我らは虫けら扱いなのか? 否! 断じて否! われらの誇りと武辺を今川に見せつけようぞ!

 われらの誇りを踏みにじった者共に鉄槌を下すのじゃ!」

 うん、勢い任せにすぎる。そもそも松平勢が被った損害のほとんどが吉殿の手勢による射撃だからな。これが裏目に出たら俺たちの命はないな。

 などと思いつつ、吉殿を見ると、何この人。どんだけ神経太いの? なんですかそのふてぶてしい笑みは? そしてその表情のままに再び口を開く。

「我は決して松平を見捨てぬ! 竹千代の家臣ならば我にとって身内よ。身内が助け合うに理由は要るのか?」

 吉殿の呼びかけに本多忠高が前に出てくる。うっわ、あちこち矢が刺さってハリネズミ状態だ。よく生きてるな。

「……織田の若君に御意を得ます。我が名は本多平八郎。松平家臣にござる」

「おう、貴様が平八郎か。鬼神のごとき働き、誠に感じ入った次第じゃ」

「ありがたきお言葉。して、竹千代君は本物にござるか?」

「於大の方が一緒に住まれておる。また、こやつが偽物であるならば、どうしてわが妹を娶わせようか?」

「竹千代様は織田と縁を結ばれるか?」

「三郎殿は古今に見ぬ英雄じゃ。俺は三郎殿と共に歩むと誓ったが、家臣に非ず。盟友としてじゃ。対等の友としてである!」

「である故、お主らを仇や粗略に扱わぬことを誓おうぞ」

 そうして吉殿は佩刀をわずかに抜き、鍔音を響かせた。俺もそれに倣い、太刀ではないが持っていた護身用の脇差で誓いを行う。


「わかり申した。なれば我らこれより先陣を仕る」

「いや、それには及ばぬ。そろそろ我らが追撃部隊が今川の背を叩いておるじゃろう」

「なっ!?」

「ふん、1年も前からここで戦うことを想定しておった故な。間道の類は調べ上げておるし、隠し道もいくつか開いておるのじゃ」


 あらかじめ用意していた間道を使っていたのは、今朝の信広殿だけに非ず。松平勢と対峙していたのは、最も銚時間戦っている吉殿の手勢だけだ。というか、ここで真っ向からぶつかったら、多分負ける。その程度には疲弊していた。だから矢戦を仕掛けて、白兵戦は避けたのだ。


 物見が戻ってきた。追撃部隊の先陣は上総介家中、滝川一益。甲賀より呼び寄せた手勢を率いる。もともと山がちな土地に暮らしていただけあって、山岳戦を得意とし、悪路走破もやってのけた。さらに、信広殿の安祥衆や勝幡、清須の部隊が一気に突き進む。

 ここで徹底した追撃を命じた事と、あらかじめ乱暴狼藉は死罪と伝えてあったこともあり、松平の領民にほぼ手出しはしていない。

 激しい追撃戦の末、雪斎は取り逃がした。何人か殿を務めた将を討ち取りはしたので、今川には大打撃を与えたことは間違いない。

 未確認情報だが、複数の矢を受け雪斎が負傷したとの話もあった。そして最後に、朝比奈泰能を捕らえたとの報告が上がった。

 遠江の国衆をまとめる重臣である。人質交換などの交渉の余地はある。安祥合戦と立場が逆転したわけだ。

 大戦果に織田の兵は沸き立ち、遠くから勝鬨が聞こえてきた。何とか勝ちを拾ったようだ。


 こうして、今川の侵攻を退け俺は岡崎城に入った。今川の代官もひっ捕らえ、朝比奈と共に人質交換のネタにした。竹千代を返せとやると俺が偽物ということになるので、出来ない。まあ、そこら辺の空気は読んでくれるだろう。あっちも俺だし。

 東三河はまだ今川の勢力圏であり、がっちりと防備を固められた。ここを抜くのはなかなかに難事である。しかし、なんとしても成し遂げないといけない。松平の悲願、三河の統一を果たすために。

 なんだかんだで数え年7歳の当主となってしまった。そのまま元信とかだといろいろと面倒なので、祖父からの通字を使い、松平蔵人長康を名乗ることにした。長の字は吉殿からもらった。信康だと息子だしな。まあ、誰も知らん話ではあるが。


 今は織田の同盟相手にして、事実上の服属大名だ。しかし、力をつけて対等の立場になる。そうすれば、三つ葉葵と五つ木瓜の旗が天下を駆け巡ることとなろう。

 夢半ばで倒れた信長殿の無念を今世で晴らす。というか無念を感じないように、やり切ったと満足して往生していただくのだ。

 そうして俺は、岡崎から天下を望む。天下泰平を夢見て戦い抜くのだ。

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