小牧山の乱
俺の目の前にいる人物、織田弾正忠信秀様がすっごい目つきで俺を睨んでいる。俺の腕にがっしりと市姫がしがみついていた。どうも、一緒に寝たので、「市は竹千代の嫁になる!」と宣言したことが原因のようだ。その話を聞くや否や、清須から小牧山までかっ飛んできたようだ。
そして同じく、俺の隣で正座している人物。吉殿から関羽と評された髭の豪傑、柴田修理介勝家である。彼の腕にはがっしりとおつや殿がしがみついていた。髭面を赤らめるな。むさくるしい。
さて、織田家の女子の嫁入り事情について、おつや殿はまあいいだろう。行き遅れが心配されていたくらいだしな。うん、うまくうわさが流れてくれたようで幸いだ。ん? それとなく、吉殿が権六殿を讃えたエピソードを流しただけだぞ。帰蝶殿経由でな。
んで、問題は俺の方だ。市姫はいつぞや懐かれてから事あるごとに俺にまとわりついてくる。しかもその理屈がやばい。
「兄上とは結婚できないの? けど竹千代はずっと兄上と一緒なの? ずるい!」
から始まって、ついには……。
「竹千代と結婚すれば兄上とずっといっしょなのじゃ! 他国へ嫁ぐのは嫌じゃ!」
などと公言する始末。また織田家の人ってイケメンと美女ばっかりらしいからな。市姫も将来はさぞかしと思える美少女だ。こんな可愛い子になつかれたらなあ、そりゃ鼻の下も伸びるってもんよ。
「其処でなんで父上と結婚するとか言わんのじゃああああああああああ!!!!」
信秀様の絶叫にあちゃーという風情で平手殿が頭を抱える。たしかに信秀様は市姫を溺愛していた。というか、史実通りに近江に嫁に出すとかになったら暴れるんじゃないのか?
そこに救いの女神が現れた。もうこの空気読まなさ、素敵だ。
「兄上、権六さまとの婚儀に許可を!」
「ああ、いいぞ。それよりお市の事じゃ。まだ嫁に出すの早い! 儂は認めんぞ!」
さっくりとスルーされたことで憮然とした表情を浮かべるが、許可を得たということでおつや殿は満面の笑みを浮かべ、柴田殿に抱き着いた。そのことへの信秀様のリアクションはなく、俺への矛先はピクリとも動かなかった。なんてこった。
「これで権六さまはわらわの夫じゃ。嬉しいのう」
そのやりとりは、ある意味破滅を招いた。そう、何でも真似したがる年頃の少女がそこにいたのである。
「市も竹千代様と抱っこー!」
むぎゅっと抱き着いてくる。さすがに振り払うわけにもいかず抱きとめる。その瞬間、後ろでぶふっと噴き出す声が聞こえた。うん、我が盟友にして主君である三郎信長様である。そしてゆっくりと前に向き直ると……月代から湯気を吹きそうな信秀様と、そっぽを向かれたことにお冠な市姫がいた。
「むー、竹千代。わらわを見るのじゃ!」
「貴様、命は要らんと見えるな……」
そこですらっと長谷部国重を抜き放つ。へし切にされるのはごめん被りたいなーと場違いな感想が脳裏をよぎる。
「殿、それは成りませぬ!」
平手殿が後ろから信秀様を羽交い絞めにした。
「止めるな政秀! 儂はお市を守らねばならんのだ!」
本能的に竹千代とのことを反対されていると感じたのだろう。破滅の言葉を市姫は躊躇なく紡いだ。
「父上……だいきらい!」
その一撃は信秀様のガラスのハートを撃ち抜き、木っ端みじんにしたようだ。
大げさに悲鳴を上げがっくりとうなだれる。そして頭を抱えるときにその手を離れた国重は俺の真横に突き立っていた。あぶねえ。
ふと背後を見ると息が止まるほど笑い転げた吉殿が痙攣していた。とどめ刺したろか。
平手殿の説得によって話はまとまった。「三河侵攻の大義名分となります上に、松平宗家を取り込む意味も考えたら非常に良い縁談です!」と信秀様の耳元で叫んでいた。当の本人は説得を聞けば聞き入れなければいけないことを理解していたのだろう。必死で耳を塞いで、どんな言葉も耳に入れないぞという意思を示していた。
そこを吉殿が羽交い絞めにして耳から手を離し、聞こえないふりをしている信秀様に、平手殿が絶叫した。親子そろって耳を抑える姿はいっそ笑えた。まあ、当事者である俺はある意味笑えない立場であったが。
無論というか、現時点では婚約で結婚自体は元服の後とされた。烏帽子親には信秀様がなることも内定した。今更だが織田と今川で松平宗家の正当性を主張しあう今となっては、俺が世良田姓を名乗ることに意味はないんじゃないだろうかと思いいたる。
いっそ、得川氏の家系図をでっちあげて先に徳川を名乗るか? などと考えたが、あれは松平が乱立しすぎていて、松平一族でも特別で、源氏に連なる家系をでっちあげて無理やり権威づけをしたんだよな。今それをする意味はないし、松平の姓を捨てることで悪影響が出かねないか。
いろいろとあったがこうして俺の嫁取り騒動は終わった。そもそもの原因となっていた年明けからの吉殿の側室騒動だが、実はまだ続いている。なぜかと言うと、三人の側室全員が妊娠したらしいのだ。種馬か!
そうしてさらに新たな側室が送り込まれようとしており、弾正忠家と縁を結びたい豪族たちがにらみ合いを始めているそうだ。
ある意味他人事だしと傍観していたら、悲報が入った。父が討たれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます