尾張平定へ

 自滅に近い形で岩倉は落ちた。近いっていうか、まんまだろと突っ込みたくなるが、そういうことだ。

「義弟殿、このたびは災難であったのう」

「このような失態を犯した拙者をまだ義弟と呼んでくださるか?」

「なればこそよ。身内同士助け合わねばのう」

 信安殿は目を潤ませている。これで尾張北部は犬山を残すだけとなったようだ。しかしなんというか、戦国武将には向かない性格なんじゃないかなあ、この人。信賢殿もたしか吉殿と猿楽とかやってたはずだし、なんというか文化人枠?

 とりあえず信賢殿もどさくさで捕虜になって信安殿と共にここにいるというか、後ろでちっちゃくなってる。犬山の甘言に乗せられとか言っているが、まあ若さゆえの過ちというやつか。

 ただ戦死者もいる。人の命を左右する立場ということをもっと理解してもらいたいものだ。といっても、この時代、身分が低い者の命はそれこそ紙屑程度にもならない。

 足軽の俸給が年俸一石。米は食料ではあるが、半ば貨幣でもある。米に替わるものとしての銭を普及させるよう努力はしており、尾張においてはそれなりの成果が出てきている。


 そしてそれは三河においてはかなり遅れている。銭の普及で物流が回り、それは生産力向上に繋がると俺は理解できているが、なかなかそれを他者に理解してもらうのは難しい。例があればわかりやすいので、まず尾張で結果を出そうと考えている。

 銭を介した売買で、余剰物資が他に回り、不足物資が入ってくる。要するにどこそこで自領の産物が不足しており、それを売れば銭が手に入る。銭で不足品を買い付けることができる。みんな幸せということだ。

 むろんそこまで単純ではないし、そこまでうまくトレードが成立することはまずないだろう。それでも、そこでうまく立ち回れば利益を生み、それは自国を潤す。

 不足から均衡、そして余剰が生まれれば、統治は楽になる。衣食足りて礼節を知るというやつだ。明日に希望を持てないから自棄になって刹那的な生き方になる。逆に明日はもっと良くなるという希望を持たせられれば、一揆などはまず起きなくなるだろう。

 一向宗は現世はどうしようもないから、来世で幸せになりましょうと言っている。欣求浄土ってそういう意味だよね。

 しかし現実は門徒は坊主どもに食い物にされているわけで、そこを理解させればということだな。しかし迷信がまかり通っているこの時代。坊主を否定するだけでなぶり殺しにされかねない。領主の言うことを簡単に聞いてくれたら苦労しない。となればどうするか?

 利益を与えるのだ。生活を向上し、外敵から守る。そうすればこちらの言うことに耳を傾けてくれるだろう。世の中ギブ・アンド・テイクだ。


 何とか綿花が手に入らないものか。そうすれば衣類の性能向上が図れる。冬場に凍死する人間が減るだけでも人口増加になるんじゃないかな。

 あとは、尾張南部の領主にどうアプローチするかだな。母の実家である水野家はもともと弾正忠家に近い。そして、俺を嫡子の小姓にしたことは知れ渡っている。

 ということは何らかの政治的効果が出るんじゃないかなあと期待していたら……来ました。ほぼ臣従に近い条件だ。尾張中央部から北部にかけて勢力を伸ばし、さらに美濃とは同盟関係にある。三河松平家との関係はうちの母が離縁されたことで冷え込んでいる。となれば、身を守るためにも今ならまだ高く売りつけられると踏んだんじゃないかな。刈谷一帯の安堵も取り付けている。

 あとは佐治水軍か。こちらも津島湊や熱田湊の利権を安堵すれば臣従も望めるんじゃないかな?そうなれば、三河沿岸部へ兵力を送り込めるというブラフをかけることができる。中入れに近い戦術で、リスクが高いが、例えば岡崎の後方を脅かすことができるとなれば、小豆坂の合戦でも選択肢が増えるだろう。


 さて、美濃は美濃で内輪もめが始まり掛けている。道三の下剋上の弊害だな。もともと道三自身が美濃の出身じゃない。そしてこの時代、よそ者への冷たさは現代の想像を絶する。いうなれば、山一つ越えた向こうに村があれば、そこは他国と言っていいほどの感覚だ。そこから人が来れば、すでによそ者ってくらいだ。ちと極端かも知れないけどな。

 そこを踏まえてよそ者の成り上がり者。嫉妬を一身に浴びるには十分すぎる内容だ。そこをうまく乗り切ってきたはずだが長年たまった悪感情が澱のように溜まって、膿となって噴き出しつつある。

 嫡子たる新九郎義龍との関係も冷え込んでいる。実際に破局するのは8年後のはずだが、織田弾正忠家がほぼ尾張を掌握している時点で、俺が知っている歴史の価値は低下している。それこそ、戦国時代に似たパラレルワールドってレベルだな。

 尾張北部の領主は未だ戦力として取り込めたとはいいがたい。そもそも内輪もめで疲弊している。その回復を急がないといけないが、弾正忠家中においては、いうなれば外様状態で力で抑えるか、完全に心服させるか、どちらにせよそれなりの時間がかかる。

 史実においては小豆坂の合戦は来年だ。1年ほどの時間がある。しかし、これから先がどう転ぶかわからない以上、油断などはありえない。

 しかし、信秀様はどうも先に犬山を押さえたいようだ。たしかに、先日斎藤家が手を伸ばしてきたこともあり、早めに抑えたいところだろう。美濃に取り込まれたら目も当てられないし、同盟が破たんした場合、清須が脅かされる。まあ、そうなれば小牧山でまず食い止めることになるだろうけどな。

 当面の行動としては犬山の切り崩しだ。南方は刈谷と安城において重点的に防備を固めることになっている。

 そうこうしているうちに再び水野家から使者が来た。その使節団には女性と少年がいるという。おそらく母である於大の方だろう。今の自分は葵であり竹千代であるがゆえに、母に会うことは恐怖を抱いた。我が子でないと突き放されたらという思いだ。

 そして、吉殿に伴われ、津島の加藤屋敷へ赴くことになったのである。

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