歴史は動き始める

 天文十六年も年の瀬。俺が戦国時代に落ちてきてもう半年以上。逆にあれだけのことがあってもまだ半年しかたってないのか。

 あれ以来、家康の夢は見ていない。けど頭の片隅に常に自分以外の誰かがいる感覚がある。そして無意識に助言を受けているような感じだ。

 そもそも戦場に立って、目の前で人が殺しあっているのに全く動じていないあたり、俺が俺でなくなったような感じだ。視界の中で胴体を槍で貫かれて血塗れになってのたうち回る人間がいるのに、心は妙に凪いでいる。兵の断末魔を聞いても、何とも思わないわけではないが、そのこと自体に慣れているような感じである。

 そして何とも表現しがたいのだが、敵陣のほころびがわかる。浮足立っている兵がわかる。なぜとか言われても困るのだが、勘というか、それこそ俺の中にいるもう一人が、その経験を持って助言してくれているような感覚というか。

 そしてそんなことに全く違和感を感じていない自分はどうかしてしまったのだろうか? などと思うがそもそも戦国時代にタイムスリップしている時点でどうかしてしまっている環境だ。

 もう一つ、生活環境が大きく変わっているのにそれに慣れてしまっていることだ。風呂もない、シャワーもない、食事は基本塩味だけ。味噌とか醤油は未だ発明すらされていない、はず? にもかかわらず特にそこに不満はない。まずいとは思うが、こんなものだろうなという慣れがある。そういう意味では、俺は純粋な松平葵ではなくなっているのだろう。では、俺は誰だ?

 今までは慌ただしすぎてそんな疑問に向き合う時間すらなかった。そんな時間ができてしまったことは幸か不幸か。

 そういえば驚くべきことが起きた。帰蝶殿が妊娠したのだ。まあ、あれだ。朝から晩まであんだけギシアンやってりゃそうだろうと思わなくはないが、俺の知る歴史では帰蝶姫には子はできなかった。

 信長の長子といえば信忠といわれるが、実は長子と嫡子は別物だ。そもそも、信長……吉殿にしても通称は三郎である。信広殿という兄がおられるが、母親の身分が低いため、継承権が事実上ないというわけだ。

 そして、信忠には兄がいた……らしい。最終的に織田の姓を名乗っていなかったため、その認識がされていないが、帯刀の通称を持つ調子がいたはずだ。村井貞勝殿のところに婿入りした、らしい。

 らしいというのは調べようが今となってはないし、そもそもまだ生まれていないからだ。

 っと、わき道にそれた。帰蝶姫が産む子供が俺の知る信忠になるのか、そもそも帯刀に当たるのか。仮に帯刀に当たる子供だとしても、それに継承権がないのはおかしすぎる。

 いろいろとやらかしておきながら今更だが、ここは俺の知る戦国時代とはずれ始めている。ということは、俺の中の家康が知る歴史とも変わっていくのだろう。


「うははははははははははは!!」

 小牧城は未だ築城中だが、ふもとに簡単な武家屋敷はできている。塀なども構え、簡易の砦としても耐えうる造りだ。そして、吉殿の屋敷もそこにある。

 いまは帰蝶殿の懐妊を祝う宴会だった。もう6日も続いているが、めでたいことには変わりない。吉殿がひたすら上げる高笑いに周囲がドン引きしているだけだ。


 さて、岩倉は信安殿の陣営がやや有利に推移していた。このままであれば、廃嫡のうえ、弾正忠家への降伏まで進むかと思われた。

 そこに犬山が介入してきた。すんなりと岩倉が降伏したら犬山は風前のともしびとなる。故に、岩倉織田家を存続させ、共同で弾正忠家に当たるというのが基本方針なのだろう。

 信康殿が生きていればまた変わったのかもしれないが、信清殿は父の死を信秀様の失策と思い込んでいる。

 故に弾正忠家に何とか対抗しようと考えているのだろうか。

 その甲斐あってか、今はにらみ合いが続いており戦況は拮抗している。美濃斎藤家が手を伸ばそうとしているが、ここで小牧の吉殿の手勢がにらみを利かす。そのせいでどちらも動きが取れなくなっているのだ。

 ただし水面下では様々なやり取りが行きかっている。寝返りをさそう調略が主だが、そのせいで、誰が味方で誰が敵かわからない混沌とした状態になっていた。おかげで下手に小競り合いすらできず、平穏を保っていることは良いのか悪いのか。

 問題は合戦支度のせいで物価が上がっている。物資の買い付けを見越して商人が値を上げているためだ。清須で買い付けて岩倉や犬山で売ると言った状況すら起きており、足元を見た価格設定のため、奴らはどんどんと力を吐き出しているのだ。にらみ合いが続けば続くほどじり貧であるのに、彼らはそれに気づいているのか、それとも税を取って補填すればいいと思っているのかはわからない。

 ひとまず、わかったことは奴らはろくでもないってことだけだ。だから排除しなくてはならない。天下布武は天下泰平への道のりで、その手段だ。そして、俺が一日ためらえば天下万民が一日苦しむ。むろん善き領主もいるだろう。俺はそうなれるだろうか。

 こんなことをくどくど考えているならまだ忙しいほうがましだった。けれど考え出したら止まらない。身勝手な連中に対する怒りは俺のものか、はたまた家康のものか?

 ただ、一つ、確かなことは。吉殿も同じ怒りを身に秘めていることがなぜかわかった。

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