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「だ、大丈夫、ベル……」
「うん、シリウスこそ……」
爆発音やら衝撃やら振動で一瞬気を失っていたような気がした。その割にやけに静かで、ベルの息遣いと心音くらいしか聞こえない。コックピット内は完全に真っ白。とっても不思議な心地、なんだか自分と周囲の境界線が曖昧になったようだった。体があるっていう実感がなくてふわふわする。ベルに抱きしめられている感覚だけが確か。死んでしまったんだろうか。違う。
ベルはここにいる。
OLVISとSOLAVISは作動している。たぶん、機体表面に何かがまとわりついているんだろう。そのせいで真っ白になっているんだ。
「生きてる、ベル?」
「シリウスは?」
「わたしたち、生きてるんだね」
「うん、生きてるよ」
ベルの水色の髪と瞳が鮮やかだった。
まるでそこだけ世界から切り取られたように、くっきりときらめいていた。
その存在感に照らされるだけでわたしは、あたたかくて、幸せだった。
自然と右手が操縦桿から離れて、ベルの背中を抱き寄せる。
まばたきの音さえ聞こえそうな距離。
ほんのちょっとだけ、ベルの瞼が腫れぼったかった。
「ベル、どうしたの、その目」
「シリウスと会えないって聞いてから寝れなくて。シリウスこそ、腕どうしたの」
「ベルに会いに行きたくて、ちょっとやんちゃしちゃった」
ベルの細い指が、血を吸って固くなった袖を撫でる。完全に乾いて魚の鱗みたいになったスーツ越しからでも、涼やかな優しさが伝わってくる。痛みはない。かわりに、痺れるようなくすぐったさが全身に走った。うなじの産毛くらいなら逆立ったかもしれない。
「シリウス。会いたかった」
「うん。わたしも」
さらに抱き寄せる。
胸と胸を押し当てて、頬と頬を重ねて、互いの体温を交換する。
「もう会えないんだって思ってた」
「うん」
「でも、いまはシリウスといっしょなんだね」
「うん」
離れ離れだった時間はほんの数日。数日という時間をこんなに長く感じたのははじめてだった。もう会えないかもしれないという不安のせいで、余計に永く感じていたのかもしれない。
同じ思いを、ベルも持っていてくれたんだと思うと、堪らなく幸せだった。
「ベル。わたしたちはいっしょだよ」
「うん」
「これからもずっといっしょにいられるんだよ」
「本当に……? でも、シリウスは艦長になるんだよ?」
嬉しそうに体を起こすベル。けれどその表情は期待と不安が入り混じっている。
「わたしに任せて」
ベルを安心させようと頭を抱き寄せて額をくっつける。わたしの思いがちょっとでも伝わるように。ベルは胸のつっかえが取れたのかわたしと目を合わせたまま頷く。
「わかった」
「でもその前に、ちゃんとアルマに帰らないとね」
そう、わたしにはまだまだ越えなきゃならないことがたくさんある。
まずはここから出なければならない。
「そうだ。どうなっちゃったんだろ、わたしたち。ここってどこ?」
「さっきの巨大な奴のなかだと思う。いろんな物も吸い込まれてたから、そういうのとごちゃ混ぜにされて、それでOLVISが白くなってるんじゃないかな」
「じゃあ、これ全部ヴァスィリウスの屍……」
「たぶんね」
辺りを見回すベル。わたしも目を凝らした。真っ白ななかにも微妙な濃淡はある。ヴァスィリウスの残骸と残骸を隔てる境界線なんだろう。かなりあやふやで形もランダムだから、相当な圧力で押し潰されたに違いない。とすればここは、奴のなかと言っても消化器官の一部のはず。長時間ここにいるのはぞっとしない。
わたしたちが潰されなかったのは、GRIFFONを最大出力にしていたおかげだ。それでもエネルギーが尽きれば、周囲の残骸に押しつぶされるか、消化液に溶かされるかしてしまう。
「あんまり、時間はないね」
ベルもそのことはわかっている。目つきや声がさっきとは対照的だった。
「けど奴のなかってことは攻撃すれば出られるよね。内臓ってそんなに硬くないし」
頑丈な黒曜鱗に覆われたヴァスィリウスと戦う時の鉄則は、目か口を狙うこと。
それは内臓が柔らかいからだ。
ここが奴のなかなら、同じ理屈が通じる。
「だといいんだけどね」
後ろ髪を引かれながらベルの頭から右手を放して、操縦桿に持っていく。
バルカン発射。けれど弾は、海底の砂に飲み込まれる貝殻のように、白い世界のなかに飲み込まれていった。
「利いてない……」
「これ全部ヴァスィリウスの屍骸だとしたらそれなりに丈夫だし、圧力が高いからちょっと破壊したところできりがないんだよ」
海底の砂を掬い上げるとすぐに周りの砂が落ちてくるようなもの。
バルカン程度じゃキリがない。
「でも、レーザーならいけるよね」
「うん。絶対にいけるはず」
GRIFFONにブーストされたレーザーなら貫通力もあるからヴァスィリウスの残骸くらいどうってことない。
「ベル、充填をはじめるから、しっかり掴ま――あぐッ!」
卒倒しそうな痛みだった。冷や汗が吹き出る。
「シリウス! どうしたの」
深呼吸をして自分を落ち着かせる。
骨の髄に液体窒素を流し込まれたような怖気。左腕を動かそうとした瞬間だった。
「ひ、ひだ、りて……」
「左手? あ、血が……」
ぽたぽたと雫の垂れる水音。いつの間にか、ミモザに応急処置をしてもらった傷口が開いたらしい。ナノパッチでも対応できないくらいひどい傷なんだろうか。
「ちょっとだけ我慢してて」
ベルは突然自分の右腕に歯を立てた。そのまま袖を食いちぎる。
「どうしたの……う、あっ……」
「骨折してるかも。気持ち悪いかもしれないけど、我慢して」
ベルは、素肌が露わになった二の腕と、わたしの傷口とを、食いちぎった袖で結びはじめる。そして外側からわたしの腰に手を回して、抱きしめるように固定した。
「添えるものがないから、わたしの腕で、ごめんだけど」
「ううん、ありがとう。ベルのほうこそ気持ち悪くない? 血だらけになっちゃう」
「シリウスの血なら嬉しいよ! ……あ、そういうことじゃなくて……」
自分の失言に恥ずかしがるベルが、愛おしくておかしかった。
ベルの右腕が副子になってくれるおかげで、左腕はいくらか楽になった。
「そ、それより、レーザーどうしよう。両方の引き金を同時に引かないと撃てないんだよね」
「うん、誤射を防ぐためにね」
タイミングのシビアさといったらある程度の訓練が必要なくらいには厳しい。許される誤差は百分の一秒。しかも充填開始と発射の二回、操作をしなければいけない。
「ベル。ちょっとずつ動かすよ」
「わかった」
ベルの介助を受けながら少しずつ左腕を上げて、操縦桿をなんとか握る。
腕のどこかを動かすたびに脂汗が滲んでくる。
痛みがなんだ。ここから出なきゃいけないんだから。
引き金を引いて充填をはじめる。
「……あれ」
充填はいつまで待ってもはじまらなかった。
「そんな、嘘……」
何度引き金を引いても、はじまる気配は一向にない。痛みのせいか、それとも神経がおかしくなったのか、左腕がうまく動いてくれない。そタイミングが合わない。
「どうしよう、レーザーが撃てない……そんな……」
別の汗が出てくる。せっかくここまで来たのに、このままヴァスィリウスに消化されてしまうんだろうか。焦ったところで状況が変わるわけないのに、心拍数だけが無駄に上がっていく。
「シリウス」
暴れるだけのわたしの左手に、ベルの左手が重なる。不思議と不安がなくなる。
「シリウス。こっちの操縦桿はわたしが握る。絶対に合わせるから、任せて」
「ベル……」
水色の瞳には不安も焦りも一切なかった。
そこに映るわたしの顔だけが苦痛に歪んでいる。
「うん、わかった」
わたしはゆっくりと操縦桿から手を放す。隙間に滑り込むベルの指。
「わたしがカウントダウンするから、0と同時に引いて」
「オッケー」
目線を少し左にやると、そこにベルの横顔がある。真っ直ぐに前を向くその表情は頼もしくて、どきどきした。見惚れないうちに、自分で自分に口を挟む。
「3……2……1……0!」
かちり。
足の下から駆動音がして、充填がはじまる。
「ベル、すごい」
いくらカウントダウンをしたといっても、一発でここまで合わせられるなんて。
「ふふん。当然だよ」
その誇らしげな笑顔にもどきりとする。
「――うん、そうだね。もう一回、同じ感じで行くよ」
わたしのなかの不安や焦りは完全に消えてしまっていた。
テンションを上げていく砲塔を感じながらタイミングを計る。
絶対に、ここから出るんだ。
「3……2……1……0!」
かちり。
当然のように水色の光が走った。ベルの左手とわたしの左手は一体化していた。
「やった!」
水色の光は真っ白な世界を掻き分けていく。さくりさくりと領域を広げながら緑色を薄く撒き散らしていく。ひときわ大きなライトグリーンが弾けた。その向こうに、はっきりとした緑色が波打ち、砕け、溶けていく。
「あれが、ヴァスィリウスの本体!」
「行って。お願い……っ」
少しでも穴が開けば、ここの圧力が下がって安全になる。もしかしたら風船みたいに破裂してしまうかもしれない。そんな期待を抱きながら、光の行方を見守る。
けれど、光は途絶えてしまった。
それどころか、せっかく穿った肉壁が盛り上がって、元に戻ってしまった。
「治った? あの一瞬で……」
「レーザーも利かないの……」
予想以上の頑丈さ。
それに、こんなに早く元通りになってしまうなんて聞いたことがない。
通常のレーザーじゃ、火力が足りなさすぎる。
どうしたらいい……何か方法は――。
「痛っ――」
太ももの辺りに、針を刺すような軽い痛み。そして右手に焼け付くような痺れ。
「シリウス? あ……バルカンが……」
オルキヌスの右腕が潰れていく様子を、OLVISが映し出していた。
圧力がますます高くなっている。機体が耐え切れないほどに。
ここにいられる時間も、そう長くはない。
「わたしなら大丈夫。でも、このままじゃ機体が……」
「そんな……。シリウスといっしょに帰りたいよ」
ベルの右手が、わたしの服をきゅっと掴んだ。なりふり構っていられない。
「ねぇ、ベル。ひとつだけ、方法があるかもしれない」
恐る恐る、頭に浮かんだことを整理する。
「いいよ、言って」
「あれを貫けないのは火力が足りないせい。だったら、火力を増やせばいい」
ものすごく単純で、だからこそ危険な方法。
「どうやって?」
「充填の時間を長くする。それも、計器の100パーセントを超えて、機体が耐えられるギリギリ、爆発寸前まで。溜めに溜めたレーザーなら、貫けるかもしれない」
自ら機械のセーフティを無視する。ほとんど自殺するようなものだ。
「発射がちょっとでも遅れたら爆発。ベルとわたしのタイミングがずれても爆発。それに、いつ爆発するかなんて予想できないからカウントダウンもできない。それでもいい?」
「シリウスに、合わせればいいんだよね」
「――うん」
「わかった」
一切の躊躇なく、ベルは頷いてくれた。
何かに操られるように、わたしの右手が引き金を引いた。
かちり。合図なんてない。心地いい駆動音に包まれる。
「死んじゃうかもしれないよ」
「わかってる。ミスしたら爆発でしょ? ミスしなくても、このまま潰されたるからどっちにしても最後のチャンスだし」
「いいの? もっとほかにやりかたがあったかもしれないのに」
「わたしの命、さっきシリウスに預けたとこだよ」
「あ――」
――ベル。わたしにあなたの命を預けて。
「ほかにシリウスが生きられる方法はないんだよね」
「それは違うよ、ベル」
ベルはきょとんと首を傾げる。
「どうして?」
「わたしだってベルに命を預けてるんだから」
「そう、なのかな」
「だから、わたしが生きられる方法じゃない。わたしたちが生きられる方法、だよ」
わたしにさんざん生きてって言ってた癖に、いざ自分自身のこととなるとこうやって雑になるんだから。まぁ、それもお互い様なんだろうな。
「シリウス……」
「いっしょに帰るよ」
「うん!」
かちり。
砲口近くの装甲を自ら弾き飛ばして、レーザーが迸った。
視界がすべて水色一色に染まるほどのきらめき。
「すごい、きれい……」
「ベルと同じ色」
「は、恥ずかしいって」
視界すべてがベルの色。
黒波すら完全にかき消してしまう水色の光。
わたしの希望は一瞬でヴァスィリウスの胃壁を穿つ。
「見て、どんどん広がってる」
肉塊に深く深く潜り込んだ光は、その周辺にも及ぶ。直撃した箇所から四方八方に水色のヒビが伸び、細かい破片がぼろぼろと崩れ、穴が大きさを増していく。
「もう少し、もう少し……」
「今度こそ、お願い……!」
わたしたちの声に応えるかのように、すべてが開いた。
ヴァスィリウスの体内を逆流する水色の光。浸食され狭まっていく白い領域。
それらの向こうに生まれる、黒と緑の景色。
「届いた!」
「外だ!」
大穴から、ヴァスィリウスの巨体は細かい肉片に裂け、木っ端微塵に吹き飛んだ。
〈シリウス!〉
〈ベル!〉
〈ふたりとも、無事だったんだねぇ……〉
〈ふぅ、戦闘終了だ〉
回復する通信。緑色の深海。いつもの戦場に戻ってきたんだ。
機体を覆う浮遊感。巨大ヴァスィリウスの体内から深海へと解き放たれて、ゆっくりと海底へ降りていくわたしたち。
「終わったね」
「うん。いっしょに帰って来れたんだ」
安心と、そしてさみしさが匂い立つような声だった。
「泣いてるの、ベル?」
ベルの顔がくしゃくしゃに歪んでいる。
「だって、これが終わったらもう二度と会えないんだよね。シリウス、艦長補佐の部屋に行っちゃうから……」
太もものうえに、熱い雫が何粒も降ってくる。
スーツ越しなのに火傷してしまいそうだった。
「そういうことなら、まだ終わってないよ」
「……どういうこと?」
溢れる涙を隠そうともせずに、揺らめく瞳を向けてくる。
「実はね、これからやりたいことがあるの」
わたしは、やかましい全体通信を切って、個別通信の回路も遮断した。
「ねぇ、ベル。いっしょに、うえに行かない?」
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