All engines running.

6

 艦長補佐になって軟禁されるまであと三時間。昨日、あれから二十時間くらい眠って、食事をしてお腹も膨れたっていうのに、全然気力がわいてこない。

 それなのに、体の疲れがどんどん薄れていく感覚もあった。何もせずひとりっきりのベッドでごろごろぐうたらしているんだから当たり前といえば当たり前だけど。

 食事の前に顔を洗ったとき、目の下のクマはほとんど消えていた。

 体は重いのにやたらと元気。そんな奇妙な体調。


「で、感想は?」


 ベッドの脇に立っているミモザが訊いてきた。


「……最悪」


 空になった経口栄養剤の容器を渡しながら答える。


「あなたがこれしか食べたくないって言ったから、わざわざ持ってきてあげたのに」


 ミモザは、まるでわたしの食欲を自覚させるかのように容器を振った。


「だって、水臭いだけで何の味も匂いもしないんだもん」

「確かに味はついてないけれど。わたしも昔は気にならなかったんだけどね、いまじゃ大人の食事に舌が慣れちゃったから戻れないわ」

「ミモザも食べてたんだ、それ」

「当然よ。わたしは次期艦長じゃないもの」

「いつメニューが変わったの」

「二十三のときだったかしら。先代の上司から後継ぎに指名されたとき」

「へぇ」


 ということは二十三年くらいなら経口栄養剤を食べ続けても、途中から大人の食事に変更すれば生きていけるということだ。


「はじめて大人の食事を食べたときはびっくりしたわ。これが味なんだ、って」


 わたしはこんな破廉恥な会話をミモザとしていることに驚いているんだけれど。


「でもね、最初は苦労したの。固形物に慣れてないから、どうしても顎や喉の筋肉が未熟で。経口栄養剤のほうがいいって思ったこともあったくらいよ、飲み込むだけだから楽だしね」

「でも、食べてる気がしないよ。なんていうか……」

「なんていうか?」

「あんまり生きてる心地がしない」

「そういう考えかたもあるかもしれないわね。結局、動物って食べることで命をつなぐものだから。食べるのと飲むのとじゃ、決定的に違う」


 生き永らえる大人は食べている。死にゆく子供は飲んでいる。

 そしてわたしは、いつもは食べているけれど、今日は飲んでいる。


「ま、いちどくらい経口栄養剤を口にするのもいい経験じゃない?」

「どうだか」


 と、ノックの音が転がってきた。


「あら、まさか誰かが来るなんて」


 微妙に失礼なことを言いながら、ミモザは経口栄養剤の容器をさっと隠した。


「さて、わたしは邪魔になるから行くわね」

「ちょっとミモザ、いまのどういうこと」


 わたしの呼び止めにも構わず、すたすたと部屋を出ていく。


「どうしたの、三人とも?」

「あ」「う」「のわっ」


 聞き慣れた声が三つ。わたしは跳ねるようにベッドのうえを整えた。

 なんとなく、だらしないところを見せてはいけないと思った。


「ミ、ミモザ? 何ネタバレしてるのですか! せっかくシリウスにサプライズしようとしてきたというのに!」

「ドッキリ失敗」

「おい、ふたりとも。ドア開いてるぞ」

「「あ」」

「それにサプライズとかそういうつもりじゃねぇ」

「ふぅん」


 したり顔でミモザが振り返った。その脇から覗く、アナ、ウェズン、シャウラ。


「じゃ、あとは頑張るのよ」


 かき回すだけかき回してミモザは去って行ってしまった。

 開いたドアの向こうでは三人がばつの悪そうな表情を浮かべている。

 ウェズンに至っては眉が見事に垂れ下がっていた。よほどショックだったらしい。


「えっと、それでどんな用?」


 見ているこっちのほうが居た堪れなくなって声をかけた。


「シリウス、入っていいですか」

「いいよ。どうぞ」


 招き入れたはいいものの、三人ともどこかぎこちない。


「このたびは就任おめでとうございます」

「お、おめでとうございます」

「ます」


 シャウラを皮切りに、三人が一斉に頭を下げる。九十度の綺麗なお辞儀。


「ちょっとどうしたの、そんなに改まって。やめてよ」


 本気なのか冗談なのか判別がつかない。


「いえ、せっかくの就任ということですので……」

「だからいいってば。まだ艦長補佐になるだけだし。補佐の間は別にみんなの前で何かをやるってことはないんだし。それに――」


 艦長補佐はその名の通り艦長の補佐。艦長として実際に何をするのかを覚える期間でもある。もともと艦長という職務自体が人前に出ないのだから、艦長補佐なんてますます人前に出ない。


「補佐になっても、艦長になるには十年くらいかかるから」


 カノープス艦長が補佐になったのは彼女が二十三歳のとき。

 そして、艦長になったのは三十三歳のとき。


「もう、シリウスとは会えないのです?」


 ウェズンが泣き出しそうに呟いた。

 空気が、触るだけで痛々しい。全身に酸をかけられたみたいにひりひりする。


「ウェズン……」

「だから、お祝いなのです。シリウスは一足先に大人になったのですよ」


 心配するアナをよそに、ウェズンは笑顔だった。シャウラは何も言えないでいる。それがかえって、ウェズンのさみしさを肯定するようだった。

 もうみんなと会えないのは限りなく事実に近い。

 艦長補佐の期間が十年あるということは、その間、ずっと専用の部屋に閉じ込められるということ。人と接する機会もない。みんなと会えるとすれば十年後。そのときシャウラは二十八歳。アナとウェズンは二十六歳。大人の年齢だ。


 三人のなかで、ひとりでも大人になれるだろうか。大人になれるだけの知識や能力を身に着けられるだろうか。それができなければ、経口栄養剤に殺されてしまう。

 たぶん、大人にはなれないだろう。

 大人になったわたしと、大人になったみんなが出会うことはもうない。

 アナもウェズンもシャウラもそれをわかっている。だからこその痛々しさ。


「それに、シリウスも変わったのですよ」

「変わった……? わたしが?」


 恐る恐る訊ねる。

 下手に触れると爆ぜてしまいそうな危うさが、ウェズンから感じられた。


「毛布をいっつも丸めてたシリウスが、いまはちゃんとベッドを綺麗にしてるのですよ。ずっとベルがいないのですから、ご自身で綺麗にしたのですよね」

「あ……」


 ベッドのうえを撫でた。皺はちゃんと伸ばしてある。

 さっき三人が入ってくる前に、なんとなく、整えたんだった。


「顔色もずいぶん良くなっているのです。いつもよりずっと元気に見えるのですよ」

「う、うん……。健康的」


 慌てて付け加えるようなアナ。


「みんな心配してたのです。このところのシリウスは無理しすぎじゃないのかって。だから今日も、本当だったら一言二言がつんと言うくらいのつもりだったのです」

「説教」


 そういえば前にここで、ベルとこのふたりで話したときも、ウェズンにはさんざんに言われてたっけ。懐かしさと空しさで笑ってしまいそうになる。

 あのときは何の話をしていたっけ。そうだ、パートナーについてだった。


 ――カノープス艦長と親密だったかたのお名前は……。


 あれ……もしかして……。


「ですが、シリウスの顔を見て安心したのです。いまのシリウスなら、きっとひとりでもちゃんとやっていけるのです」

「大人のオンナ」


 ふたりの声は震えていた。納得しようとしてくれているのかもしれない。なんだかんだ言いつつ、アナとウェズンもわたしのことをずっと気遣ってくれていた。ふたりがパイロットになってからは、いっしょにいた時間はベルの次に長いかもしれない。


「困ったときは、ふたりのことも思い出すよ」


 うまく、話せただろうか。大丈夫。わたしは、わたしだから。


「う……達者でやるのです!」

「さらば!」


 ふたりの眼元がうっすら光っていた。


「それで、あなたはいつまでいるの」

「見送りにやってきた幼馴染に言うセリフがそれかい」

「冗談冗談」


 くつくつと笑い合う。シャウラは勝手にイスに座って、


「まぁ、俺の言いたいことはあのふたりにほとんどとられたがな」

「そんなんでやっていけるの?」

「なんとかするよ。レグルスみたいにはいかないだろうけどな」

「頑張れ」

「お互い様だろうが」

「確かに」


 言葉を交わしながらタブレットを手繰り寄せた。調べたいことがあったから。


「にしても、お前が元気でよかったよ。クマもほとんどなくなってるし。いまのシリウスのほうがいいよ」

「恥ずかしいこと言わないでよ」

「安心してんだよ」

「なら最初からそう言ってよ」


 わたしの考えが正しければ、ベルに会う方法は必ずあるはず。それを探さなきゃいけない。アルマの見取り図を表示させて、隅から隅まで目を凝らす。

 無駄になったGRIFFONへの侵入と同じように、電磁柵の中枢回路を勝手にいじることはできるだろうか。そもそもコネクタがなさそうだ。忍び込めそうな通路もない。懲罰房エリアに行くことは諦めよう。じゃあ、艦長補佐の部屋から抜け出すことは? これは実際に行ってみないとわからない。


「ちゃんと休んでるんだな」

「昨日は二十時間くらい寝たかも」

「お前が? まじか」

「そんなに驚くこと?」

「そりゃ睡眠時間削るのが生きがいみたいだったからな、お前」

「あのねぇ……」

「まぁ、そんだけ寝たら顔色もすっきりするか」

「たぶん、パッチのおかげもあるだろうけどね」


 額に触れる。ベルと海上に行く直前、ベルが張ってくれたナノパッチは、多少剥がれかけてはいるもののまだ残っている。傷を治すためのものではなくて体調を整えるためのものだから、それが睡眠不足とかにも作用したんだろう。


「そういや一昨日からずっとついたままだったな」


 ナノパッチを抑えているのとは逆の手で、タブレットを操作する。アルマの見取り図はアクセス不能な場所もいくつかあるせいで、もう役に立ちそうになかった。

 焦る。ベルに会いに行く方法はあるはずなのに。

 そもそもわたしの考えが間違っていたんだろうか。いや、そんなはずはない。死亡統計を確認して個人プロファイルにもアクセスする。うん、推理は間違っていない。


 何か、ほかに調べるべきものはないだろうか。

 両手で、とにかくいろいろと言葉を打ち込んで検索にかけてみる。


「おい、それもう剥がれかかってるぞ」


 横からシャウラの手が伸びてくる。思わず、払ってしまった。

 ぱちん、と軽い音。


「あ、ごめん……。自分で剥がすから」

「いや、俺のほうこそ悪い」


 静かな時間が苛立たしい。


「……俺、そろそろ行くよ」

「うん」


 かといって、このまま別れるとのもすっきりしなかった。


「いろいろ、ありがと」

「こちらこそ」


 最後に見たシャウラの笑顔は、寂しげだった。


 そうして、わたしはまた部屋にひとりぼっち。艦長になると、こんな時間が延々と続いていくんだろうか。さすがのわたしでも、それは堪えそうだった。

 こうしちゃいられない。探さないと。ベルにまた会う方法を。

 わたしは変わらない。変わってない。変わっちゃいけないんだ。

 毛布を丸めて放り投げた。


 ――ひとつだけ。だから、大事にしてね。


 隠してあった黒曜鱗をポケットに突っ込んだ。

 ナノパッチをゴミ箱に捨てて、眼鏡をかけ直した。

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