22
「ベル。どうしてあんな危ないことしたの」
「シリウスだって危なかったんだよ」
「危なかったのはベルのほうだよ! もうちょっとで死ぬところだったのに!」
「そんなのシリウスだって死んでたかもしれないんだよ!」
搭乗用のキャットウォークがカンカンわめく。
フラッシュバック。
鉄の音がセファイエの軋みとリンクする。泡を吹く関節、潰れかける腕。
血液が逆流するような切迫感。
「ベルが死んじゃったら意味ないって、前にも言ったでしょ!」
いまにも泣き出しそうなベルの顔に、赤い水玉がいくつもはねた。ぽつぽつと音を立てて足場にも降った。わたしの血だった。額の傷口から飛んだらしい。
「そ、それよりシリウス、早く治療しないと――」
「わたしはいいから」
ベルの伸ばした手と、わたしの伸ばした手がぶつかった。
「痛っ……」
顔をしかめてその場で固まるベル。戦闘のダメージが残っているらしかった。
それなのにどうしてこの子は、笑おうとしてくれるんだろうか。
何かが怖くなって、わたしは後ずさった。
「ごめ――」
「大丈夫……腕のことなら大丈夫だから……」
「わ、わたしだって大丈夫だよ。ベルのほうこそ診てもらいなって……」
「……じゃあ、シリウスもいっしょに……」
うん、と頷こうとして、
「シリウス!」
レグルスだった。
銀色の髪が炎のように燃え上っている。獅子のたてがみのように。
「シリウス、どうしてあんなことをしたんだ!」
「あんなことって……」
「とぼけるな! どうして自ら死にに行くような真似をしたんだ!」
胸倉を引き寄せられる。レグルスの瞳は銀色でまさしく鏡だった。
わたしの白い髪も瞳も、額から流れて鼻筋に糸引く血の赤も、はっきりと見えた。
わたしの像が、次第に歪む。滲んで、揺れて、保てなくなる。
「もう少しで死ぬところだったんだぞ。無駄死にするところだったんだぞ」
「無駄死にじゃない。自爆するつもりだった。いくら硬い相手でも、体のなかで自爆すれば耐えられない。あとはみんなに任せるつもりだった。みんなを信頼してるの」
「それが無駄死になんだ! お前が死んで後に継いだところで何になる。お前はそれでいいのか? そんな死に様で納得するのか?」
必死にまくし立ててくるレグルスが、シェアトと重なった。
――現に、きみは毎回の戦闘で損傷を負っている。いつ死んでもおかしくない。
どうして年長者っていうのは、生きることにこれだけこだわるの。
わからない。
自分の命は、自分のものじゃない。自分でどう使おうが、自分の勝手でしょ。
「わたしは指揮官だよ。ほかのパイロットを生還させるのが仕事。わたしが死んでみんなが生還できるなら、それ以外に何を望むっていうの」
「この――」
視界が飛んだ。頬が熱い。何、何が起きたの?
「レ、レグルス、そんなにシリウスを責めないで……」
「ベルもベルだ! どうしてお前たちはそんなに死にたがるんだよ……」
絞り出される声。
わたしの中身が抜き取られたような気分になった。違う。ベルは死にたがってるんじゃない。ベルは死んじゃいけない。わたしが守らないといけないのに、わたしのせい? ベルがこんな勘違いを受けるのは、わたしがあんなことをしたから? でも、オルキヌスの自爆以外に確実な方法がどこにあるっていうの。それ以外にどうやってみんなを、ベルを守ればよかったの。
わたしは間違ってた?
わからない、わからない。
こんなところにいたくない。
「あ、シリウス!」
「お、おい、その血……」
わたしを見ないで。わたしはひとりになりたいの。
どこに行けばいい。走って走って、血が目に入るのも構わず走って、見つけた。どんなときでも絶対ひとりになれる場所。正規の時間じゃないけど構わずに入った。
大きな部屋のなかにさらに、小さな部屋が密集している。そのうちのひとつに入る。人ひとりがようやく入れるくらいの、箱みたいな小部屋。生体認証を終えると、壁からテーブルとイスがせり出した。
テーブルのうえには、ソースがかかった魚のソテー、緑色で繊維質の副菜、スポンジみたいな主食。わたしの体に取り込まれて血となり肉となる種々のもの。
いまが大昔と違って本当によかった。
食事。
食事という行為は人類が海底に追いやられてからの数百年で、すっかり後ろ指をさされるようになった。粘膜を体外の物質と触れさせ、ややもすると人前に曝け出してしまう破廉恥な行為。だからこうやって、人目につかないようひっそりと行わなければならない。
大昔はもっと開放的だったらしい。何億人もの人命を左右するような話し合いも、愛する人との何気ないコミュニケーションも、食事の場で交わされていたらしい。
いまがそんな時代でなくて本当に良かった。
おかげでひとりぼっちを享受できているのだから。
けれどもし、もしベルといっしょに食事をすることができたら、さっきの戦闘のことも、レグルスに怒られたことも、そして海上のことについてももっと話すことができたんだろうか。あの子のわだかまりやわたしの戸惑いを解消するきっかけも掴めたんじゃないだろうか。
……どうしよう。ベルといっしょに食事をする、その光景を想像しただけで耳が燃えそうになる。心臓から頭にどんどん熱いものが上ってくる。お腹の下がさみしい。
考えちゃダメ。そもそもベルとわたしの間には、裸の付き合いがあるんだから。
大昔の破廉恥な習慣に頼る必要はない。
わたしはイスに着いて料理と対峙する。これらを糧にわたしは前に進むんだ。血がひと粒落ちて魚肉に吸い込まれていく。それごと頬張った。やけに塩辛かった。鉄臭くないくせに塩だけが利いていた。味を中和させようと主食を放り込んだら、勢い余って頬の内側を噛んでしまった。歯を磨くとき、水がやけに沁みた。
廊下に出てもまだひりひりする。血の味に顔をしかめたくなる。
「どうしたの、シリウス」
「……ベル? 待ってくれてたの?」
「もちろん」
薄いピンクの壁にベルがもたれていた。わたしが食事を終えるのを、いつもそうやってくれるように、今日も待っていてくれた。
「はい、これ」
「え? ――あう」
ぱちっ、とベルがわたしの額に手を当てる。
「自然にはがれるまで剥がさないでね」
「ナノパッチ……?」
「どうせ治療は後回しにするかなって思って、ミモザに貰ってきた」
憑き物が吹き飛ばされたみたいに、体が軽くなった。
「ベルぅ……」
急にベルに触りたくなって、ベルの柔らかい体に抱き着いた。わたしよりも膨らんだ胸元に顔を押し付ける。息をいっぱいに吸い込む。目元を何度もこすり付ける。
「シ、シリウス、くすぐったいよ、あはははは」
……よし、満足した。腕は腰に回したままで、顔を上げる。
「ベル、いろいろとごめん。勝手なことして、ベルのことも危ない目に合わせて、おまけにレグルスにも怒られて、パッチも持ってきてもらって」
「ううん。わたしだって、もっとうまくできたかもしれないのに」
「わたし、間違ってたのかな」
「――間違ってないよ」
すべてを受け入れてくれる穏やかな表情に、心が融けていく。
「シリウスは間違ってない」
「うん。でも、もっと正しいやりかたがあるかもしれない」
「いっしょに考えよう。わたしでよかったら……だけど」
苦笑いがベルらしかった。頭脳労働、苦手だもんね。
「ありがとう」
「元気になった?」
「うん、充填完了。ここからまた頑張らないと」
ベルに完膚なきまでに励まされてしまった。
指揮官失格。
でも、ベルならいいや、って思える。お腹の底がぽかぽかして力が湧いてくる。
「うーん、でも、このあとはちょっと無理なんだよね」
「へ? どうして?」
ベルが首をかしげたのは、部屋のすぐ前に来てからだった。
不敵な笑み。反応するセンサー。
「ふふ、それはお楽しみ」
「あっ……」
ベルはとても優しくわたしの体を押した。
バランスを崩して背中から部屋に踏み入る。
視界が真っ暗になった。眩暈? 立ち眩み? 眼前暗黒感? 視神経がやられた?
違う、これは、こんなことをするのは――
「やったのです!」
「大成功」
「あはは! シリウス、ダンボ! ダンボ!」
ダンボオクトパス。深海に生息するタコの一種で、袋を逆さまにしたような見た目をしている。頭の両側に大きなヒレがついていて、それをぱたぱたさせて泳ぐ。
人間が頭から毛布をかぶるとダンボオクトパスそっくりなので、悪戯にもなる。
ちょうど、わたしがやられているみたいに。
「あなたたち……」
力の限り毛布を投げ飛ばす。
ウェズンが、黄色い髪を揺らしながらベッドのうえで跳ねている。
アナは椅子に座って勝ち誇った表情。仕掛けの考案はアナか……。
そして、背後で笑い転げるベル。
わたしは思いっきり叫んだ。
「ここに並びなさい!」
海底火山、噴火。
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