切り裂きジャックの衝動

KisaragiHaduki

第1話★ 解剖A 

 ★

 ――目覚めたとき、女は、薄暗い部屋の、大きなベットの上に、拘束されていた。

 

 手と足は、それぞれベットに固定されている。声を出そうかとも思ったが、猿ぐつわをさせられているのか、声が出ない。

 女は自分の大きな目玉をぎょろぎょろと動かし、辺りを見回した。

 暗い、真っ暗という言葉の良く似合う部屋。女の呼吸音と、ぎしっ、ぎしっ、という、金属の軋む音だけが周辺に響き渡っている。

 女は意識を研ぎ澄まし、自分が今置かれている状況を理解しようとした。目が覚める前の自分の行動を思い起こす。新入社員の歓迎会があったから、近くの居酒屋で呑んで、そのあと、スナックでも呑んで、最後に、同僚の男の子と呑んで。それから――。それから、どうしたのだろうか。

 そこで、女の思考は停止した。すっかり酔い潰れた私は、一体どうしたんだっけ? 必死に思考を巡らせ、女は自分の行動を思いだそうとする。が、女がどんなに考えても、考えても、その答えは出なかった

 女はがっくりと歎声を漏らした。どんなに考えたところで、状況は一向に変わらない。女が思考を停止させた、ちょうどその時だった。パチ、という音がして、部屋が、いきなり明るくなったのは。

 女は光に目を付かれ、びっくりしてそれを閉じる。

 カツ、カツ、カツという足音が、だんだんと女に近づいてくる。女は顔を横にそらし、薄眼を開ける。

 狭い、狭い視界の中、わずかに見えるのは、スーツを着た女性の姿だった。すらりとした体形、黒く長い髪、手に握られている――メス。それらを視認したとき、自然と女の目は見開かれた。

 スーツ姿の女の顔と、手に握られている『それ』を女は交互に見た。スーツの女は、屈託のない笑みを浮かべ、焦らすような、ゆったりとした動きで女の元へ近付いてくる。

 スーツ姿の女は、女の頭元まで来ると、上から彼女の顔を覗き込んだ。そして、彼女に向けて、ひらひらと手を振って見せた。

「……ハロー、お嬢さん。『切り裂きジャック』からのモーニングコールだ、喜びたまえ」

 女は目を見開く。スーツ姿の女、もとい『切り裂きジャック』には、聞きたい事が沢山有った。『切り裂きジャック』とは何なのか、ここは一体何処なのか、貴方は何者なのか。

 女はもごもごと、猿ぐつわの下から、『切り裂きジャック』にそんな問いを投げかけた。そのことに気が付いたのか、『切り裂きジャック』は女の口から猿ぐつわを外した。

「失礼失礼。一方的に話していては、独裁者と同じだな」

 質問をどうぞ、お嬢さん。『切り裂きジャック』はそう付け足すと、女の唇を、自らの白魚の如き指でなぞった。

 女はようやく解放された口で大きく呼吸をすると、軽くむせた。

「……あなたッ――だれ?」

 呼吸の落ち着いたとき、おずおずと、女はそう言葉を発した。『切り裂きジャック』は眉を一寸も動かさず、女の怯えた表情とは正反対の明るい笑顔を浮かべている。

「切り裂きジャック、ですよ。お嬢さん。それ以下でも、それ以上でもない……」

 答えになった居ないではないか。女は歯を、ギリっと音を立ててかみしめると、『切り裂きジャック』のことを睨みつけた。その途端、『切り裂きジャック』の表情がゆがんだ。

 女の両頬を掴み、口をすぼめさせると、その顔を、頭を無理やり自分の元へ近付ける。

「――睨んでんじゃねぇよ、ブス」

 もう女は、どうすれば良いのか解らなかった。癇癪を起し、自分を責める『切り裂きジャック』とやら。監禁されているいる自分。自分の置かれているこの状況が、理解できなかった。じわり、と、目の尾に涙が浮かぶ。それに気が付いたのか、『切り裂きジャック』は女の頬から手を放し、またお道化おどけて見せた。

「ごめんごめん――あぁ、怯えないで……ちょっとした戯れのつもりだったんだけど……」

 困ったように顔を顰め、『切り裂きジャック』は、壁面に掛かっている時計に目をやった。短い針が五を、長い針が十一を。それぞれ指している。

 『切り裂きジャック』は大きく息を吸うと、女の身に纏っている服に、メスで切り込みを入れた。そして、何も言わずそれを破ると、女の体を、芸術作品を観察する評論家かのようにまじまじと眺め、メスを手に握りなおした。

「――お嬢さん。君には、感謝してるよ」

 この後、自分がどうなるのか察し、女はもがいた。『切り裂きジャック』は、私をそのメスを使用して殺すつもりだ。体をじらせ、このベットの上から逃れようとした。だが、手、足の動きを制限されているのだ。成果はない、と言っても良かった。

 『切り裂きジャック』は、もがく女のことなど微塵も気にせず、女の鎖骨と鎖骨の間に、メスを使用して、艶やかで鮮やかな赤い線を上から下に引いた。鈍い痛みが、女の体を伝う。

 その傷に、『切り裂きジャック』は指を二本突っ込むと、その傷を指を開いた。ぐちょ、という嫌な音。女はあまりの痛みに気絶しそうになった。だが、『切り裂きジャック』がそれを許さない。

 『切り裂きジャック』は苦痛にゆがめる女の顔を見ると、その首に注射のようなものを打ち込んだ。麻酔――だろうか。その途端、女を襲っていた痛みがすうっと引き、代わりに今まで曇っていた女の思考が晴れていくのが分かった。

 爽快感。バイクで高速道路を全力で走っている時のような、そんな爽快感が、電流のように彼女の体を走る。

 それと同時に、女は狼狽した。普通の麻酔だったら、痛みを止めるだけで、爽快感などしないはずだ。この『切り裂きジャック』は、一体何を、自分に注入したのだろう。

 『切り裂きジャック』は、そんな女の様子を見て、何が面白いのか、にたにたと笑みを浮かべている。

 女は唇を動かし、そのことを『切り裂きジャック』に問おうとした。だが、唇が上手く動かない。

 無理に口を動かそうとする女。『切り裂きジャック』はそれを見て笑みを深めると、空中に向けていたメスを、腹部へ動かした。そして、先ほどと同じような動作で、腹部を開いた。その動作はこなれており、もしかしたらこの女は医者や解剖医かなにかなのでは、と女は訝しむ。

 ――それから、女は内臓を一つづつ取り出された。はじめは腸、次は肝臓、そしてその次は心臓。実のところ女は、腸を取り出された時点で死んでいた。それは何故か。

 『切り裂きジャック』は、女の内臓を、丁寧にメスでは取らず、手で荒々しく――毟り取ったのだ。女が死ぬのも仕方がないだろう。

 

 もう死後硬直の始まっている女の死体を見つめながら『切り裂きジャック』は笑った。何故だか分からないが、笑いが止まらなかった。そして『切り裂きジャック』は、メスを使い、自分の長い黒髪の、毛先数センチを切り落とした。髪は、女の胃にぽっかりと開いた穴の中へと落ちていった。


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