Twitterにおける企業の宣伝手法①

 先日、あるフリーランスの編集者さんのツイートが、創作界隈全体を巻き込む大きな議論を呼びました。


 それは商業経験5年のBL作家さんからの人生相談があった、という趣旨からはじまる一連のTwitterにおける戦略に関するつぶやきです。

 数スレッドにもわたる内容なのである程度噛み砕いてお伝えすれば


・知名度の低い作品の宣伝はマイナスからのスタート

・まずは人気のコンテンツを盛り上げて人気者になろう

・そのあとで本命(自分の創作)の披露

・「読んでもらえさえすれば面白いんだ!」ではなく「あなたという面白い人間がいる」ということからはじめる

・宣伝が信用されなくなった現代では作家自身がいちばんのコンテンツ


といったものです。



 これらの意見には賛否あるとは思うんですが、これらの手法、実は気付いている人は早いうちに気付いていて、みずから実践して人気者になっていらっしゃる方も多いんですよね。


 私がTwitterで観測をおこなっている範囲という条件はどうしてもついてしまいますが。

 


 企業が宣伝や広報しろよ、作家自身に何をさせてるんだよ、というお声もあるでしょう。私としてもそのような意見には一理あるとは思うのの……ユーザーの支持がかなりある個人のアカウントのほうが企業公式アカウントよりも拡散能力がある、という事態がままあるのですよね。


 多くの創作者、マンガ家さんやイラストレーターさん自身はお気づきでないかもしれませんが、ネット上に限るならばという条件付きではありますが――彼らの存在そのものがもはやいち企業の持つ影響力をはるかに凌いでいるのです。


 影響力のある作家自身が宣伝すれば効果がある。

 これは何も難しい話ではなく、単純な事実に基づく費用対効果、コストパフォーマンスの話なんですよね。企業の立場としてみれば作家さんは商品を共に製作しているタッグチームであるわけで、作家さんの協力も仰ぎたいというのが本音としてあるのではないかと思うのです(私個人の見解です)


 作家さんとしては「ええ……なんでいちいちそんなこと。めんどくさい」と思うのが本音だと思うし、それに関してもすごく頷けるんですけども……


 作家自身がいちばんのコンテンツ、というのはそのような文脈で語られていることなのだろうと、私個人は強く感じた次第です。

 

 今の時代、信用されているのは企業でなく魅力的な個人です。

 そのような前提を把握したうえで件のツイート群を見ていくと、的を射た指摘なのではないでしょうか。



 考えてみてください。

 今現在どれだけの人がまじめに企業の公式情報を逐一追っているのか。また、追えるだけの時間があるのか。


 興味ある分野については深く掘り下げるでしょうけれど、興味の範囲外については全く知らない、ということはこのコンテンツの供給が膨れ上がった時代においてはごく普通に起こりえます。


 そもそも、一次情報という、誰かしらの評価が介在していない情報を探してみずから積極的にアクセスして摂取できるというのはそれだけでひとつのスキルです。テレビでもSNSでもそうですが多くの人は流れてきた情報を見てものごとを知るのですから。


 多くの人の情報の接し方は基本的には「受動的」なのであり、興味のない情報なんて見てないし、見たくない。そのような受容のあり方がいいのか悪いのか、という評価はさておき、これが実態なのです。


 そのように考えていきますと、「読んでもらえさえすれば面白いんだ!」と頑張ったとしても、そんな機会が訪れるのは宝くじを引き当てるような、気の遠くなる確率のお話であることは見えてくるのではないかと思います。



 私は昔からコマーシャルが好きだったのでそうでもないのですが、多くの人にとっては「宣伝」なんてウザいもの、として捉えられがちです。

 古くはテレビの録画でコマーシャルの部分をカットする機能があったのが象徴的ですよね。


 今ならYouTubeさんやニコニコ動画さんでたとえるとわかりやすいでしょう。

 動画を視聴する前に宣伝が流れると思うんですが、あれ途中でスキップするでしょう? 企業が取りうる宣伝はえてしてユーザーさんからしてみればノイズであるように捉えられてしまうケースが多々あるのです。


 えてして宣伝や広報というのはマイナスからはじまるものなのです。

 そんな状況下でいち企業、いち広報が効果的な宣伝をおこなうということは至難の業なのであって、だからこそ広告代理店という職種が成り立っているのですが、それはそれとして。



 Twitterでもそうです。

 つぶやいたり絵をアップしたりするだけで万単位のリツイートやいいねを集めるような作家さんなり広報さんだったりしても、肝心要であろう「宣伝」という部分の拡散についてはよくてその10分の1、だいたいの場合ですと100分の1か2~3程度、というような範囲で落ち着くような場合が多いように見受けられます。


 宣伝や広報といった「その人や団体・企業自身の利益となるような情報」の拡散は基本的に敬遠されがちなのです。 



 出版社さんが広報がんばれよ、というご意見も非常にごもっともなんですが……

 では、出版社さんが精を出して広報したとして、果たしてそれをどれだけのユーザーから好意的に見てもらえるのか? という風に考えたら、限界が見えてきてしまうのですよね。



 話題となったツイートにあった「宣伝はマイナスからのスタート」というのはそういった観測を経た上でなされたものでありましょう。


 特に現在それほど知名度がないものに対する反応は冷ややかです。はっきりと冷酷に数字に現れます。

 

 アーリーアダプター、イノベイターなどという言葉もよく取り沙汰されますが、あれは要は「まだあまり評価されていないものに対して、これはいいよ! といえる勇気のある人」というふうに言い換えることができます。


 ものごとに対して何かしらの評価をするということはみずからの評価に直結します。何を評価したのか、というのはその人個人の評価となって跳ね返ってくるのです。


「ええ~なにこれ全然面白くないじゃん! しかもこれ何、誰も知らないようなマイナーなヤツじゃん! お前見る目ないな~!」


と言われることだって容易に考えられる中で、まだ有名じゃないうちに声をあげる、というのは、よほどみずからの価値観を信じ抜けるだけの強い芯がないとできない。


 こういったスキルも立派な才能なのであって、何かを薦めることができる、というのはそれだけでものすごいことなのです。

 

 創作してる人なんかは自然にそれをやってのける才能が備わっているから軽視しがちなんですが、普通そう簡単にできないですからね。



 多くの方にとってそれは非常に難しいことであるからこそ、現代のコンテンツ受容の形態において、インフルエンサーなる、それぞれの人にとって信頼するに足る人がおすすめしていたから、という部分が大きなウエイトを占めているともいえるでしょう。


 だからこそ人気のあるコンテンツに人気が集中する「一人勝ち」の状況が生まれやすいのであって、カクヨムというミクロの場で見るのならば☆の少ない作品を評価しづらい心理がはたらくのです。


 まだそれほど脚光を浴びてないものを見つけ出して評価する――なろうさんの界隈で言うのならば掘り出しものを見つける人たち、「スコッパー」のような人たちはすごいのです。そのような「青田買い」のような芸当ができる人たちは、どうかみずからの価値観に自信を持ってください。あなたたちは本当にすごいし、えらいのです。

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