第七章

ハロワールド 巡る円環 本部

新しい朝が来た

 ハロワールド滞在四日目の朝を迎えた。

 帰還予定日の朝だ。


「ピィピ」


「おはよう、ピィちゃん」


 腕の中のピィちゃんを、本日一回目のモフモフモフモフ……。


「昨日は楽しかったね、ピィちゃん」


「ピィピィ」


 やっぱり、ピィちゃんは黒モップ姿が一番モフりがいがある。

 気がすむまでたっぷりモフってから、枕元に置いた眼鏡をかける。


「ハロー、ハロワールド」


 昨夜ゆうべ、部屋に戻ってきた時にピンポン玉アルゴ995号に生成してもらった窓から降り注ぐ大いなる暈グレートハロの紅色の光が、白い部屋を優しく染めている。


「もう、帰らなきゃだね」


「ピィ」


 ちょっと寂しそうにピィちゃんは鳴くけど、それはわたしも同じだ。

 用意してある服に着替える。


 そう、ちょっと寂しい。

 ダルにラッセ、ウノとトビー。みんな見た目も性格もバラバラなのに、すぐに仲良くなれた。

 高校生活では、まだ教室に馴染めずにやり過ごすので精一杯なのに。

 もしかしたら、女子高校生に勝手に理想を持って勝手に幻滅しなかったら、一人くらい話せる友だちができていたかもしれない。


 今思えば、わたしのコミュニケーション能力って、すごいんじゃないかな。

 もちろん、巡る円環の行動理念に異界人とも平等に接することをこころがけるようにしているから、とうのもあったはずだ。

 それでも、わたしは自分のコミュニケーション能力と適応能力を褒めてあげたい。

 ゴールデンウィークが明けたら、もっと自信を持って高校に通える気がする。


 押し倒されるとか嫌なこともあったけど、楽しかった。


 特にタムタムことタム・リンとダルの昨日のやり取りは、思い出すだけで笑ってしまう。




 タム・リンが何度もダルを転送しても、一度場所を覚えられてしまったせいで、ダルはすぐに転送して戻ってくる。


 五度目の転送から戻ってきたダルは、目が血走っているタム・リンに性懲りもなく頭を下げた。そこまでは、今までと同じだった。


「師匠、師匠が俺を弟子にしてくれないなら、俺、ハロワールド中に、師匠の名前をバラします」


 間違いなく、ダルの肩越しに浮かんで見える赤いピンポン玉アルゴ995号の入れ知恵だ。


「……死にたい。あー、死にたい」


 タム・リンにとって、これ以上ない脅し文句だったに違いない。

 盛大な舌打ちをして、よく通る歌声でマザーグースを口ずさむ。


「A man in the wilderness田舎暮らしの男が

 Asked this of meこんなことを僕に尋ねました,

 "How many strawberries海の中にイチゴは

 Grow in the sea?どのくらい生えているかの?"」


 瓦礫の中から、紙と羽根ペンとインク壺がふわりと浮かび上がった。


「おおおっ」


 悔しいけど、ダルと感激の声が重なった。


I answered himそこで僕は答えました

 As I thought goodちょっぴり気を利かせてね,

 "As many red herringsニシンと同じ数だけ

 As swim in the wood森を泳いでいる."」


 ひとりでに紙の上を羽根ペンが走る。


 タム・リンの歌が終わると、ふわりと上品なすみれ色のインクで文字が書かれた紙と羽根ペンが、ダルの目と鼻の先に突きつけられた。


「誓約書だ。そこに署名しろ」


 羽根ペンの先がここと誓約書の下の部分を指し示している。


 あれだけ目を輝かせていたダルの尻尾がダランと垂れた。


「……しょめい?」


 困惑するダルに、タム・リンがキレる前に、ピンポン玉アルゴ995号が青くなった。


『ダルの蜥奕族せきえきぞくには、文字が無いのです』


「……脳筋族め。死にたい」


 タム・リンの「死にたい」は「面倒くさい」と同じ意味じゃないかもしれない。よく、SNSで見かけるアレだ。かまってちゃん的な、アレだ。


『あわわ……、ダル、わたくしが説明しますと、ここに書かれているのは、タム・リンの名前を他人に明かさないことを条件に、ダルを弟子とするってあります』


「マジか!! ありがとぉおおおおおございますっ」


 尻尾をブンブン振り回しながら、頭を下げるダルにタム・リンは心底嫌そうに「面倒くさい死にたい」とぼやいていた。


「とにかく、文字がないなら、そこに貴様の血を数滴垂らせばいい」


 瓦礫の中から、今度はナイフが飛び出してきた。


「りょーかいですっ」


 ナイフを掴んだダルが喜々として四本指の青白い鱗を一枚剥がすと、スルッと署名部分を指の下に潜りこんできた誓約書が、その赤い血を二滴受け止める。

 青白い体のトカゲ人間だから、血も青だったり紫だと思ってたから、なんだかちょっと意外だった。

 わたしたち人間と同じ赤い血液を見ると、親近感が湧いてきた。


「おっしゃああああああああ!! 師匠っ、俺、なんでもします。マジ、死ぬ気で最強になってやるんで、ビシバシ、俺を鍛えてください!!」


「……なんでもする、か」


 誓約書を確認してクルクル丸めながら、タム・リンは意味ありげに笑う。

 悪い顔をしても、イケメンはイケメンだ。


「なら、これを元通りにしろ」


「元通りですね! わかりました。見ててください師匠。あーーーっという間に、元通りにしちゃいますから」


 自分がぶち抜いた壁や割れた壺やら何やらのガラクタの瓦礫の山を振り返って、ダルは嬉しそうに尻尾を振る。


 そういえば、壁の穴の向こうは

 大鳥ビッグバードトビーの体内の白い亜空間とも、真っ黒なハロ隔絶空間とも違う。本当に、。もしかしたら、空間すらないのかもしれない。どんなに目を凝らしても、見えないんじゃなくて、って脳が認識しているみたいな感じ。

 できたてホヤホヤの師弟のやり取りに耳を傾けて、壁の向こうのに目を向けていると、タム・リンが視界に割り込んできた。


「小娘、行くぞ」


「え、行くって、どこへ?」


 タム・リンは質問に答えずに、さっさと赤いペンキの扉に手をかける。

 ついてこいってことらしい。

 不満じゃないわけじゃないけど、しかたないから、ピィちゃんと一緒に背中を追いかけると、ダルもついてきた。


「師匠、じゃあ、片付けは後でってことですか?」


 ドアノブに手をかけて振り返ったタム・リンは、思いっきり嫌な顔をしていた。


「貴様は残って、片付けろ。俺が戻ってきたときに、寸分違わず元通りになっていなかったら、ハロ使いやめろ」


「え、え、そんな、師匠ぉ」


『自業自得です』


「ピィ」


 ピンポン玉アルゴ995号の言うとおりだ。

 というか、タム・リンって案外優しいのかもしれない。

 わたしだったら、家を壊されたら、元通りでは済ませない。元通りに以上にしてもらわないと、嫌だ。

 そんなぁとうなだれるダルに、タム・リンは鼻を鳴らしてドアノブを回す。


「This is the key of the kingdomこれは王国の鍵


 タム・リンがドアを開けたかどうかもわからないまま、わたしはドアに吸い込まれた。


 急に襲ってきた浮遊感に閉じた目を開けると、ゴリラもどきに襲われた歓楽の島のような賑やかな場所にいた。エッシャーの絵画のような景色じゃないから、たぶん、別の島だ。

 暖色系のこじんまりとした直方体の家が両側に立ち並ぶ大通りには、歓楽の島よりもたくさんの奇妙な住人たちであふれかえっていた。

 茹で上がったタコの宇宙人の一団の後に続くタム・リンの背中を追いかけると、ふよっと赤いピンポン玉アルゴ995号が視界に入ってきた。


『ここは、腕比べの島ですね。タム……』


「名前を呼ぶな」


『あわわわ……。失礼しましたぁ』


 鼻を鳴らしたタム・リンだけじゃなくて、大通りを行くハロワールドの住人たちは、みんなオレンジ色の大きなドームを目指しているようだった。


「話の続きをしようか、小娘」


 カッチーンだ。

 そういや、わたし、ずっと小娘呼ばわりされている。

 名前が似ているからってのはわかるけど、面白くない。


「ピィちゃんの名前は譲らないから、タムタム」


「は?」


 彼は初めて足を止めて振り返った。


「わたしのこと小娘呼ばわりするやつは、タムタムでいいじゃん」


「ピィ」


「やっぱり、ピィちゃんわかってる」


 いつの間にか、ピィちゃんは黒モップ姿に戻っていた。


「……死にたい」


 言い返すのもめんどくさかったのか、タムタムはドームを目指してまた歩き始めた。


「小娘、この世界は争いを許さない。そういう風にできている」


 そう語り始めたタムタムの声は物憂げで、でもよく耳を傾ければ、優しくもあった。


「所詮、このハロワールドは、絶対的存在だった世界とともに滅びるはずだった死に損ないが寄せ集まった世界だ」


 ピィちゃんはもうタムタムの話に興味をなくしたようで、ピンポン玉アルゴ995号をコロコロポンポンしようとスライムのように変形している。


『あわわわ……。なんてやつなんですか、お前は。わたくし、お前のこと嫌いですからね。ちょっとならかまってやってもいい……ふぎゃ』


「ピッ、ピィピ」


 なんだかんだで、ピィちゃんとピンポン玉アルゴ995号は仲がいい。


「ないのは、争いだけではない。個人、種族間の競争もない。向上心もない。死にたくなるほどの穏やかな平和と引き換えに、未来という名の可能性も発展もない。終末を先延ばしにしているだけだ」


「え、えーっと……」


 何が言いたいのかよくわからなくて、戸惑うわたしをちらりと振り返って、タムタムは続ける。


「それでも、俺はこの世界が死にたくなるほど気に入っている。クラガリが望むほど、地球に未練はない。小娘、お前がクラガリを手放すまで、待つこともできる。それでも……」


「それでも、ピィちゃんに会いに地球に来てください」


「フン、いいだろう。クラガリが、それを望んでいるならな」


 素直じゃないんだろうか、タムタムは。

 ま、いっか。

 足を止めたタムタムにつられて、ピィちゃんとピンポン玉アルゴ995号を振り返ると、賑わう大通りだというのに、楽しそうに遊んでいる。


「俺はアルゴに話がある。この先でスポーツでも観戦して楽しめばいい。そのちっこいのに、案内してもらえ」


「え?」


 振り返ると、タムタムはもういなかった。


『あわわわわ……。リン、助けてくださいぃいいい』


「ピィピ、ピィ」


 オレンジ色のドームかどこかでやっている面白いスポーツとかよりも、ピィちゃんとピンポン玉アルゴ995号を眺めている方が、よっぽど楽しい。


「やだよ、995号」


『そ、そんな、ふぎゃ』


 ハロワールド三日目の残りの時間は、腕比べの島をぶらぶらしながら、ピィちゃんとピンポン玉アルゴ995号とのんびり過ごした。

 普段ののんびりとした休日の過ごし方そのもののようで、ちょっと不思議な気分だった。




 着替えのために一度外していた眼鏡をかけて、ベッドの上のピィちゃんを振り返った。


「タムタム、いいやつだね」


「ピィイ」


 嬉しそうにズルンズルンするピィちゃんは、本当に可愛すぎか。


 タムタムの話を理解できたわけじゃない。

 でも、ハロワールドはわたしの居場所じゃないってはっきりした。


 わたしはまだ女子中学生から女子高生に肩書きが変わったばかりの未成年。保護者のパパとママががいなかったら、何もできない子ども。

 でも、だから、これからの可能性だって捨てられない。

 最近、漠然とした不景気なニュースばかりで、日本の将来はどうなるかわからない。

 だからといって、未来という名の可能性を捨てるほど、わたしは現実を知らない。


「でも、たまには遊びに来たいね、ピィちゃん」


「ピィイイ」


 ベッドの上でピィちゃんをモフモフしながら、ピンポン玉アルゴ995号が来るのを待っている。

 呼べばきてくれるだろうけど、なんだかんだで名残惜しいんだ。


 なんてことを考えていると、ふよっと赤いピンポン玉アルゴ995号が視界の隅に現れた。


 腕の中のピィちゃんが、体をこわばらせる。


「ピィちゃん?」


 おかしいな。

 腕の中から飛び出して、ピンポン玉アルゴ995号をコロコロポンポンすると思ってたのに。

 首を傾げていると、スーッとピンポン玉アルゴ995号が近づいてきた。


『おはようございます。田村凜子様。本日、アルゴ995号に代わりまして担当させていただきます、アルゴ928号です』


「え、995号じゃないの?」


 昨夜ゆうべ、部屋に窓を生成してもらった時に、『また明日』って言ってたのに。

 928号は、995号と同じ見た目で同じイケショタボイスなのに、事務的で可愛くない。まるで、よくできた合成音声のナビゲートみたい。


『アルゴさまのご命令です。わたくしは詳細を知りません。ご朝食のための生成ハロ式をご用意いたします』


「そ、そう。あ、お願い、します」


「ピィ」


 腕の中のピィちゃんに負けないくらい、わたしも寂しい気持ちになった。

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