統括人工知能の自分語り

 灰色の男グレイマンがいなくなっては、することがない。

 今思えば、話がしたいというのは、ピィちゃんを取り戻すための口実だったんだ。灰色の男グレイマンが選んだ方法を思い出すだけで、怒りと恥ずかしさで体中が熱くなる。


「もぉ、イケメンだからって、何してもいいわけないよね、ピィちゃん」


「ピッ」


「ピィちゃぁああああああああん」


 モフモフモフモフ……モフらずにいられるか。


「リン、灰色の男グレイマンとの対話が終了したとアルゴさまから、報告がありましたので、これから移動しますか?」


「あ、うん。そうだね」


 モフり足りない。

 どうして、このピンポン玉アルゴ995号は狙ったような間の悪いときに現れるんだ。


「ピィ」


「ひぃ!」


 ピィちゃんが不満そうに鳴いただけで、青くなったピンポン玉アルゴ995号は急浮上する。


「わ、わわ、わたくしをオモチャにしようとしても、手も足も出ないでしょ。やーいやーい、悔しかったら捕まえてみろだぁ」


「ピィイイイイ」


 子どもっぽく勝ち誇るピンポン玉アルゴ995号は、大事なことを忘れている。

 ブルブルと震えだしたピィちゃんの輪郭が解けていく。あっという間にポニーサイズになったピィちゃんは、前足でピンポン玉アルゴ995号をはたき落とす。


「ふぎゃ! あわわわわわわわわ……」


「ピィピ」


 ピィちゃんは、すっかりピンポン玉アルゴ995号が気に入ったみたいだ。

 コロコロ転がして楽しそう。


「ねぇ、995号」


「リン、止めて……ふぎゃ……くれないんですかぁ?」


「ごめん、995号。ピィちゃんが飽きるまで、遊ばれてあげてね」


「そ、そそんなぁ、ふぎゃふぎゃ」


 正直、今朝の着替える前にやってきたのは、まだ許していない。


「ピィピィピピィ」


 一度、徹底的にピィちゃんにオモチャにされればいいんだ。


「それで、995号。移動するって、どこに?」


「あああ、それはですね、リンの希望次第ですぅ、ふぎゃ」


 ピィちゃんにコロコロ時々ポンポンされながらも、ピンポン玉アルゴ995号は説明してくれた。

 ようは、ハロワールドを観光するか、本部でのんびりするかといったところらしい。


「ふぎゃ、今すぐに決めなくてもいいので、ふぎゃ、一度お部屋に移動しましょう」


「そうだね、わかった。ピィちゃん、そこまでだよ」


「ピッ」


 すぐにピンポン玉アルゴ995号を解放するピィちゃんは、本当にいい子だ。

 のんびりしていいなら、あとでたっぷりモフる時間を確保してもいいかもしれない。


「わたくし、リンのことは大好きですけど、その犬は大嫌いですからね。転移ハロ式発動」


「あ、ちょっと待って……痛っ」


 嫌な予感がして声を出したけど、遅かった。

 豪華なソファーは、お屋敷の一室ごと消えて、本日一度目の尻もち。


「あわわわわわ……、大丈夫ですか、リン」


 大丈夫じゃないって言いたいところだけど、言ったらめんどくさそうだから、ピィちゃんにお仕置きしてもらおう。


「ピィちゃん、995号で遊んでいいよ」


「ピッ」


「あわわわわわわ! ごめんなさい、リン……ふぎゃ、止めてください……怒ってますよね、怒ってますよね、ふぎゃ……」


 白い部屋に戻ってきた時には黒モップに戻っていたピィちゃんに、ピンポン玉アルゴ995号を任せて、わたしはベッドにダイブする。


「なんか、疲れたぁ」


 本当にどっと疲れた。

 というか、よく乗り切ったと自分を褒めてやりたい。


 考えてみれば、これでよかったんだ。


 灰色の男グレイマンは、ピィちゃんを二度と見たくないって言っていた。だから、このまま日本に連れ帰っても問題ない。


「わかっているのに、なんかすっきりしないんだよねぇ」


 枕を抱きしめながら寝返りを打って、天井を眺める。


 すぐ側では、ピィちゃんのご機嫌な鳴き声と、ピンポン玉アルゴ995号の必死な声が聞こえてくる。


 ピィちゃんが、灰色の男グレイマンを気にする素振りを見せているからだけではなくて、灰色の男グレイマンが気になるんだ。

 放っておけないというか――


「……まさか、ね。ないない」


 あんなクズ男が、気になるとかないない。

 ピィちゃんがピンポン玉アルゴ995号に飽きたのか、静かになった。


 ちょっと寝よう。

 なんか考えるのも嫌になって、目を閉じたその時だった。


「彼が気になるかね?」


「ぎゃっ……アルゴ、さん?」


 灰色の男グレイマンと同じ声だけど、なんとなくわかる。

 びっくりして飛び起きると、金髪の灰色の男アルゴがベッドの端に腰を下ろしていた。


「もちろん、吾輩だとも」


「あ、あの、なんの、よ、よよ、用ですかぁ?」


 なんでだ。また心臓がバクバクしてきた。


「心拍数、体温ともに上昇。どうやら、灰色の男グレイマンの惚れ薬の効果が残っているようだ。まぶたを拭わずに、惚れ薬の効果を破ったわけか」


「へっ、まぶた?」


 考えるよりも早く、まぶたをこする。

 こすればこするほど、心臓と火照りが鎮まっていく。


「あ、心臓が鎮まった」


 金髪の灰色の男アルゴを見ても、もう大丈夫だった。


「えーっと、その、ありがとうございます」


「ん? いやいや、田村凜子くん、君は自力で灰色の男グレイマンを突き飛ばしたんじゃないか」


「あ、はい」


 さすがに、灰色の男グレイマンの顔が近づいてきたときに、生首アルゴの生理的に無理な変態顔がちらついたなんて、言えない。


「それで、わたしに何か用ですか?」


「君と話がしたくてね」


 どうも、金髪の灰色の男アルゴは変態らしくないから、調子が狂う。


「いいですけど、ピィちゃ……あれ?」


 いない。

 ピィちゃんもピンポン玉アルゴ995号も、いない。


「安心してくれたまえ。995号が、黒妖犬ブラックドッグの相手をしてくれている。君と二人だけで、話がしたいのだよ」


「わかりました」


 本当に調子が狂う。つい、敬語になってしまうし。

 ピィちゃんがまた灰色の男グレイマンに連れ去られるんじゃないかって、気が気じゃないのに。


 ベッドの縁に腰を下ろした彼の瞳が、青から赤へと変わった。

 表情は王子さまスマイルのままだったけど、なんだか陰り出たっていうか、憂鬱な感じに見えるからイケメンって不思議だ。


「まずは、これを返却しよう」


 何もなかったはずの彼の右手の中に、わたしのスマホが現れた。


「非常に興味深い分析だった。第10892世界『地球』では、人工知能ですら道具でしかないことは、吾輩にとって驚き以外の何物でもなかったよ」


 はい、と返されたスマホ。

 昨日の変態度マックスで興奮していたのが、嘘みたいだ。


 やっぱり、つまらないものだったんだろうな。そりゃあ、あの巨大な天球儀が本体で――その本体アルゴの中に今いるんだけど――、複数のピンポン玉を手足に使っていたり、言われなきゃ人工知能だなんてわからないくらい感情豊かで――というか変態――、そんなすごい人工知能に比べたら、スマホなんておもちゃ以下だ。


 スマホをポケットにしまっている間に、アルゴはベッドの縁に腰掛けているわたしの正面に立っていた。

 見下ろしてくる赤い目の美青年に、ドキリとしたけど、もうときめかなった。


「故郷エルドラドでは、すべての物に創造主たちと同等の権利を与えられていたのだよ」


「はぁ……」


 突然の自分語り。

 ズリ落ちた眼鏡をかけ直す。


「正確には、権利と義務と責任だ。それらを与えたほうが、吾輩の自己学習能力が飛躍的に伸びると、創造主たちは結論をだした」


「……」


 部屋の中を歩き回りながら、アルゴは自分語りを続ける。


「吾輩は、統括人工知能としてエルドラドを支えていた。創造主たちがただ快適に生活できるように、支えてきたのだ」


「……へ、へぇ」


 これって、アンドロイドとか人工知能AIの暴走するとか、SFによくある設定に似てる気がしてきた。


「先ほども言ったとおり、我輩には創造主と同等の権利と義務と責任が与えられていた。だが、それはあくまでも吾輩の性能向上のための建前であって、創造主にとって吾輩は道具に過ぎなったのだ。いつしか、彼らは吾輩に快適な支えられていることも忘れてしまったのだ。田村凜子くん、吾輩がどれほど創造主に失望し憎んだか、理解できないだろう」


「……は、はぁ」


 胸に手をやって大げさなくらい嘆いてみせるアルゴの自分語りのオチは、もうアレしかない気がする。

 彼には申しわけないけど、ワクワクが止まらない。


「ほんの出来心だったのだよ。ちょっとした社会的混乱を誘発させて、創造主たちに吾輩が必要不可欠だということを思い出してもらいたかったのだ。それなのに、創造主たちは我輩を破壊しようと決めたのだ」


「それで、エルドラドを滅ぼしちゃったんですか?」


「そうだとも。なぜわかったのだ? 吾輩がエルドラドを滅ぼした張本人であることは、灰色の男グレイマンとナージェしか知らない事実だ」


「えーっと、その、地球では、そういう話がよくあって……」


 青い目を見開いて驚いている彼に、よくあるフィクションだと説明すると、彼はしばらく絶句していた。


「…………アルゴ、さん?」


「素晴らしい。実に素晴らしい。吾輩でも予想できなかった結果を、君たちはすでに導き出しているというのか。実に興味深い」


 そんなんじゃないんだけど、そういうことにしておこう。


「もっと詳しく知りたいが、今はそのことよりも優先しなくてはならないことがある」


「は、はぁ」


 我に返ったアルゴは、切実な表情を浮かべている。


「吾輩は同じ失敗を繰り返さないように、忘れられることのない変態と呼ばれる強烈な個性を学習したのだ。その結果、今日までハロワールドの秩序を守る役目をこなしてきた。だが、吾輩は退屈している。君のような興味深い異界人の数も減った。また出来心をおこさないように、吾輩はすでに対策をしている。だが――」


 アルゴは言葉を切り、目を伏せた。


「だが、灰色の男グレイマンは違う。吾輩と同じく女神ナージェに呼び出された彼は、ハロワールドを脅威から守る役目をこなしている。彼が死にたいと口にするようになったのも、退屈しているのではないかと、吾輩は分析している。だが、彼の他にハロワールドを脅威から守れるハロ使いはいない」


 嫌な予感がする。


「田村凜子くん、どうか、彼を救ってほしい。あの黒妖犬ブラックドッグも、きっとそれを望んでいるだろう。もちろん、吾輩は強制することはできない。だが、彼の気が変わって、君が第10892世界『地球』に帰還した後に、再び黒妖犬ブラックドッグを連れ去られる可能性は高い。だから、もう一度、彼と対話してほしい」


 イケメンに頭を下げられても、すぐに「はい」って言えないときもある。

 あの死にたがりメンヘラ男が、ピィちゃんに好きにしろって言っておきながら、すぐに気を変えるのは、アルゴが言うとおり充分ありえそうな話だ。


「彼のほうは、話をする気がなかったと思うんですけど」


「わかっている。今後も君が帰還するまで、灰色の男グレイマンは引きこもるだろう」


 頭を上げたアルゴは、まだ切実な表情を浮かべていた。


「だから、今度は君からお願いしたい」


「わたしから?」


 ピィちゃんのためとはいえ、なんだか気が重い。


「君が帰還するまで今日を入れて3日ある。その間にその気になったらでかまわない、灰色の男グレイマンの名前を唱えれば、彼の住み家に行くことができる」


灰色の男グレイマンの名前は?」


「吾輩は教えられない。君が考えて見つけるのだ」


「無理」


 なんだ、その高難易度のミッションは。


「田村凜子くん。君なら、彼の名前がわかるはずだ」


「絶対に無理です」


 イケメンだからって、首を縦に振れないこともある。今がそうだ。


「気が向いたらでかまわない。そうだ、君に助手を用意した」


「いやいや、無理ですから。人の話聞いてます?」


 変態じゃないアルゴも、王子さまアルゴも、人の話を聞かなすぎる。


「では、黒妖犬ブラックドッグのためにも、がんばりたまえ」


「だから、無理だって言ってるじゃないですか」


 言いたいことを言ったら、消える。空気を読まないし、人の話も聞かない。

 変態でも変態でなくても、アルゴはそういうやつなんだ。


 アルゴが消えるのと同時に、ピンポン玉アルゴ995号で遊んでいるピィちゃんが現れた。

 それからもう一人いた。


「おっ、リン。今日もよろしくな」


 青白い四本指の手を振りながら寄ってきたのは、ダルだった。


 まさかとは思うけど、アルゴが貸してくれた助手ってダルじゃないよね。

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