ハロワールド 灰色の男の家

Humpty Dumpty

 すぐそこまで、虚無がせまっている。


 ケット・シーも、バンシーも、ブラウニーも、みんな逃した。

 あとは、愛しいあの方だけだ。


 地獄の悪魔ではなく、人間たちに滅ぼされることになるとは――。

 まったく、笑い話にもならない。


 常春の庭園の花々も萎れ腐り、枯れ果てた。

 芳しい香りも、吐き気のする腐臭に変わった。


「女王さま、女王さまっ」


 黒い影たちを斬り伏せながら、走る。走る。走る。

 この身に余る数々の祝福を受けた体は、疲れることを知らない。

 それなのに、絶望が重くのしかかり、息が切れる。


「女王さま、女王さまぁ」


 すぐそこまで、虚無がせまっている。

 俺はまだ飲み込まれるわけにはいかない。




 嫌な夢を見た。


「最悪だ」


 遠い昔の夢だ。

 あまりにも多くのものを失いすぎた。


「最悪だ。……はぁ、最悪だから、死にたい」


 もともと、俺は寝起きがいいやつではない。

 そもそも、なぜ俺は作業机につっぷして寝ていたんだ。


 薬草、魔草、護符……今にもこぼれ落ちそうなほど、あらゆるものが山積みになっている作業机をぼんやりと眺めながら、寝落ちる前の記憶を呼び戻す。


「えーっと……」


 ほんのひと時だが、妻のジャネットと子どもたちとともにすごした頃は、もう少しだけ寝起きもマシだった気がする。いや、叩き起こされていただけか。

 懐かしいな、あの頃は……


「……何を考えているんだ、俺は」


 帰らぬ日々を思ってもしかたがない。


 前髪をかきあげて、こめかみを揉む。


「俺は、人間が嫌いなんだよ。というか、死にたい」


 気付けの薬草でも焚こうか。

 いや、それとも天国にトリップできるクスリを焚いたほうがいいかな。


 作業机の上をあさろうとして、思い出した。


「あっ……クラガリ!!」


 どうして、どうして、忘れていたのか。

 机の上の薬草が舞うのも構わず、作業部屋の七つの扉のうち黒の扉を開く。


 ハロ隔絶空間。


 暗黒とは程遠い黒の空間。

 クラガリは、俺に背を向けて丸くなっていた。


「クラガリ、まだ、怒っているのかい?」


「ビィィイイイイイ……」


 やっとの思いで、無数にある異界の中から探し出したというのに、クラガリはハロの順応を拒んでいる。


「なぁ、クラガリ。何がそんなに気に入らないんだ」


「ビィ……」


 黒い巨体のクラガリの正面に回ろうとすると、同じだけそっぽ向かれる。


「クラガリ、話しただろう? このハロワールドで生きていくには、お前も体をこの世界にあわせなきゃいけないんだ」


「ビ」


 本来なら血のように赤いはずの瑠璃色ので、一瞬だけ俺を見てくれたが、すぐに背を向けられる。

 女王さまと同じ夜明け前の瑠璃色のに、確かに拒絶の色が浮かんでいた。


「クラガリ。もう、俺とお前しかいないんだ。だいたい、どうしてあの地球なんかに行ったりしたんだ」


「……」


「わかっているだろ。いくらお前が卵だったからって、忘れたわけじゃないだろ。あの地球の人間たちに、女王さまの……」


「ビィイイイイイイイイイイイイイイイイイイ」


 クラガリの鳴き声が、怒りに震えている。


「クラガリ?」


 ショックだった。

 もう、俺とクラガリしかいないのに。


「なにも、そんなに拒絶することないじゃないか」


「…………」


「また、後で来るよ」


「…………ビィ」


 きっと、わかってくれるはずだ。


 クラガリは、俺の話を聞いていないわけじゃない。


 作業部屋に戻って、クラガリが地球で身につけていた赤い首輪が目にとまる。

 タグに書かれていたのは、俺の読めない文字。


「まさかあいつ、人間になついているんじゃないだろうな」


 忌々しい。


 いったい、どれだけ俺から大切なものを奪えば気がすむ。

 こんなもので、クラガリを縛りつけていたというのか。


 忌々しい首輪を手に取ると、女王さまの愛らしい声がなぜかよみがえる。


 ――――ねぇ、許してあげなさいよ。貴方だって……。


「……許せるものか」


 いくら俺が人間だったからって、許せるものか。


 こんなもの、壊してしまおう。


Humptyハンプティ Dumptyダンプティ sat on a wall,塀に座った

Humptyハンプティ Dumptyダンプティ had a great fall.派手に落っこちた

All the king's horses, 王さまの馬とAnd all the king's men,王さまの家来を集めても

Couldn't put Humpty together again.ハンプティを元には戻せない


 サラサラと手からこぼれ落ちる首輪だったもの。

 もう、


「……元には戻らないんだよ」


 どう説得すれば、クラガリはハロワールドの住人になってくれるのだろう。


「女王さま、俺、どうしたらいいんだよ」


 情けない。

 女王さまが救ってくれたこの命。

 本来なら、とうに終わっているこの命。


「はぁ」


 何をやっているんだろう。

 どうして生きているんだろう。


 惰性。


 ただ、女王さまが俺に生きてほしいと望んだから、生きているだけ。


 クラガリが卵から孵るまでは、託しくてくれた卵を守るという理由があった。

 死にたがりの俺にも、惰性で生きる理由があった。


「はぁ」


 作業机の上の薬草の中には、苦しまずに死ねる毒草もあったはず。


「クラガリに嫌われちゃったし、死にたい。今なら、死ねる気がする」


 女王さまの不死の祝福呪いのせいで、絶対に死ねないけど、万に一つでも死ねるかもしれない。

 万に一つの可能性にすがって、毒草を手にした時だった。背後の青い扉が勢いよく開いた。


「やぁやぁ、お邪魔するよぉお!!」


「チッ」


 どうして、いつもいつもこいつは妙なタイミングでやってくるんだ。

 しかも、上機嫌。要注意だ。ろくなことがない。


 頭痛をやわらげようとこめかみをもみながら、振り返ると、ろくなことどころではなかった。


「…………Humptyハンプティ Dumptyダンプティ sat on a 塀に座っ


「待て待て待て待ちたまえ! いきなり破壊攻撃はやめたまえ!」


 アルゴが慌てて俺の歌をさえぎる。


「アルゴ、その胸クソ悪いデュラハンは、どういうつもりなんだ」


 そう、頭部を大事そうに両手で抱える灰色のマントの男。


「あ、これはあれだよ。第10892世界『地球』の異界人にあわせて、君を原型モデルに……」


Humptyハンプティ Dumptyダンプティ had a great 派手に落っこ……」


「待て待て待て待て待て待ちたまえ! 君の破壊攻撃は修復不可能だから、やめてくれたまえ!」


「さっさと、用件を言え」


 壊すのは、それからでもいいだろう。

 アルゴはイカれたやつだが、用もなしに来るようなやつではない。


 その後で、俺と同じ顔のデュラハンアルゴを徹底的に破壊してやる。


 それから、死にたい。

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