第15話 8月5日(木)地球は丸い①

 昨日の午前中は、美紀と姉さんは慶子伯母さんが運転する車で出掛けた。美紀の同級生の家に行ったのだが、そこに行くのでさえ車が必要なのである。いくら国道沿いで交通の便がいいとはいえ、人家は視界の端にちょこっと見えるだけ。しかもそこには美紀と同じ位の年齢の子はいないのだから、摩周の市街地まで車で出掛けたという訳だ。

 さすがに僕は女の子同士の中に一人だけポツンと男がいるのは気が引けたので、遠慮して同行しなかった。

 母さんはというと、こちらは一人で出掛けた。行先は森崎乳業根釧工場の工場長が住んでいる社宅だ。現在の森崎乳業根釧工場の工場長は、父さんが一番最初に配属された札幌工場の職場の先輩である。

 父さんと母さんが結婚した時には結婚式をやらず、入籍して半年ほど経った後に知人や職場の同僚が全部で30人くらい集まってミニパーティをやったらしいのだが、その中に母さんの短大時代の同級生や先輩、後輩が数人いて、そのうちの一人が工場長の奥さんなのだ。このミニパーティの席で意気投合してわずか4か月ほどでゴールインしたというスピード結婚である。

 その翌年には内地の工場へ異動し、その後も幾つかの工場勤務を経た後、今春から根釧工場の工場長として赴任してきたのだ。都内の大学に通う息子さんが一人いるが下宿しているので、今回は単身赴任ではなく夫婦で来る事を選択したらしい。そのため、母さんとはほぼ20年ぶりに会うとの事で、母さんは慶子伯母さんの軽自動車を借りて一人で出掛たのだ。

 僕は一人だけ取り残された状態になったけど、一人で牛舎を見て回ったりとか、美紀から借りたコレクションのゲームをやって過ごしていた。想像通りであったが、僕がやったことが無いゲームも結構持っていて、しかもそのセーブデータも少しだけ拝見させてもらったが、まさに神クラスだという事に気付いて「見ない方が良かった」と後悔したものだ。

 お昼過ぎに母さんが帰ってきた後、そのわずか数分の時間差で姉さんたちも帰ってきたので、僕と姉さん、美紀は母さんが運転する車で摩周町のシンボルとも言うべき摩周湖へ行った。週末になると大混雑が予想されるから平日なら大丈夫なのではないかと思い、それに、僕は摩周湖の写真を撮りたかったので、太陽が背中からあたる午後の方がいいと思って母さんに頼んで連れて行ってもらったのだが・・・。

 結果は・・・はっきり言って大失敗。

 夏休みという事もあり、摩周湖につながる道は渋滞していたのだ。しかも展望台に行ったまでは良かったのだが今度は駐車場探しで一苦労し、さらに展望台は観光客で溢れていて、摩周湖を見に来たのか人間を見に来たのか分からないような状態だった。

 結局「何のために摩周湖の展望台へ来たの?」と言わんばかりの散々な目にあって、僕たちは殆ど疲れただけで帰ってきたのだ。しかも、慶子伯母さんから『週末になるともっと混むわよ』と、ダメだしを貰ってしまった。

 そのため、母さんが「明日は朝から出掛けるぞ!」と宣言し、今日、僕たちは『とある場所』へ行く事にしたのだ。


 今朝、僕は摩周に来て初めて6時半に起きた。それも目覚まし時計を使って6時半に起きたが、姉さんも美紀も既に起きていた。母さんは「7時に出発するぞ!」とか言ってた割に7時直前に起きて来た。おいおい、ホントに大丈夫かよ!?グータラ主婦の面目躍如といった所だぞ。

 結局、出発は当初より30分くらい遅い7時半頃になったが、母さんは直接『とある場所』に行ったのではない。僕たちが最初に目指したのは『開陽台かいようだい』だ。

 開陽台・・・現在、北海道でも地平線を見られる場所として有名なのは、開陽台と多和たわだいらだ。室蘭むろらん市にある地球ちきゅう岬のように水平線を広く見渡せる場所で「地球は丸い」と実感できる場所はいくらでもあるが、日本で、しかも陸地で「地球は丸い」と実感できる場所は実はあまり多くない。建物が乱立して景観を損ねたり、丘や山が邪魔をして丸いという事を実感できないからだ。しかも『ぐるっと周囲を見渡して地球が丸い』と実感できる場所となると、日本では滅多にお目にかかれない。

 開陽台をネットで検索すると「ライダーの聖地」という言葉が出てくる。それは旧展望台の事を指しているようだが、今もライダーたちからの人気は絶大で、駐車場には車の数よりも二輪車の数が圧倒的に多い時もあるのだ。

 そんな僕たちも駐車場に車を止めて、そこから展望台までは階段を歩いて行く事になるのだが・・・相変わらずではあるが、うちの女性陣は人使いが荒い。

「おーい、猛、早く来いよー」

「そんな事を言われたって、美紀は何も持ってないけど、僕はカメラも三脚も持ってるんだぞ。走って登っていけるほど体力が無い人に全部持たせないでよー」

「そんなのは知らん。だいたい、ここで写真を撮りたいとい言ったのはお前だ。あたしはスマホで撮るから十分だ」

「勘弁してよー。記念写真を撮るって言っただろ?」

「あー、そんな事を言ってたような気がするなあ」

「だろ?じゃあ、少し待ってよー」

「きゃーっか!ゴーイングマイウエイ!!」

 そう言うと、美紀はさっさと行ってしまった。姉さんと母さんは僕の横を普通に歩いて追い越していくし、結局、誰も手伝ってくれないまま、僕は三脚とカメラセットを持って階段を上がって行った。

 知っている人も多いと思うが、開陽台は標高271メートルの小高い山で、その山のてっぺんに展望台がある。歌い文句は『330度の視界』。これは後方を武佐むさ岳が遮る形なのでぐるっと一周地平線を眺める事は出来ないのだが、展望台に上れば野付のつけ半島や北方領土の国後島くなしりとうまで見る事が出来る。そして、北海道遺産にも指定された根釧こんせん台地の格子状防風林を眼下に望み『地球は丸い』と実感させられるような地平線を眺める事が出来る。

 今の展望台は平成になってから建て替えられた物だが、旧展望台の写真は僕も母さんのアルバムで見た事がある。僕自身、この開陽台に来るのは三回目だ。一番最初は、まだ僕が歩き始めて間もない頃で、小学生だった兄さんが僕や姉さんと手を繋いで撮った写真や、亡くなった母さんの両親と撮った写真も残っている。2回目は前回美紀の家に来た時だから小学校5年生の時だ。どちらも美紀は僕たちに同行している。

 その展望台に立った僕はしばらくは何も考えず根釧台地の雄大な風景を眺めていた。何となくだが、1日中眺めていても飽きないような風景を見ていると自分がちっぽけな人間のように思えてくる。

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