第2項31話 嚥下

 突如豹変したケルンに少し後れを取り、使用人メイド服をはためかせながらエリーがベルグ南門前に降り立った。

 ほぼ墜落に等しい着地をしたケルン。それによって巻き起こされた砂ぼこりに口元を手で覆いながら、エリーは魔法陣を必要としない程度の風魔法を紡いで視界を確保する。


「――無事ですか!?」


 彼女の視線の先には、半透明の幾何文様で形作られた天蓋ドームがあった。

 ミゥの白魔法。魔法を弾く半球体の中から老兵の力ない声が返ってくる。


「エリーか……無事とハ言えないな。不覚を取ッたわい、この中に居ないと死霊術で操らレる有様よ」


 体の半分が赤黒く染まっているヅィーオの姿――屍人リビングデット化の進行を見て、エリーは顔を顰めた。


「上空から見た感じだと、戦況はかんばしくないようですが」


「あァ……儂が連れテいた兵士達は皆屍人リビングデット化してしまった。だが心配なイ、ミゥ殿が助太刀に来てくレたからのォ」


「この魔法はやはりミゥ様ですか。心強いですね……それで、その冒険者は?」


 ヅィーオと共に『魔法壁』内に居る桃髪色の女性。その首に掛かる陶磁製の階級章ドックタグにエリーは目を向ける。


「魔族ニよって操られてイてな。見てノ通り今の儂と同じ状況よ、屍人リビングデット化ガ体半分マで進んでイる」


 魔族デヴォルの魔法によって強制的に動かされていた彼女だったが、もはや限界だったらしく。

 ミゥの魔法によって、デヴォルの死霊術が弾かれた瞬間に意識を失っていた。


「そレよりも――」


 ヅィーオは険しい顔を戦闘の現場へと向ける。

 気を利かせてエリーが風魔法で赤黒い砂ぼこりを払うと――放射状に伸び広がった氷の樹が姿を現した。

 どれだけ凄まじい冷気が放出されたらそうなるのか、戦闘が行われていた辺りを舞う砂塵がまとめて氷結し、氷の樹が生い茂る外側に赤黒い檻が形成されている。

 檻の内側には、氷樹に片腕を呑まれている骸骨と――白い鱗に全身を包んだヒト形の獣が時間を止めたように対峙していた。


「エリー。お前一体、を連レて来た……?」


 砂ぼこりが晴れたことで、エリーの前に上空から降ってきたのがその白い獣だと理解できたのだろう。ヅィーオが同僚に対して疑問を投げかける。


「ケルン様のはずです、が……私にも分かりません。仮に彼がヒトでなく獣人だったとしても、あそこまでの姿の変化はまずあり得ない」


「――少年か!? あレが……??」


 エリーとヅィーオの二人の間に、困惑が渦巻いていた。

 状況が状況だけに、どうしても同じ疑念が両者の頭に浮かび上がる。

 ――ミゥとケルンは、魔族なのではないか。


「ミゥ殿の異常な強さハ、白魔法でなんトでも説明がつクと思ったが。まサか、彼女らハ……」


「分かりません、ただ……私達の敵で無いのだけは、確かだと思いたい」


 ベルグを陥れようとする骸骨の魔族。それと対立するのは、およそヒトとは思えない姿に変貌した少年ケルンだ。

 状況から判断して、ミゥとケルンは敵ではない。かといって、彼女らの正体や真意は未だ深い水底に沈殿して浮かび上がらない。

 エリーは、今一度短杖で風を切り体の前に構えた。

 戦闘態勢を崩さぬまま彼女は、魔族とケルンの戦いを砂の檻の前で眺めているミゥに走り寄る。


「――ミゥ様、一つだけお答えください!! あなた達は、敵ではないのですよね!?」


「……うん。少なくとも私は、ヒト種の敵では無いつもり」


 エリーの言葉に、ミゥは顔を向けずに答える。彼女の変わらぬ視線の先には、息子だけが捉えられていた。


「今は、それだけ聞ければ。屍人と魔物の群れが、こちらに向かっています……数は千程度」


「死霊術が拍子抜けだったのは、遠隔に居る眷属の操作に容量を裂いていたから?? ……いや、無いかな。そんな巨大な魔力や器量スペックがあるなら、そもそも屍人なんか従えない」


 少し考える素振りを見せた後、ミゥが軽くかぶりを振る。

 懸念を一瞬で投げ捨てた彼女は、変わらぬ笑顔でエリーの方へ振り返った。


「屍人と魔物は私がなんとかするから大丈夫。エリーさん、少しだけケルンを見ていよう?」


 いくら研究者という強者の身の上であろうとも、千の屍人と魔物を一人でどうにかするとことも無げに言ってのけるミゥに、エリーは面食らう。


「何を……冗談を言っている状況では」


「――そしてできれば、認めてあげて。私達・・は、こういう種族なの」


 エリーが言い終わらないうちに、ミゥは言葉を被せた。

 話は終わりだと言わんばかりに、彼女は視線を息子に戻す。

 魔族との戦闘の最中。話している相手は、敵か味方かも定かではない。それでもつられるように、棒立ちになりながらもエリーはミゥに習った。


***


「――はぁ……っ、はっ……!!」


 喉の奥から内容物を吐き出し切ったケルンは、粗い息を吐きながら無意識のうちに解除していた『視界モノクローム』を再発動させる。

 彼の黒色の視界に、白の輝線が風景を描き出す――突如として現れたのは、自身を囲む檻と魔族を捕らえている巨大な柱だ。


(……何が、起きたんだろう? ――いや、そんなこと・・・・・よりも、早く、速く疾くハヤク!!)


 ケルンの脳内に、現状への無理解が渦巻く。だが状況判断を下そうとする理性より何より、彼の臓腑を刺激する飢えという名の疼痛は未だ治まっていない。

 の本能は、生まれて初めてのまともな食事を欲していた。

 

「――ガアアアアァァァァッッ!!!!」


 ――空腹だと、吐くほどに腹が減ったのだと。

 ケルンは苛立ちを声に溶かせて吠え猛る。直後、剣を持っていない左手で、魔族まで伸びる氷柱に拳を叩きつけた。

 美しい透明な塊にめり込んだ小さな拳。そこを起点に巨大な氷柱にひび割れが生じる。

 硝子が砕け散るような大きい破砕音が辺りに鳴り響き。

 果たして――砕け散ったのは、氷塊だけではなかった。


『ぐあッ……!?』


 ケルンの吐息ブレスを浴び、氷結したデヴォルの骨だけの左腕が半ばから折れ、ボトリと地に落ちる。

 『視界モノクローム』によりそれを認識した白い獣は、一足跳びに骸骨の魔族との間合いを潰さんと地を蹴った。


 ――ケルンは氷塊を体表の白い鱗で削り、輝く細氷へと変えながら進んでゆく。

 透明と真白。ただ単色の色彩が透過し、反射し、雄々しく存在を主張する。

 そんな、御伽噺の一面のような光景。


 デヴォルの落ちくぼんだ眼窩がんかに。

 その姿は、脅威を孕んでいながらもひどく神秘的に映った。

 彼は魔法を詠唱する素振りも、種族特有の技能を行使する様子もなく、ただ一言呟く。


『――何なのだ、貴様は一体』


 その呟きに対する答えの代わりではないだろうが。

 デヴォルの元まで行き着いたケルンは、勢いのまま彼の落ちた骨だけの左腕をつかみ取る。

 『視界モノクローム』を有するケルンには、死角が存在しない。

 静止した白い獣は、振り返ることなく――魔族の一部を貪り始めた。


 ――ぼりぼり、ばりばりと。

 骨を包む氷もろとも、ケルンは鋭利に伸びた牙で噛み切ってゆく。

 口いっぱいに魔族の欠片を押し込んだ後、彼はごくりと音を鳴らして嚥下えんげした。

 

『私を、く、食っているのかッ……!?』


 ミゥと対峙しても強さを保っていたデヴォルの声が、初めて恐怖で揺れた。

 その声を無視して、ケルンはおぞましい咀嚼そしゃく音を響かせ続ける。

 幾度かの嚥下を終えると――彼の手の中にデヴォルの腕はもう存在しなかった。


 物理攻撃を受けても再構築されていた、魔族の腕はもはや返ることは無い。

 ケルンに圧倒され、動けなかったのがどれほどの失策であったのか。彼は腕という代償を持って理解した。


「――こんなんじゃ、全然足りないな」


 ゆらり、と。

 少年だったモノが魔族に向かい振り返る。

 彼のこめかみの少し上――黒い頭髪を押しのけるように、新たに真白の角が生えていた。

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