第2項6話 転移事故と魔族

 闇夜を彩る星々が瞬き、光り輝くことでその存在を主張する、そんな夜半。

 森林地域のその最深層、一切の光が届かない峡谷の底。

 現地のヒト種から『最果ての峡谷』と呼ばれ、冒険者の中でも指折りの実力者以外は踏み入ることすらできない地で、澄んだ音と共に巨大な魔法陣が姿を見せる。

 幾重にもなる複雑な幾何文様が示すその意味は、遠く離れた二点を瞬時に駆ける『転移魔法』だ。

 ヒト種最大の"英知級魔法"にして、未だ原理が解明されていないそれが運んできたのはしかし、ヒト、獣人、エルフのいずれでもなかった。

 ヒトの物とは別格の鋭利な八重歯、金属の如く光り鋭く伸びるのは鋼以上の硬度を誇る爪だ。

 鞭の如くしなる漆黒の尻尾を、峡谷の切り立つ崖に生える木々に巻き付け、宙づり状態で"彼女"は静かに目を開く。


「――何処かの、此処は? 取り敢えずは、デヴォル卿。あやつに再開せぬことには始まらぬ、か。それにしても、転移先が暗所で良かったの……」


 ――「陽の元は余にはちと厳しい」と、声帯を震わせ発されるそれは、ヒト種の可聴域外の高周波の音。

 光の届かない暗幕の中、その深紅の瞳だけが鈍く光り。

 夜よりも昏いその羽をはばたかせて、"彼女"は暗緑の海中を航海し始めた。


***


 都市ベルグの夜、ツィリンダー家では夕食の時間。

 二階建ての平民住宅地。他の家々と違い少しだけ特別なのは、中心部に位置する『都市台座』から、王女の通信を受信している真っ最中ということだろうか。

 

『とりあえず、ケルンと……ミゥの弟子には、転移事故の話からしないといけないかしら』


 ミゥの弟子、という単語を耳にしてエイシャは食事の手を止める。

 彼女は自身の師――ミゥ・ツィリンダーにちらりと目線を送った。

 ミゥは大丈夫だとでも言わんばかりにコクリと頷き、その軽くカールする白髪が揺れる。それを見たエイシャは、リセリルカの話に耳を傾けた。


 ――第五王女リセリルカ・ケーニッヒにとって、エイシャは非常に扱いづらい立ち位置に居る。

 エイシャという赤髪の少女は、殲滅した元盗賊団の生き残りであり、かつ懇意にしているツィリンダー家の一員であるからだ。

 これまで不干渉というスタンスを取っていたリセリルカだが、今回初めて自分からエイシャを認知するような発言をした。

 それも『盗賊団の生き残り』でなく、『ミゥの弟子』として。


 エイシャとしても王女の存在は既知であったが、自分の立ち位置を理解していた。それゆえ、干渉することもされることも無いと思っていただけに、突然の認知発言に師であるミゥの指示を仰いだという訳だ。


「……転移? 母さんがフォルロッジへの出張の時によく使うっていう、転移ゲートと関係あるのかな? あと、盗賊のねぐらにも……何だっけ。確か、簡易転移魔法陣とかいうのがあったよね」


 エイシャとミゥ、リセリルカ間で意思の錯綜があることなど知らないかのように、ケルンが転移という単語について思い当たる情報を上げてゆく。


『そうね。ケルンが今言ったそれらは、全て『転移魔法』に関わるもの。そして、遠い距離を一瞬で移動する転移には、往々にして事故が起きるものなの』


 『拾音器』の向こうから、リセリルカがかぶりを振った際の衣擦れの音が微かに聞こえた。


『一般的に、出発点と行き先の双方向で同時に転移が起こってしまったときに、転移事故というものは起きるわ。事故の内容を具体的に言えば、全く別の場所に飛ばされるのよ……さて、ここまでが話の導入なのだけど、大丈夫かしら? すーすーと、寝息が聞こえる様なのは私の気のせい?』


 リセリルカが説明をしている短い時間で、ケルンはうつらうつらと船を漕ぐ。

 話に聞き入っていたエイシャが、王女の指摘にハッとなって人差し指でケルンの横腹を鋭く突いた。


「うっ……!! い、いや、寝てないよ……寝かけてたけど。訓練で疲れてるんだ、許してリセ」


 無防備な脇腹を小突かれて、ケルンは呻きながらもリセリルカに返す。

 その言のとおりケルンは完全に寝ていた訳でなく、王女の言葉自体は耳に入っていた。


『気持ちは察するわ。魔法貴族どもの対応で、私も同じくらい疲れているからおあいこよ……ま、手短に言うわ。その転移事故が起きる要因がもう一つあるのよ――転移魔法陣に、ヒト種以外の種族・・・・・・・・が乗っているという条件が』


 特に怒った様子もなく続けるリセリルカは、ヒト種以外の種族という部分を強調する。


「ヒト種、以外」


 強調された部分を鸚鵡おうむ返しに発音し首を傾げるケルンを他所に、エイシャは何かに感づいたように眉を顰めた。


「……例えば、魔族ですか?」


 声に明確な険を含ませて、エイシャは『伝音器』に向かって言う。

 通信の向こう側で、リセリルカが微かに驚く気配が伝わった。


『ええ、そうね、その魔族が乗っていた場合というのが問題。依頼というのは、その件の調査。……初めましてね、通信越しで失礼だけれど、リセリルカ・ケーニッヒよ』


「……エイシャです。家名はありません」


 簡潔な自己紹介を済ませた二人は、どちらも友好的とは言い難かった。

 意図的に無視をしていた側と、されていた側。

 相応の理由があったとはいえ、知らず積もった嫌な心象は拭えない。


『そう。エイシャ、よろしく』


「最初に言っておきます、私は、貴女が気に入りません。ケルンを、危険な目に合わせようとしている。魔族絡みの依頼なんて、冒険者組合シャフトの領分でしょう?」


 ケルンは、軽く震えながら拳を握る赤髪の少女を見ていた。

 優しい義姉が初めて見せる、明確な怒りの感情。震える声のトーン。

 それが自分の憧憬に向いているという現状に、そしてその原因が自分であるということに、ケルンはどうして良いか分からなくてオロオロし始める。


『――謝らないわ、ケルンは今以上に強くなりたくて、そしてそれには必要なことだと思うから』


「……理解はします、ですがあまりにも丸投げに過ぎる。本当に危ない時、あなたはケルンを助けてあげられないのに」


 ケルンが口を挟もうにも、二人の間には全くと言っていい程隙が無い。

 まるで、現実に相対しているかのよう。

 黒髪の少年が助けを求めるように対面に座る親二人を見ると、テインは気持ち顔を引き攣らせて目を逸らし、ミゥの方は――「ケルン、これは女の闘い。手出しすると大やけどするからね」と無干渉を進めた。


『酷かしらね? 何が正しいのかは分からないけれど、少なくとも私は自分一人で乗り越えたわ。私はそれしか知らなくて、それで強くなったから。だからケルンにも同じものを求めたい』


「一人だけでは、どうにもならない事が必ずあります。幼き日の私が、そうでした。死んだらそこまで、親しいヒトの記憶の中以外には残らないのに。助け合って強くなる、それではダメなのですか?」


 片方は一人で過酷を全て乗り越え、それこそが強くなる条件だと疑わない。

 もう片方は一人ではどうしようもない袋小路に迷い込み、その失敗を繰り返すまいとしている。

 一概に、どちらが正しいとは決まらない。

 ただその時における結果だけが、それが正しかったのか間違いだったのかの証明だ。


『昔と違い……今の私には、優秀な家臣が居るわ。だからこそ、独りでは成せないこともあるとは思えるけれど。でも、いつだって窮地を切り拓くのは、自分の力に他ならないと思ってもいるわ。……エイシャ、貴女の言うようなそんな道があるのなら示して頂戴。私に、見せて頂戴』


「はい、言われなくても。私がケルンを守ります。守れるよう、必ず私も強くなります――そのために、大切なものを守りたいがために、私は此処に居るのだから」


 エイシャの意見に否定的な言を放ちつつも、リセリルカは彼女を止めようとはしない。

 王女もまた、自分が絶対だなどとは思っていないから。

 ヒトの数ほど、考え方があるのだと。幼い彼女は知っている。


「何より――」


『……うん?』


 一拍置くようにすぅと息を吸ったエイシャに、リセリルカは疑問を微かな声に乗せた。

 憑き物が落ちたようにケルンを見て、赤髪の少女は微笑を浮かべる。

 怒りから一転、はにかんだ彼女に黒髪の少年はホッと胸を撫でおろした。


「何をするのにも。一人より、二人の方が楽しいに決まってますから」


『――ふふっ、あははっ!! ええ、まあ……それだけは、間違いないわね』


 一人より二人、エイシャにもリセリルカにも覚えがあって。

 それは赤髪の少女からすれば日々の何気ない鍛錬。

 金色の王女からすれば地下と森を駆けた一日限りの冒険。

 そんな褪せない記憶に覚えがあったから。


 その答えが気に入ったとばかりに、王女もまた笑った。

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