第29話 幻魔法の心当たり

「――この家に、盗賊団の生き残りがいるのはどうしてかしら?」


 王女がこの言葉を発した瞬間。少年が人知れず、はっとしたように、その闇夜のような黒髪を微かに揺らしていた。


「……そっか、エイシャさん。盗賊団の」


 ケルンは誰にも聞こえないような、しんしんと積もる牡丹雪のような呟きを漏らす。ミゥとリセリルカの会話を聞いていた彼は、驚きながらもどこか納得していた。


 ――『……エイシャです、家名はありません。よろしくお願いします』

 ケルンの脳内で、先ほど聞いた彼女の声が再生される。

 ぽつりと、呟くように発された言葉だった。

 戸惑っているような、困っているような。

 抑揚のほとんどない自己紹介からは、そんな感情が読み取れた。


 もう一つ、何よりもエイシャがこの場に居ない事に関して、ケルンは疑問を持っていた。

 ――リセと面識がないから、エイシャさんは退けて、出迎えるのは俺ら家族だけなのか?

 そんな風に単純に考えていたケルンだったが、エイシャの扱いに関して、喉につっかえる小骨のような違和感を持っていなかったと言えば嘘になる。

 ケルンから見たエイシャの立場は、ミゥの弟子。

 師匠が、知り合いであるリセリルカと会う場に、弟子であるエイシャを立ち会わせない理由がよく分からなかった。


 依然変わらない眼前の暗闇をぼうと見つめて、ケルンはまた考える。

 ――なんか、いろんなことがありすぎて、麻痺してるのかな。

 ケルンにとって盗賊団は、自分や父親、リセリルカに危害を加えかねなかった危険な存在だったはずだ。

 だというのに、そんな存在がこんな近くに、しかも母さんの弟子になると知ってもなお。

 ケルンには、全くと言っていい程動揺がない。


 ――違う。そうだ、逆なんだ。俺は、エイシャさんをどうこう思える立場じゃない……エイシャさんにとって、ケルン・ツィリンダーはいわばかたきになるんだ。

 

 ケルンは、ヒトを一人、殺したのだから。

 エイシャが組していた盗賊団の長、ゲリュドを。


 ――リセとの話が終わったら、言いに行かなくちゃ。

 エイシャにとって、ゲリュドがどういう存在だったかをケルンは知らない。

 でも、憎んでいようと慕っていようと、近しいヒトだったのは間違いないと考える。

 だから、自分には、ゲリュドを殺したことを明かさなければならない責任があるのだ。


 ケルンは今日で、殺すとはどういうことなのかを知った。


 同族殺しの十字架は、一生ついて回るものだ。

 忘れてはいけない。どんなヒトにも、親しい存在が居るということを。

 親しい存在が居る限り、死んだヒトは忘れ去られることは無い。

 だから、ヒトを殺すことはとても怖いのだ。

 忘れることが、許されないから。


 ケルンは静かに目を閉じて、エイシャに殺される覚悟を決めた。


 ――だって、もし俺が親しいヒトを殺されたら。


 どうしても、殺したヒトを、殺したいを思うだろうから。


***


「遠隔から他者を操る幻魔法、ですか……」


 リセリルカからの言葉を受け、ミゥは口元にすらりと伸びる手を当てながら思考する。

 ケルンと同色の白磁の双眸が、王女の金のそれをじっと見つめ返した。


「もう少し詳しく説明していただかない事には、意見しかねます」


 幻魔法を用いてヒトを操ると一口に言っても、その程度・・が分からないことには始まらない。

 例えば、幻覚を見せ一定の行動を阻害させる。これも、ヒトを操ると言っていいだろう。

 たとえ、直接的に肉体を操るほど強力な幻魔法でなくても、ヒトは操れる。


 だが、リセリルカから見て、ゲリュドがかかっていたと思われる幻魔法は、体の自由を完全に奪いつつ、限界を超えてヒトを動かすものだった。

 幻魔法の中でも上級以上、それもおそらく術者は手の届かない遠隔にいたと考えられる。

 盗賊団なんて陳腐なものでない、敵に回れば間違いなく脅威になる存在の影。

 リセリルカには術者の心当たりが無いわけではなかったが、当時の彼女・・は幻魔法など覚えていなかった。


「分かったわ。となれば、ケルンにも協力してもらった方がいいわね」


「……うん? 俺? リセ、怒ったふりはもういいの?」


 ミゥとリセリルカの話を黙って聞いていたケルンは、急に話を振られて反応が遅れる。

 返答をした直後、ケルンは要らないことを口走ったと悟り顔を顰めた。


「あら? 演技には自信があったのだけれど、ケルンには分かるのね」


「……本当に怒っている人の声って、抑揚が安定しないんだ。リセのは、声が綺麗に怒りすぎてた。適切な場所で低くなって、凄むべき場所で凄んでたから――演技だって分かるんだ」


 リセリルカの質問に、ケルンは自分の経験則から答え方を考える。

 隣に立つ母親の身じろぐ音が聞こえてきて、息子は背筋を伸ばした。


「どこで身に着けたのよ、その技術は? ケルンはずっとこの家にいたのよね?」


 呆れたような王女の言葉に、顰めた顔のまま少年は答える。


「母さん、怒ると怖いんだ……」


「あー……なるほど、分かったわ……エリーも、怒ると怖いのよね」


 ――怒られるのが嫌だから、機嫌が悪いのを声から察する。

 同じ体験に覚えがあったリセリルカも、側に控える従者を見て頷く。


 ミゥとエリーは互いに見つめあい、苦笑を交わした。


***


「話を戻すわ。ミゥとテインが知っているか定かではないけど、ゲリュドにトドメを刺したのはケルンなのよ」


 息子がそんな経験をしているとはつゆも知らなかった二人は、驚いた顔を見せる。

 それと同時。リセリルカの言葉に、ケルンは重く頷いた。


「エリーさん達と合流した時も言ったけど、倒れてから急に動き出したゲリュドは、確かに死んでた。リセに掛けてもらった『電転』って魔法で調べたんだ」


「補足として、死んでからのゲリュドの動きと力は、常軌を逸していたわ。以前、力自慢の獣人の剣士と手合わせしたことがあるのだけれど、それ以上。ゲリュド自身の力で、骨や関節が外れるほどのね」


 ケルンとリセリルカの言葉を聞き、ミゥは記憶を探る。


「……死者を操ると言えば、死霊術ですか。術の理論は、魂が空になった死体に、死霊精ハ・デスの力を借りて、簡単な命令を受け付ける仮初の魂を入れ込むというものです。ハ・デスの魂は術者の魔力を感知して、死体を動かしますが……遠隔で操作するのはいささか厳しいかと」


「精霊を呼び出すのに詠唱も必須ですし、何より被対象者は生前以上の力は持ちません。何かを操るという点で、幻魔法に近しい魔法であるという推測は正しいかと思いますが、死霊術である可能性は薄いでしょう」


 ――死霊術は、術という名を持っているが魔法に分類される。

 リセリルカが、ケルンの傷を治癒した時に用いた光魔法『慈悲の光癒ライト・ヒール』も同様に、精霊と呼ばれる魔法発現の媒体を、詠唱によって呼び出すことで行使されていた。


 白魔法の研究者であるミゥが、死霊術に関して詳しく説明したことに疑問を感じたのか、リセリルカがピクリと反応した。


「ミゥ貴女、死霊術にも覚えが?」


「いえ、文献からの知識ですよ」


 違うと首を振るミゥに、リセリルカは「そう」と短く答える。

 先を促すような相槌に、ミゥは話を続けた。

 

「幻魔法は……そうですね。私がフォルロッジへ出張に行った際に、知り合いの研究者にいろいろと聞いておきます。十中八九、発表されていない独自ユニーク魔法でしょうし、期待はしないでもらいたいですが」


「ええ、十分よ、ありがとう。できれば、木都ウィールに所縁ゆかりのある幻魔法研究者を当たってみてくれないかしら」


 苦虫を噛み潰したような顔でそんなことを言うリセリルカに、ミゥが首を傾げた。

 鋭く王女を見つめ、質問を発する。


「リセリルカ様、もしかして心当たりがおありですか」


「……そうね、もう貴女達も巻き込んでしまうことにするわ――ゲリュドが、他の王女と面識があったみたいなのよ。でも、誰も上級以上の幻魔法なんて覚えていなかったはずなのだけどね」


 心底面倒くさそうにリセリルカが溜息を発する。

 いっそう眉根を寄せるミゥを、リセリルカは見つめ返した。


「仮に私以外の王女を幻魔法使いと仮定すると……性格的に、第一、第二、第四の姉様は幻魔法なんて使わない。あるとすれば、第三王女のエル姉様――エルヴィーラ・ケーニッヒくらいね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る