教室に戻ると、小さな灯りがぼんやりと光って見えた。その両脇に花織かおり柳楽なぎらさんがいて、その灯りを覗きこんでいる。下から照らされた二人の顔は少しだけホラーだ。

「あ、戻ってきた。おかえりスネ夫クン。どうにかこうにか、ランプ完成したよ。明るいでしょ~」

 柳楽さんが僕にそう話しかける。僕の名前はスネ夫じゃない、といつものように言い返したいのをぐっとこらえて、僕は柳楽さんを無視した。まだ僕は怒っているんだ。

 ……あるいは、傷ついているんだ。情けないし、言いたくないけど。

「……さっきのプラネタリウムから、変な映像が出てきよった」

 こうがぼそりと二人にそれを言って聞かせる。

 僕は叫びだしたくなって「あー、あー。あー」と絶え間なくあ音を発した。昂からうるせえぞと顔をしかめられるまで。

「あれって……その、あれだよな。ゲイ的な――」

「今その話どうでもいいじゃん? 昂」

 やっぱり昂は気づいていたんだと、血の気が引くような感覚を覚え、声が震える。でも、そんな僕を見てわかっていて、柳楽さんが僕の言葉を遮るのだった。

「え~。何それ、ウケるね。なんで? 暦海こよみクンが行ったから新しい映像まで出てきたの? 俺も見たかったな~」

「違うっ。俺が、投影機にぶつかって割っちゃったから……! そしたら、出てきただけ……」

 そんなの、やっぱり暦海クンのせいじゃん、と柳楽さんはなんでもないことのように言う。やめてよ、と俯いた僕が言えば、柳楽さんはなんで?と問い返す。僕にはもう、柳楽さんがよくわからない。

 ぐちゃぐちゃに心が壊されて行くようだ。どうしてここまでされなきゃいけないんだとか思う。やっぱり、こんな人連れてくるべきじゃなかった。そうしたら、僕はここまで傷つかずに済んだ。関わるべきじゃなかった。だって僕は柳楽さんにとってはではなかったわけなんだから。

「……こよみのせいかどうかは、今、どうでもよかと思う」

 不意に、普段よりも低い押し殺したような声で、花織が口を開いた。

「それより……二人とも話しば逸らさんでくれん? さっきこよみが言ったこと忘れたと? こよみは『知りたい』って言った。あたしはこよみを巻き込んだ……二人だって、そうやろ。巻き込んだのと一緒でしょ。なら説明する義務、あると思う。あたしは、」

 花織は、泣きそうな顔になって、それを堪えるように唇を噛んだ。

「……私は、……っ、こよみをここから出してあげたい。私の役目に、巻き込みたくない。だから……だから話そ? 自分たちのこと。私、私はね……最初は、二人が星の子だって知らんかった。でも二人は私の事見て、すぐにわかったんよね? あ、あたしが星の子だって。だ、だから近寄って来たやろ。わかって――」

「違う、そんなんじゃない」

 昂が焦ったような声を出した。けれど花織は、昂をキッと睨み付けた。

「そんなんじゃないわけかろ! 昂が私にこだわるの、私があんたのお仲間っぽいからよ! そんなの小学生の時からずっと感じとったわ。今更ごまかさんで。やっと全部腑に落ちたもん」

 花織は、僕の側に歩み寄った。そして、俯き加減だった僕の両頬を、そっと手で包み込んだ。

「こよみ……こよみ、ごめんね、あたし、こよみに大事な秘密教えてもらっといて、でもあたしは……あたしはずっと、それを言わんかった、隠してた……ごめん、仲間外れにしたつもりはなかったとよ。でも、ごめん……全部話すから、聞いて。花織を許して」

 互いの瞳を覗き込み、僕らは見つめ合っていた。花織の掌から柔らかな熱が伝わってきて、僕の体に沁み込んで、ささくれだった僕の心を温めてくれるようだった。気づいたら、僕は涙を一粒流していて。花織は誰にも見えないように、それをそっと拭ってくれたのだった。

「………勝手にしろ」

 静かな怒気を孕んだ声を絞り出したのは、昂だった。

「お前がそがんこと言うならもう知らん。俺の今まで否定すんな。もう知らん。もうお前のことも、何もかも知らん。……龍祈に会いに行ってくる」

 花織は、その声にも振り返らなかった。僕の頬を花織の長い睫毛の先がそっと撫でた。花織が悔しそうにまた唇を噛んで、目を伏せたからだ。

「……あたしだって、もう知らん。付き合えん。何度も言いよるやろ。あんたとは付き合えんって」

「ああそうかよ」

 バン、と大きな音を立ててドアが閉まる。一人分の体温がなくなっただけで、室内が冷えたような気がした。

 花織は僕から少しだけ離れて、成り行きを見ていた柳楽さんを見つめた。

「……日向ひなたくんはどうすっと。昂みたいに逃げます?」

「あー、いや」

 柳楽さんは頬を掻く。

「まあ、花織ちゃんが話したいっていうなら? 俺は別にいいよ。別にそこまで秘密主義でもないしね。君が死なないで済むなら、俺は暦海クンだって存分に利用させてもらうよ」

 柳楽さんはそう言って、にこりと笑った。花織は、苦々し気に顔を歪めた。

「だって、それが俺の生まれてきた意味だからね。あ、でも花織ちゃん。さっきの言い方はよくないなあ。矢留やどめクン傷ついたよ」

「……知らん。……でも、反省はしてます。後でちゃんと謝る」

 花織は俯いた。柳楽さんは、小さな声で独り言つ。それが花織にも聞こえていたのか、僕にはわからないけれど。

「後で、ねえ……それで間に合うならいいけどね」

 僕の心が、ざわざわと波立った。




 星に感情なんていらない。

 こんな身体なんていらない。

 こんな姿で、不自由に生きる意味が分からない。

 わからないまま、生きることを強いられているのがきつい。

 でもそれでも、俺はお前に惚れたから、だから嬉しかった。

 お前のこと本当に好きだから、お前の側に居るためなら、たったの数十年、人間のまま生きていくのも悪くねえなって。

 けど、お前に必要とされないなら、俺は人間である意味がないんだよ。

 今すぐにでも、こんな身体燃やして消し炭にして、還りたい。

 元の姿に。俺自身に戻りたい。ああなんで、押し殺してきたこんな願いが、また湧き上がってきたんだろう。イライラする。むしゃくしゃする。

 ………うるせえ、うるさい。星の泣き声は、耳障りだ。


 

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